2022/12/23 13:52:53

気忙しくなってきた。昨日は冬至だったとニュースで知る。
街中も人出が増えている。繁華街で長蛇の列を見たが、年末の宝くじを買う人の列という。
以前大きな当たりが出た売り場と聞くが、整理係もいる。無関心の私は通り過ぎる。
冬型の気圧配置が強まって、全国一斉に冷え込んでいる。
日本海側は、大雪で車の渋滞で身動きとれない。ライフラインや物流もストップして不自由な生活を強いられている。気の毒に思う。
車内に閉じ込められ酸欠で死者も出ている。
ホワイトアウトも懸念される。
寒波は南の鹿児島も同様で、陽が照るかと思えば、雪がちらちら舞う。
手袋やマフラーの出番となった。
主婦はますます忙しい時期、コロナにめげず、年末年始を過ごしたいものです。

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2022/12/04 17:22:30
![DSC_1772[15973]](https://blog-imgs-160.fc2.com/m/a/n/manmazakki/20221203144601fbas.jpg)
you Tubeは音楽を聴いていたが、ある日見たドキュメンタリー番組を見て嵌っている。
TV局制作のドキュメンタリー
、「悲運の神童天才バイオリニスト渡辺茂夫の劇的すぎる半生」である。
タイトルに惹かれ、1時間近い番組を見た。初めて知るバイオリニスト名である。
コメントに
~音楽一家に生まれ、4歳のころからバイオリンを手にしていた『音楽的神童』(ギフテッド)。その演奏は批評家にして「天上の調べがこの世に現れ出でた」といわしめるほど神がかっていたといいます。20世紀を代表するバイオリニスト・ハイフェッツも「30年に一度の偉大なる才能」と大絶賛、輝かしい未来を約束されていました。 ハイフェッツの推薦で14歳、一人で渡米し、アメリカ・ニューヨークの名門ジュリアード音楽院に入学。~
しかし、西も東も分からない少年が、孤独の中、両国の文化の中で精神を病んでいく。
睡眠薬を飲んで一命はとりとめたが、脳障害が残り、口はきけず歩くことも出来なくなる。昭和33年(1958)帰国する。
1999年58歳で永眠。
7歳でコンサート演奏し、聴衆を魅了している。
鉛筆書きの日記を見ると真面目な気質が伝わる。
彼の演奏会の伴奏者は、いつも田中園子であったと知り驚いた。
偶然だが、戦後初めてライブで聴いた、大谷 洌子のリサイタルの伴奏者が彼女であった。
胸が締め付けられるような重い内容で、切ない。
心に残るドキュメンタリー番組であった。

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昨年、最初から頑張ってくれた仙田君から、「閉鎖したい」との事でしたが、平山君や吉村君らと相談して本〇どん入院していました①Re: どうしましたか?コメントありがとうございます。
思いがけない突然の入院でした。2週間の入院で無事退院でき帰宅しました。
退院後の通院の必要もなく完治です。日常生活に戻りつつありまマンマ入院していました①どうしましたか? 11月になって、ブログの更新がないので、気にしていましたが、救急車で運ばれたとは?!
どこがどのようになって、入院されたのですか?
ここ2~3日、見ていただいてい本〇どん高級食パンRe: ブログ訪問させていただきましたご訪問、コメントありがとうございますマンマ高級食パンRe: ご主人さまの「手術」良かったですね?!いつもご訪問ありがとうございます。
主人の眼の手術、無事終わりほっとしています。マンマ高級食パンRe: タイトルなしご訪問、コメントありがとうございますマンマ高級食パンRe: タイトルなしご訪問、コメントありがとうございます。マンマ