2010/11/20 23:07:23
皇帝ダリア
菊科、メキシコ地方原産
学名:ダリア属
別名:木立ダリア



1週間前から皇帝ダリアが開き始めました
丈は4~5メートル、花はピンク色、日増しに花の数も増え晩秋の青空に聳え立っています
数年前花好きの隣の夫人が植えて知った皇帝ダリア、見上げる先に咲く花を二階のベランダから眺めたものです。
3本とも見事に開花したが、花の表は見ずらい。それに隣のパパイヤの木が視界を遮って余計見難くしている。植える位置が悪かったようです。来年は西の隅に植えて庭の東側から見えるようにしましょう
たくさんの蕾を付けているので暫くは皇帝ダリアを楽しめそうです。

菊科、メキシコ地方原産
学名:ダリア属
別名:木立ダリア



1週間前から皇帝ダリアが開き始めました
丈は4~5メートル、花はピンク色、日増しに花の数も増え晩秋の青空に聳え立っています
数年前花好きの隣の夫人が植えて知った皇帝ダリア、見上げる先に咲く花を二階のベランダから眺めたものです。
3本とも見事に開花したが、花の表は見ずらい。それに隣のパパイヤの木が視界を遮って余計見難くしている。植える位置が悪かったようです。来年は西の隅に植えて庭の東側から見えるようにしましょう
たくさんの蕾を付けているので暫くは皇帝ダリアを楽しめそうです。

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2010/11/02 16:58:24
彼の通った図書館やミュンヘンでの回想シーンが流れる。
友人のエマニイルも彼の両親も既にギリシアへ帰国していた。そしてギリシアへ向かう。
親友のエマニイルはアテネ郊外の自宅で小児科の診療所を開業していた。「ナオナカ!」と呼んで出迎える。「姜中」を訓読みして発音しているのであろうか。20年ぶりの再会を喜び、それぞれ医者と教授になったことを称え合う。
二人で故郷のクレタ島に戻った両親を訪ねる。クレタ島の港に立って話す。この港から船でドイツへ出稼ぎに行ったエマニイルの両親、韓国の釜山から船で仕事を求めて日本へ渡った姜尚中の両親、東西に在って二人の境遇はなんと似通っているのだろうと。
生まれ故郷の村は、オリーブとブドウ畑が広がる農業の村、村の半数近くの人がドイツヘ出稼ぎに行っていた時期もあったという。行き交う人は声を掛け合いフレンドリーで家族のように親しげである。エマニイルの明るい性格もこうした土壌で培われたものであろう。
母は郷土料理のシチューを作って待っていた。父はアルツハイマーに脳卒中を併発して不自由の身になっている。話せなくなっているが目頭には涙がにじんでいる。尚中と判っているのであろう。尚中は、麻痺で開かなくなった手の甲をやさしく撫でながら語りかける。この手は表現したいことはいっぱい持っているのに表現する手立てのない掌であるという。一世たちの心中を推し量っている。
母は“ドイツに行った当初は仕事が大変だったの、よく手に怪我した”と話す。どうしてドイツへ行ったのか尋ねると“稼がなくてはならなかったの、かわいいわが子を教育するためよ”と笑顔で答える。西ドイツの経済発展で労働力不足をギリシア、トルコ、イタリアからの労働者を受け入れていた時期であった。異郷で20年間稼ぎ苦労した親の礎が結実し、息子が立派な医者になって報われた思いがする。
エマニイルは自慢したり、帰りたくなる懐かしい生まれ故郷を持っている。自分は持とうとしても持てない。そして在日二世にとって故郷の意味を問いかける。韓国にもイメージを持てない。生まれ育った熊本も好きだが恋焦がれる気持にはなれない。一世たちと過ごした場所は今も心に残っている。記憶の中の世界が自分の故郷であると結ぶ。
旅の終わりに・・・車椅子を押して名残り惜しそうに玄関先で身送るエマニイルの両親。何度も手を振りながら辞す尚中。熱い惜別の情が伝わってくる。姜尚中の人となりを識った番組であった。

友人のエマニイルも彼の両親も既にギリシアへ帰国していた。そしてギリシアへ向かう。
親友のエマニイルはアテネ郊外の自宅で小児科の診療所を開業していた。「ナオナカ!」と呼んで出迎える。「姜中」を訓読みして発音しているのであろうか。20年ぶりの再会を喜び、それぞれ医者と教授になったことを称え合う。
二人で故郷のクレタ島に戻った両親を訪ねる。クレタ島の港に立って話す。この港から船でドイツへ出稼ぎに行ったエマニイルの両親、韓国の釜山から船で仕事を求めて日本へ渡った姜尚中の両親、東西に在って二人の境遇はなんと似通っているのだろうと。
生まれ故郷の村は、オリーブとブドウ畑が広がる農業の村、村の半数近くの人がドイツヘ出稼ぎに行っていた時期もあったという。行き交う人は声を掛け合いフレンドリーで家族のように親しげである。エマニイルの明るい性格もこうした土壌で培われたものであろう。
母は郷土料理のシチューを作って待っていた。父はアルツハイマーに脳卒中を併発して不自由の身になっている。話せなくなっているが目頭には涙がにじんでいる。尚中と判っているのであろう。尚中は、麻痺で開かなくなった手の甲をやさしく撫でながら語りかける。この手は表現したいことはいっぱい持っているのに表現する手立てのない掌であるという。一世たちの心中を推し量っている。
母は“ドイツに行った当初は仕事が大変だったの、よく手に怪我した”と話す。どうしてドイツへ行ったのか尋ねると“稼がなくてはならなかったの、かわいいわが子を教育するためよ”と笑顔で答える。西ドイツの経済発展で労働力不足をギリシア、トルコ、イタリアからの労働者を受け入れていた時期であった。異郷で20年間稼ぎ苦労した親の礎が結実し、息子が立派な医者になって報われた思いがする。
エマニイルは自慢したり、帰りたくなる懐かしい生まれ故郷を持っている。自分は持とうとしても持てない。そして在日二世にとって故郷の意味を問いかける。韓国にもイメージを持てない。生まれ育った熊本も好きだが恋焦がれる気持にはなれない。一世たちと過ごした場所は今も心に残っている。記憶の中の世界が自分の故郷であると結ぶ。
旅の終わりに・・・車椅子を押して名残り惜しそうに玄関先で身送るエマニイルの両親。何度も手を振りながら辞す尚中。熱い惜別の情が伝わってくる。姜尚中の人となりを識った番組であった。

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昨年、最初から頑張ってくれた仙田君から、「閉鎖したい」との事でしたが、平山君や吉村君らと相談して本〇どん入院していました①Re: どうしましたか?コメントありがとうございます。
思いがけない突然の入院でした。2週間の入院で無事退院でき帰宅しました。
退院後の通院の必要もなく完治です。日常生活に戻りつつありまマンマ入院していました①どうしましたか? 11月になって、ブログの更新がないので、気にしていましたが、救急車で運ばれたとは?!
どこがどのようになって、入院されたのですか?
ここ2~3日、見ていただいてい本〇どん高級食パンRe: ブログ訪問させていただきましたご訪問、コメントありがとうございますマンマ高級食パンRe: ご主人さまの「手術」良かったですね?!いつもご訪問ありがとうございます。
主人の眼の手術、無事終わりほっとしています。マンマ高級食パンRe: タイトルなしご訪問、コメントありがとうございますマンマ高級食パンRe: タイトルなしご訪問、コメントありがとうございます。マンマ