fc2ブログ
2009 / 04
≪ 2009 / 03 - - - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 - - 2009 / 05 ≫

昨日、映画好きの友人3人で「スラムドッグ・ミリオネア」を観賞した。この3人時々思い立ったら即決で出かけていく。ぐずぐずしていると見たい映画を見損なうこともしばしば、それより都合がつく日に行かねばと見にいくそそっかしいところがある。映画好きには違いないが、その後の食事とおしゃべりも楽しい。

昨日もそうであった。「アカデミー受賞作品、怖いストーリーよ」と聞いただけ、大筋も知らないままネットでチェックもしなかった。夫を送り出し朝9時過ぎのバスに乗った。

ストーリーは、インド・ムンバイのスラム街で育った無学の青年が、人気番組「クイズ$ミリオネア」で最後の一問を残し全問正解することをきっかけに、不正を疑われ逮捕される。だが、貧困と富が混在するインド・ムンバイを疾走しながら成長する少年の過酷な人生と運命がクイズの答えとつながっていく。正解を知りえる過程をサスペンスタッチで描いている。

「スラムドッグ・ミリオネ」の原作は、外交官でもあるインドの作家、ヴィカス・スワラップの小説「Q&A」。製作国はイギリス、舞台はインド、メインキャストも映画初出演の無名の俳優が出演。アメリカ資本が入ってない、低予算映画、有名な俳優も出ていない。
それでいて、アカデミー賞の前哨戦ともいえるゴールデングローブ賞で作品、監督、脚本、作曲賞の4部門を制覇している。

インドには身分制度のカースト制度がある。独立後のインド憲法ではカースト差別を禁止しており、解体の方向にあるのだろうが、村落社会では根強い影響を持っているという。

インドの「ムンバイ」は、私の世代では「ボンベイ」と言った方が馴染みのある地名である。スラム街の生活と環境の描写は余りに苛酷で正視できない。画面から目が離せない。

映画全編、苛酷な環境にあっても兄を、弟を、初恋の人を思う純愛が流れている。
気持ちの途切れる間がなく、集中して見ていたせいかぺトボトルのお茶も飲まず仕舞いであった。





スポンサーサイト



kurematisu


三越鹿児島店は5月6日に閉店する。

数日前、久しぶりに出かけてみたら、正面玄関に大きな赤文字で「閉店カウントダウンセール」と貼られている。25年間のご愛顧ありがとうございましたとの謝意がこめられているのであろうが、カウントダウンと銘打たれるとお祝い事のような錯覚さえして妙な気分がする。

4月に入って閉店売出しが始まっていると聞いていたが、店には行ってなかった。入会している友の会は、全国の三越店で買い物できるのでそのまま継続していた。一年満会の通知が来たので手続きの用件で出かけた。その後店内を回ってみたら以前の売り場の様子は一変している。

閉店売出しでお客さんは多いのに、各階のレジカウンターの数は極端に少なくなっている。婦人もの売り場のレジは精算待ちの人が列を成している。什器売り場は茶碗・雑器などが入り混じってがらくた市のようになっている。

じっくり見て回れば欲しいものでお買い得品があるかもしれない。それも疲れそうであまり気乗りしない。それより什器売り場のあの様を見たら寂しくなった。地下のパン売り場はお気に入りで予約して焼き立てを買うこともあった。

主婦にとって、自分の足で行きウインドショッピングできるデパートは、格好のストレス解消の場でもあった。身近な食品もある老舗デパートがあと10日ほどで閉店する、物悲しくて最後の姿を想いたくない。 




su3

su2

筍掘りに行った日に珍しいものに出くわした。

一人の友人が木の枝にぶら下がっている藁色の塊を見つけて、

「あれは何?」
「蜂の巣だ」
「スズメバチの巣だ!」

初めて見る。
毒針を持ったスズメバチに刺されたら大変なことになる。静かで蜂がいるような気配はない。

怖さ半分、遠巻きにしながらも反対側に回ってみたら巣盤が見える。
抜け殻の巣でしょうか?




takenoko


昨日は喜入に、毎年恒例の筍掘りに出かけた。
この筍堀りは決まったメンバー5~6人で10数年来続いており、毎年楽しみにしている行事となっている。

メンバーのIさんの持ち山に、筍掘りの誘いを受けて始まったものである。
掘りたての筍の味噌汁、持ち寄ったおかずと食べる昼食は最高のご馳走である。

Iさんは行動派で人一倍元気な女性であった。ところが4年前、すい臓の不治の病で発病後わずか3ヶ月という短い期間で帰らぬ人となった。信じられない出来事であった。これで筍掘りの楽しみもなくなると残念なおもいでいた。

ところが、思いがけず翌年もご主人の好意で今までどおり来てくださいとありがたい申し出で、変わらず続いている。好天に恵まれ写真のような収穫でした。

1年ぐらい経った頃だったろうか、「1ヶ月ぐらい留守することは何度もあったが、今度は帰ってこないということの現実を知った」と聞いた時は胸が痛くなった。あれから4年・・・月日の流れは速い。彼女の電話の声が今も耳元に残っている。






botan1

botan2

botan3

     ボタンが開き初めています

     昨日の朝、蕾がわずかに色づいていました
     今にも綻びはじめそうな予感がしていたら・・・

     気温が一気に上がり、終日陽光を浴びたら
     今朝、花びらが・・・ 
     
     大好きなボタン、全開するまで花容を追います
 

3月の半ば過ぎ、吉野公園へ花見に出かけた時求めた一鉢です。
吉野公園周辺は肥沃な台地で園芸の盛んなところ、園内で季節の花を販売していました。





宮廷菓子の「クルタレ」

ガイドブックに依ると明洞(ミョンドン)駅からケーブルカーの上り駅まで徒歩15分と書いてある。ケーブルカーを降りたら、その足で暗くなったソウルの街をハングルのネオンを眺めながら明洞(ミョンドン)駅までぶらぶらと歩いた。

明洞(ミョンドン)駅からコスメ通りのあたりは昨日歩いているので、夜でも方角の見当がつく。駅近くの屋台でパフォーマンスをやっている。娘が「皇帝のお菓子作りだ、見ていこう!」


kurutare1
kurutare2
kurutare3
kurutare4

日本語で説明している。手の動きに惹かれ足がストップした。小さな蜂蜜の塊を伸ばし、2本が4本、4本が8本、8本が16本・・・と細長く引き伸ばし16000本余りの麺状になる。
鮮やかな手さばきである。最後に餡となるクルミ・アーモンド・ピーナッツなどを包んで出来上がり。

「クルタレ」と呼ばれるお菓子で、王様に愛用された伝統宮中茶菓である。クルは「蜂蜜」、タレは「糸状のものを巻きつける」と言う意味を持っているという。
長壽と健康、幸運と切なる願いがかなうといわれる。
中国でも同様な手法の麺作りがありますね。

皇帝が愛用したお菓子と知ったら是非とも試食したい。家族のお土産用に購入した。
賞味期限は一ヶ月と書いてある。初めて見るお菓子である、どんな味がするのか早く食べてみたい。

kurutare5

戻って開けてみると白ひげのような糸状の重なりはかなり固まっていた。飴だから冷えれば硬くなって当たり前のこと。それほど甘くなくサクサクとした食感がありおいしかった。またチャンスがあったら、今度は作り立てを食べてみたい。     つづく



ソウル市のランドマーク 【Nソウルタワー】

soultawa-


ソウルナビにも『ソウル全体を一望できる定番の展望スポット。観光客だけでなく地元ソウルッ子にもシンボル的な存在である。タワーの高さは海抜479.7m。ライトアップショーでは最新の発光ダイオード技術によって色とりどりの光がタワーを彩る』と書いてある。

夜景を見られる夜に行こうかとも思ったが、展望台から見るソウル市の方角を知らないままでは面白くない。昼間の方が肉眼で確認できると思った。ソウルタワーは、地図を見ても出は入り口が分かりにくい。

昌徳宮近くからタクシーに乗った。
「ソウルタワーへお願いします」
「南山タワーですね」

地元では南山タワーと呼ぶほうが通りがいいのかもしれない。というのもこのタワーはもともと首都圏一帯のTV・ラジオ放送電波を送る電波塔として起工されたものである。その後展望台として公開されたが、老朽化で2005年、名称も「Nソウルタワー」としてリニューアルオープンした「N」の意味は「南山Nanzan」と「新しいnew」の文字からだそう。

標高250メートル余りの南山の頂上に立つソウルタワーである。距離もありタクシーで30分ぐらい要した。料金87000ウォン(今回の旅で最高額のタクシー代)。車も頂上までは上らずその手前で降りる。その後の坂は急な傾斜である。食後の重い体はちょっと大変であった。立ち止まってみるとソウルの市街が遠望できる。

soulsigai
                    展望台から

エレベーターで展望デッキのある2、3Fへ
最新のデジタル望遠鏡が設置されており、ソウル市内の景色をパノラマ感覚一望できる。360度の見晴らしを十分に楽しめる。しばらく窓際の椅子に腰掛けて眺めた。

展望台の360度の角度に世界の都市名が記入してある。居ながらにして全世界の方角を確かめることが出来る。ウラジオストックやモスクワの方角を見ると、5年前のロシア旅行を想い、すぐ手の届きそうなところのように感じる。

tenboudai
                      展望デッキ

5Fは回転レストランがあり、夜景を眺めながらのディナーが人気で、若者のデートスポットにもなっているとか。陽も落ちかけてきた。戻りはケーブルカー(5分)で降りることした。夜景を楽しむ人たちが次々に昇ってくる。ケーブルカー12000ウォン。ちょうど日没の時でケーブルカーからきれいな夕陽を眺めた。

soul-1
夕  陽

ケーブルカーを降りると階段状の坂を下るがかなりの距離である。往きに徒歩でのケーブルカー駅までは階段と坂で大変な思いをするところだった。辺りはすっかり暗くなっている。平地に降り明洞(ミョンドン)の方向指示を見つけてほっとした。   つづく





昼食は「韓定食(ハンジョンシッ)」

mizukimuti

昌徳宮の観覧が終わった時は2時を過ぎていた。予定通り昌徳宮背後に位置する韓定食のレストラン「龍水山」へ行った。霙交じりの中、広い昌徳宮を見学したので体は冷え切ってしまった。朝から歩いて3時近い遅い昼食である。食い気、好奇心も膨らみ、楽しみにしていた「韓定食(ハンジョンシッ)」だと思うと、たくさん食べられそうな気がする。そこを抑えて夕食もおいしく食べたいので、時間を考えほどよいコース料理を注文した。

これまで韓定食というと宮廷料理のイメージを持っていた。テーブルに20種類ほどの皿が並ぶ豪華な料理と思ってきた。グループ旅行などの大人数でなければ食べられないだろうと、今回は半ば諦めていた。ところがソウルに着いた時乗ったタクシーのドライバーからよい情報をもらった。昼のメニューで予約なしに行けるとろが昌徳宮の背後の辺りにあるという。

韓定食の雰囲気を味わえるだけでもよいと、昌徳宮観覧の後に昼食をとる予定にした。やはり思っていた韓定食ではなく、一品ずつ運ばれてくるコース料理であった。一品ずつの程よい量であったので胃にもたれることなく全部おいしく食べられた。
料金も2人で44000ウォン(約3000円)とリーズナブルでした。
大人数で訪れる機会があれば本格的な伝統料理の「韓定食」を夕食で楽しみたいものです。

niku

bibinba2

メニューもハングルで書いてあるので個々の料理名は分からないが、おおよその見当をつけて箸を進めた。器に盛られた料理は韓国フードであるが、洋風のレストランで食事をしているような錯覚さえ抱かせた。器や箸スプーン、料理も韓国料理を食していながら・・・あとで合点がいった。一皿ごとに盛られた料理の量が少量であったからだと。

昼食後ソウルタワーへ向かった。    つづく




 【昌徳宮(チャンドックン)】

seimon

 昌徳宮の正門・敦化門前の広場は雪に覆われている。時折雪の舞い散る日で寒い。南に住んでいるせいかソウルの寒さが肌身に凍みる。腰にカイロを貼ってきてよかった。手はかじかんで手袋を離せない。

4gengo


 観覧は自然と建物の保存のため、指定された時間に案内ガイドによって行われる。外国人のために、韓国語のほか英語、日本語、中国語の専門通訳の案内サービスが充実している。
自由観覧は4月~11月の木曜日のみ。
日本語の12時30に観覧した。門をくぐるとガイドから昌徳宮についての簡単な説明があった。入門時にもらった日本語案内書は図入りでより詳細に記されている。1時間30分で入門した敦化門に戻る。

 伝統的な建築様式の粋を集結し歴代の朝鮮王朝の表舞台となった昌徳宮は、韓国の王宮の中で唯一、世界文化遺産に登録された王宮である。昌徳宮は1405年、正宮である景福宮(キョンボックン)の離宮として建造された宮殿。正宮は戦役で消失したが、再建されるまで約270年に渡って李氏朝鮮王朝の政務が行われた王の御所。朝鮮の宮殿の中で王が最も長く住んだ王宮である。
 
 多くの王宮が戦争・火災、植民地時代に本来の姿を失っているのに対し、保存状態がよく李氏朝鮮時代の趣や生活様式を色濃く残している。自然との調和のとれた配置が卓越した点から1997年にユネスコ世界遺産に登録された。宮殿の庭園、秘苑(ビウォン)は四季折々のうつくしい姿を見せてくれる。

敦化門、宣政殿、記政殿、大造殿、楽善斎、秘苑、宙合楼とその周辺の順で見学して敦化門に戻った。雪が降った後の道は、所々凍っている所もあるので用心しながら歩いた。

seimon-yane
敦化門(トンファムン)  現存している宮殿の門としては最古

sinzenmon

jinseimon
          仁政門(インジョンムン)
王の即位、臣下の朝礼、外国使臣の接見など、国の重要行事が行われた場所
senseiden
                  宣政殿
王が日常の国事、学者や官僚と儒教や歴史の勉強など公式の執務所。現存する宮殿の中で唯一青い瓦の建物である。

daijyouden
大造殿(テジョジョン)  王と王妃の寝室

suragan
               スラッカン
大造殿の西側に王室の台所であったスラッカン跡。西洋の建築様式で造られている。

ondoru-takiguti
               オンドル焚口

yukasita
                床 下
entotu
                  煙 突
薪を入れて暖めたお湯が全体にいきわたって部屋全体を温める。薪を燃やした煙の出口は離れた所の煙突を通って出て行く。

tansei
              丹青(タンチョン)
屋根の梁などに見られる極彩色の模様は丹青(タンチョン)という。木材の腐食を防ぐためのものだが、やがて王宮や寺院など特別な建物に描かれた。色は全て草木を原料としていた。10年前に塗り替えた色という。


rakuzensai
rakuzensai2

楽善斎(ナクソンジェ)
1847年後宮の処所として建てられた。王の死後王の側室や女官などが残りの人生を送った。日本の梨本の宮家から最後の皇太子李垠(イウン)に嫁いだ方子(まさこ)妃が晩年(1989年まで)過ごした場所でもある。
ここだけは、丹青(彩色)を施さない質素な建物、壁、障子などの模様、平遠楼の建築様式であることから清の影響をうかがうことができる。

 ガイドの説明で、方子(まさこ)妃が亡くなって20年、息子(次男)さんも4年前東京の赤坂プリンスホテルで亡くなったと知った。彼女の生涯はドラマ化されたりして知られている。時代の波に翻弄され数奇な運命を辿った女性である。


huyouike
              秘苑(ビウォン)
昌徳宮の庭園で後苑(フウォン)ともいい、王様たちの憩いの場。
芙蓉池(プヨンチ)は氷が張り、冬の庭園は冬木立で緑が少なく、植物を見られず残念であった。

雪交じりの寒い日の見学であったが、広い敷地の建物は手入れが行き届いていて見応えがあった。心残りは冬の庭園は寒々として色に乏しかったことである。見学途中で外国語が飛び交うと肝心のことを聞き取れないことがある。4カ国の言語に分け、時間差で自国語の説明が聞けることはありがたかった。      つづく



yuki

① 観 光
観光する場所の選択、動ける範囲、すべて自身で判断し決めなければならない。
  歴史スポットでは、昌徳宮(チャンドックン)、景徳宮(キョンボックン)のどちらにするか迷ったが世界遺産になっている昌徳宮を選んだ。

   ソウル滞在3日目の朝、カーテンを開けると外は雪化粧の街になっている。この日は昌徳宮観光を予定しているというのに・・・翌日の夜は帰国するので日延べするわけにいかない。昌徳宮は時間指定のガイドツアーになっている。

  他の宮と違って自然と植物保存のために決まった時間に、日本語、韓国語、英語、中国語とそれぞれの時間別にガイドの案内に従って観覧する。所要時間1時間30分。
  日本語は1日に4~5回実施されている。10時30分の日本語ツアーに参加しようとタクシーに乗った。

門の前に着いたので入場券を買おうと行ったら隣の門だという。塀沿いに歩いていくがなかなか門に辿り着かない。道なりに塀が続いているので間違っているとも思えない。人気のない通りで誰とも出会わず尋ねることも出来ない。「チャンドックン」と告げたのにドライバーが間違って降ろしたんじゃない?と話しながら、少し後戻ってまた引き返して上り坂の塀沿いに歩いていった。やっと辿り着いたが10時30分観覧には間に合わなかった。

次の12時30分に決めて入場券を買い、待ち時間で周辺を散策することにした。昼食はチャンドックン裏手に多いという「韓定食」を取る予定でいた。店の下見も兼ねて歩き始めた。

kanoku

restrunt

王宮周辺の裏手は静かで、韓屋(韓国の伝統的な家屋)も見られる。偶然ガイドブックに載っている韓定食のレストランが見つかった。開店前だったので観覧後食事することに。   つづく





hotel
                     部屋の窓から

日ごろ娘とは離れて暮らしているので直接話す機会は少ない。彼女は初めての韓国である。今回の旅は、計画性のない、拘束されることのない、フリープランである。自由気ままなスケジュールでよい。詳細は現地についてから話し合うことにしていた。
夕食後ホテルに戻って滞在中の大まかな予定を話し合い、毎日前夜に翌日の予定を決めて歩くことに決める。

ガイドブック、ソウルナビの情報を基に、①観光、②グルメ、③ショッピングに絞った。
初心者向きの明洞(ミョンドン)エリア中心に、グルメ、ショッピングしたい。それに垢すりの体験もしたい。

ガイドブックと地図を片手に自分の足と感覚だけが頼りのソウル歩きである。効率は悪いが現地の雰囲気を肌で感じることが出来そうである。一から手がける手作り旅行は、不安がないわけではないがわくわく感が先立つ。今までにない新鮮な発見もあるに違いない。多少の達成感も得られるだろうと思っている。それを期待したい。
時間の許す範囲で歩いたところについて書いていきます。

ホテル
3日間宿泊したホテルについて記します。
今回のホテルは、予約の時から安いところを選んだのだからと余り期待していなかった。急に決めた旅行である。行く先は人気のソウル、足の便のよい手ごろな価格のところはどこも満室であった。

宿泊したホテルは「ウエスタン・コープレジデンス」、東大門(トムデムン)エリアに位置し、地下鉄駅「東大門運動場(トムデムンウンドンジャン)」から歩いて5分。 等級★★★★ スーペリア13坪タイプに3泊。建物はビジネスホテルのような造りである。

kitchen

部屋はファーニシュドルーム(家具付き)で、ビジネスデスク、食卓、洋服ダンス、収納家具、ミニ・コンドミニアムのような小さなキッチン(セラミックレンジ、冷蔵庫、簡単な調理器具あり)が設置されている。自分のPCを接続すれば24時間高速インターネットを無料で使用可。浴室はシャワーのみで浴槽なし。長期滞在型にも使える。フローリングの床はオンドルになっている。座って荷物の整理をしたがぽかぽかと温かい。トランクを広げられるゆったりとした広さがある。

予約時に、13坪のツインルームが3泊で19800円(2人で)という価格に驚いた。一人一泊4000円弱ですよ。シーツカバー類はすべて白色とシンプルで清潔な感じ。予想以上の仕様。
マイレージでの旅行は空港税とサーチャージを支払えば航空券を得られる。旅費が安く上がるからホテルはランクを上げても思ったが、まずソウルの街歩きに慣れることが先と今回は高いホテルを避けた。

hoteimae
 ホテル前の通り

最寄の地下鉄駅は、有名な観光地やビジネス街、繁華街を通る3ラインの乗換駅でアクセスが便利。歩いて5分でショッピング天国、「東大門市場」がある。    つづく





長年の習慣で夕方になると目で夕刊を探している。地元紙(南日本新聞)の夕刊が廃止されて一ヶ月過ぎているのであるが・・・

ネットのニュースに『新聞社が次々に夕刊廃止し、それに伴う「記者余り」がクローズアップされてきている』と出ている。記者も、取材部門だけでなく、総務、事業、広告、営業への配置転換で「社内失業」と書かれている。

夕刊廃止は鹿児島だけの現象ではなかったのですね。鹿児島の場合読者層が広がらず、部数の問題があって廃止となった。全国紙も夕刊廃止が相次いでいるという。
若い世代などの新聞離れ、共働きなどによる生活リズムの変化で夕刊読者が減っていることが大きな原因らしい。

 部数が減れば、広告収入も減る悪循環になる。紙代、印刷代を考えると、人員余剰が出ても、止めた方が安上がりというわけである。
時代の流れに逆らうわけではないが、一抹の寂しさを覚える。




鹿児島~ソウル

今回の旅は確かな目的があるわけではなく、おいしい料理を食べてソウルの街を歩き楽しんでくればよいと気楽に考えていた。航空券とホテルの予約が出来ただけで、細かいことは現地に着いてから話し合うことにようと大雑把な考えである。このような経緯で、3泊4日の母と娘の気ままな冬のソウル旅行が始まった。

【旅 程】 2009/2/18~2/21
出国:2月18日(水)   国内線・・・鹿児島~羽田
             羽田発ANA1293便15:35   ソウル(金浦)着17:35
帰国:2月21日(土)  ソウル(金浦)発ANA1294便19:30    羽田着21:35

鹿児島から羽田への便は、修学旅行の高校生団体と乗り合わせて平日の昼間であるのに満席。
羽田の国内線から国際線への移動は無料のシャトルバスが走っている。約10分ほどで到着した。まるで国内線の乗り継ぎのような感じで、これから海外へ出発する気分になれない。東京在住の次女と合流して搭乗手続きを済ませた。

羽田から金浦までの飛行時間は2時間30分。機内はやや日本人が多いが、家族連れの韓国人も多く満席と案内している。韓国の国内線に乗っているような感じがする。短い飛行時間であるのに機内食もサーブされ乗務員も忙しそうである。普段は往きの機内でガイドブックを読むが、そんな間もなく夕靄の中白いビル群をかすめる様に金浦空港に到着した。

出発前に「ソウルナビ」サイトから必要な事項をプリントして持参した。今回の旅行ではソウルナビの情報は大いに役立ち旅の手助けをしてくれた。

ホテルまではタクシーを利用した。運よく日本語の上手い親切なドライバーに遭遇して一般料金の支払いでよかった。50分の道のりで40000ウォン(約2400円)支払う。
タクシー料金の目安にしようとサイト情報を見たが、同じ所要時間で「一般」と「模範」の2本立ての料金が書いてある。違いが分からなかったが、彼が説明してくれた。
黄色表示のタクシーは模範で観光客用、ほぼ日本語が通じる。一般は現地の人が利用する。
後述するが一般に乗って大変なおもいもした。

ホテルに到着後チェックインを済ませ夕食に出かけた。初めての地は夜だと方角がはっきりしない。ドライバーに聞いたオモニの料理店に行こうとして・・・ホテルの近くのようだったので手探りで歩き始めた。なかなか角の店が見つからない。暗くて方向を間違えた様である。諦めてホテルへ引き返す道すがら小さな食堂を見つけた。

bibinba
okazu

素朴な定食屋のような感じで、客は4~5人の男性だけである。酒を酌み交わしながら楽しそうに語り合っている。メニューが図示してあったのでビビンバを注文した。韓国料理には必ずその店独自のおかずが付く。キムチもいろいろな材料で作られ種類が多い。現地でしか味わえないキムチを楽しみにしている。エゴマの葉のキムチも久しぶりに食する。
形はしその葉に似ているがちょっと辛味があっておいしい。熱々のビビンバの味は格別です。母と娘で商っている小さな店の家庭の味です。お代は9000ウォン、約630円(2人分)。帰り際に拙い韓国語で「マシッソヨ」(韓国ドラマの台詞で覚えた)と・・・「カムサハムニダ」と返ってきた。 つづく



03 ≪│2009/04│≫ 05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
全タイトルを表示

マンマ

  • Author:マンマ
  • 好奇心、やじ馬根性旺盛な熟年おばさん?

Fc2ブログランキングに一票を!

-天気予報コム- -FC2-