fc2ブログ
2008 / 08
≪ 2008 / 07 - - - - - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 - - - - - - 2008 / 09 ≫

emi


鹿児島市の黎明館で開幕中の「ワダエミの衣装世界」展も明日が最終日。

暑さを避けて先送りにしていたが、今朝はちょっぴり秋風も立ち、鑑賞気分となり午後出かけた。広い館内の庭には、あきあかねが飛び交い、ようやく秋の気配を感じる。夏休みも明日まで、予想おどおり館内は混雑している。

同展は世界的衣装デザイナーのワダエミさんが映画「利休」(1989年)や「HERO-英雄」(2002年、LOVERS」(2004年)、演劇「祝祭音楽劇トゥーランドット」(08年)などのため制作した衣装約140点が展示されている。

 ワダエミ氏は1937年、京都生まれ。京都市立美術大西洋画科卒。86年、映画「乱」(黒澤明監督)でアカデミー賞最優秀衣装デザイン賞を受賞。映画「HERO-英雄」「LOVERS」など国内外で活躍。夫は演出家の和田勉氏。
  
映画「LOVERS」はチャン・イーモウ監督。彼は今年の北京オリンピックの開会式を演出している。

手づくりで世界に1点しかない作品、ファンタスティックで息を呑むような鮮やかな色、柔らかな絹の風合い、繊細で緻密な刺繍、独創的な衣装と装飾の世界に圧倒された。




スポンサーサイト



karin

春先に花が咲き、10数個結実した花梨
枝が伸び、葉が茂り、葉陰に隠れて見えなくなった。

久しぶりに木の下から見上げげたら、大きな実になっている。
台風で落下することなく黄色く色づいて欲しい!

今日は趣味の会の後、数人でコーヒーを飲みながらひとしきりお喋りした。
店を出たら、目の前は老舗のうなぎ屋さん、直火で焼くおいしそうな匂いが流れてくる。

匂いに誘われ、熱々の蒲焼と肝の串焼きを持ち帰る。
今夜のメニューは・・・うなぎの蒲焼き、シジミの味噌汁、漬け物
久しぶりに食べるうなぎの専門店の味は格別です。

専門店のうなぎは、一年前旅先の人吉以来のような・・・
客の顔を見てからうなぎを捌く店である。うな重を注文した。

新鮮でとびっきり美味しかったが、量が多く食べきれなかった。うなぎがサンドイッチ状に2層に入っている。その時の満腹感で、うなぎは遠のいていた。

一年ぶりのうなぎは美味しかったです。うなぎは専門店に限る。
こだわりの食べものは、たまに食べてこそ味わい深く、美味しさも倍増しようというもの。





晩酌のビールに枝豆、相性もよい。

のん兵衛のように聞こえるが、アルコールはからっきし駄目、ビールの美味しさなど分かりようもない。

夏場の夫のささやかな晩酌は、缶ビール1本に枝豆である。それも250mlでして・・・
随分ケチな妻とお思いでしょうが、やさしい?妻心でして・・・

もともとアルコールが大好きなわけでもなかった。4~5年前尿酸値がやや高くなった時、350mlから250mlへと減らした。投薬の必要もなかった。それに美食家でもなかったが、父親がそうであったので、プリン体の多いビールは控え目にとなった次第です。

枝豆は好物で、毎日茹でている。
冷凍ものは美味しくないというので、新鮮な枝豆に拘っている。店先に枝付きの枝豆が並ぶようになると夏が来たと感じる。

私の枝豆の茹でかたは

  莢の片側をはさみで切り、流水でさっと洗い、塩でもんでうぶ毛を落とす。
  たっぷりの沸騰したお湯に塩を入れ、3~4分茹でてザルにあける。
  なるべく早く冷ます。

産地も地場産から→九州(熊本、佐賀、大分)→岐阜→群馬と北上して行く。
例年群馬産が出てくると、今年の枝豆もおしまいと思ってきた。

今年は生協の個別配達に加入した。週一回カタログを見て注文するが、生産地も全国版である。普段見慣れない珍しい食材もあり、カタログを見るだけでも楽しい。

この時期、枝豆は店頭で見かけなくなったが、山形産が「鳥海ちゃまめ」と載っている。注文して早速茹でた。ヒスイ色に茹で上がりおいしい!!
南北に長い島国日本は寒暖の差があっていいですね。あと何週新鮮な枝豆に有り付けるでしょうね。




冠婚葬祭に出席する時は、お祝いやお悔やみを携えていくことが通例である。それぞれの立場で出席してくればすむ。

ところが、当事者である場合は事情が違ってくる。お祝いやお悔やみを貰いっ放しというわけにもいかない。日本には「お返し」という習慣がある。結婚式では引き出物がこれに相当する。

一番多いのが半返しであろうか。いただいた額のおよそ半分を何らかの形で謝意を表す。これがまた大変である。悪しき習慣とも思うが、失礼がないよう気遣いする。数が多いと品定めや発送にも手間取る。

いつの頃からかカタログギフトが流行り始めている。
冠婚葬祭、お歳暮お中元、その他の贈答品までと利用範囲も広い。

今、自分で品物を選定して贈る人とカタログギフトを贈る人とでは、どちらが多いのだろうか?
カタログギフトを頂いたことはあるが、贈る側になったことはない。

遠方で結婚式や葬儀が行われた時はカタログギフトは便利かもしれない。品物を手持ちしたり発送することなく、後でゆっくり品定めできる利点がある。いざカタログを見ると、品数は多いが、意外に、自分の必要なものと合致しない、帯に短し襷に流しである。

病気などで外出できない人、忙しく売り場にいけない人には便利かもしれない。盆暮れなどの日常の贈答にはどうも・・・デパートの外商カタログを利用する程度で済んでいる。




haibisucasu

bu-gennbirea

にわか雨が多くなっている。朝、昼、夜と・・・
灰色の空に変わってきたなぁ~と思ったら、突然北側から、大粒の雨が叩きつける。

慌てて洗濯物を入れ、ガラス戸を閉める。2階まで間に合わないこともある。
外出の予定がある日は油断ならない。

日中は相変わらず真夏の気温、挨拶も“暑いですね”と交わす。
雨が多くなっていることは、秋の兆しであろうか。

うな垂れていた植物は、たっぷり水を吸収して元気が出てきた。
猛暑続きで灼けて花の色も褪せていたが、色鮮やかな花色を見せてくれる。




鳥の巣を模したメーンスタジアムで絢爛豪華な開会式で開幕した北京オリンピックも中盤を過ぎた。

地上デジタル放送が始まって、今回のオリンピックは専ら地デジで楽しんでいる。

確かに便利である。映像・音声もきれい。競技と連動した情報と最新にニュースが、見たい競技を見たい時間に見られることはありがたい。

TV観戦では当たり前のことながら日本を応援する。少しでも郷土に係わりのある選手が出場すると、声援しながらも、知らず知らずのうちに力んでしまいますね。
TVも郷里の熱い応援振りを映す。選手の闘争心も燃え、力強い後押しをしてくれる。

今回は競技時間が今までと違い、はじめは勝手が違った。ライブでTV観戦すると決勝戦は午前中、予選は夜間というスケジュールが多い。選手は体調の時間合わせが大変である。

スケジュールも後半に入ったが、日本が期待できる競技は?





hibisukasu


今日の地元紙の「かお」欄に、ベー・チェチョルさんと載っている。

タイトルは、
―がんで失った声を取り戻そうとリハビリを続ける韓国人テノール歌手―

「かお)」欄であるからプロフィールを載せているが、来日しているのだろうか?

記事に
二月に韓国に帰国。今はソウルの母校、漢陽(ハニャン)大学で声楽を教えている。
「イタリアとドイツに15年滞在しましたが、息子が小学校に入るので、家族でソウルに戻りました。やはり母国はいい。毎日おいしい韓国料理が味わえます」

「甲状軟骨形成」手術をした京都大学名誉教授・一色博士が「奇跡的」と呼ぶほど回復。
動かなかった横隔膜もかすかに動きだしたという。CD録音やコンサートなどを予定し、目標に向かってリハビリを続ける。

クリスチャンとしての信仰を心の支えにする。
「オペラの舞台に戻れるかどうか。それは分かりませんが、私は神様から与えられた声を自分のためでなく、皆のために使っていきたい」

彼については、2年前、朝のTV番組で偶然知った。韓国のオペラ歌手が甲状腺ガンで声を失った。彼の友人で音楽プロデューサーの尽力によって、日本で、「甲状軟骨形成」手術を受ける画面が映った。

更に昨年NHKのドキュメント番組で取り上げられ、大きな反響を呼んだ。番組の最後でふるさと韓国を訪ねている。そして韓国に戻ることを考え始めていると結んでいた。彼のその後どうしているだろう?と案じていた。

そんな矢先、今朝の新聞の記事である。生活の拠点をドイツから母国韓国へ移している。

彼はキング・オブ・ハイCの声を持ち、100年に一度傑出の、アジアのオペラ史上最高のテノール歌手と呼ばれた。ヨーロッパで数々のコンクールに出場し入賞し、実力を蓄えオペラの主役を張ってきた。ドイツの歌劇場とプリモテノールとして契約し、オペラの舞台に立っていた。

病気で歌えなくなってからも契約を延長してくれていた。ヨーロッパのアーティストを大事にする精神もあろうが、彼の実力があるからに相違ない。舞台に立てないことや子息の小学校入学が帰国を決意させたのかもしれない。リハビリに励み奇跡的に回復しているという。

7月に教会が主催する文化イベントで賛美歌を歌うために来日している。
声を取り戻す兆しかもしれない。

母国で心身を休め、リハビリに励みながらCD録音やコンサートが続いていけば、必ずやオペラの舞台に立てる日が来ると信じたい!!

彼のCDを聴いて休みましょう。





depura


ディプラデニア(キョウチクトウ科)が色鮮やかに満開です。

つる性でたくさん蕾をもっていたが、次々に開花しています。
蕾が密生しているので花も重なり合うように咲いている。

咲きはじめの花色は甘いピンク色であったが、だんだん紅色へ変化していく。
やさしい風情があり惹かれる花です。




oniyuri

暦の上で立秋が過ぎたからだろうか、天候も少し変化してきているように感じる。
2~3日喜雨に恵まれ植物も潤った。

連日35,6度あった猛暑も、1,2度気温が下がるだけで体感温度も違ってくる。

天気図は、相変わらず夏の高気圧が勢力を保っている。
空は岩のような夏雲が支配して、秋の気配には程遠い。
やがて空が少しずつ高くなって砂雲に変わっていく秋の兆しが待ち遠しい。

北京オリンピックが始まって、TVはオリンピック一色の報道の感じ、、高校野球も霞んでしまう。
今日は地元の2回戦も観忘れてしまった。結果は延長戦で勝って3回戦へ進出!




yasusouenn

先週の日曜、薬草の集いに参加した。

場所は「自然薬草の森」、鹿児島市から車で1時間、霧島市溝辺に位置する県の施設である。

背後に杉林を擁し、小高い丘や、湧水が流れる自然の地形に恵まれ、植物の植生によって植栽されている。

プログラムは4コース、午前と午後の部に分かれ、午前・午後に組み合わせは自由に出来る。私は2回目の参加である。

今回は夏休みの期間中とあって植物採集と標本の作り方も組まれていた。結構子供連れもいる。理科の先生の指導もあるので、夏休みのよい作品が出来そうである。

子供が小さい頃こんな催しを知っていれば参加したのに・・・でもその頃はこの施設はなかったです。
鹿児島県で植樹祭が開催されるのを期に出来た施設です。

私は下記の組み合わせで選択
午前・・・薬草教室(住と薬草についての講話)
午後・・・薬草園見学

前回「食と薬草」の話を聞いた。次回は「衣と薬草」という。11月も参加しようと思う。


yakusouenn2


夏真っ盛りである。熱中症をを警戒して出発前から水を十分持参するよう注意された。
午後の園内見学は参加者が少ない。講師の説明を身近に聞き取れてラッキーでした。

午後の薬草園見学は暑さを覚悟して歩き始めた。ところが日差しは強いが、山手で園内も木が多いいせいか、木陰は風が流れる。自然の中を植物観察しながら歩くと有酸素運動にもなって心地よい。

トウゴマ(当胡麻)のところで足が止まった。トゲのある球状に見覚えがある。
表示板の中に、ひまし油の文字を見て思い出した。

終戦後焼失したわが家の庭に植えてあったことを・・・
祖父が植えて薬用だと言っていたことを・・・
今日のように暑い時期に見た憶えがある。祖父も他界して40年余りになる

漢方薬は無害と考えがちだが、薬草には有毒な物も多い。漢方は薬草の組みあわせと量のバランスが相俟って相乗作用があることを知った。

広い薬草園は知らない植物が多い。四季によって違いもあろう。11月も参加して秋咲きの薬草の森を見たい!


hima
                   トウゴマ(当胡麻)
hima2





hangesho
                   溝辺の薬草園で


ドクダミ科    山の水辺に群生することが多い
  
「半夏生」とは、夏至から 11 日目(7 月の 2 日頃)のこと。
植物としての「半夏生」もこの頃に花をつけるからこの名前になった。

また,花に近い葉っぱの一部が白くなり花よりも目立つので、「半化粧」だともいわれる。
 
花が咲き終わって夏の盛りの頃になると、 白い葉の白い部分は色落ちして、ふつうの緑色になる。



hasu


今年も又原爆記念日が巡ってくる。

筒井茅乃さん? どこかで聞いたことのある名前である。
だが、咄嗟には思い出せなかった。

2月はじめ地元紙の三面記事欄に、小さなおくやみ記事が載った。
見出しの名前「筒井茅乃さん」、

次の欄に長崎の被爆者治療に尽力した永井隆博士の二女肝細胞がんで死去。66歳。
早すぎる死である。ここでやっと誰であるかを特定できた。結婚で永井姓が変わっていたからである。

永井隆博士のことは、映画「長崎の鐘」と表裏一体となって記憶している。

昭和25年、小学5年の時である。まだ太平洋戦争の傷は完全に癒えていない頃である。皆貧しかった。学校の映画鑑賞で「長崎の鐘」を見に行った。

50年余り前のこと、記憶も薄れて、場所は映画館、市立公民館のどちらであったかはっきり思い出せない。当時、学校から引率して見に行く映画はほぼ公民館であり、名画ではあるが古い映画であった。「長崎の鐘」は封切り間もない映画であったはずだから、映画館であったかも?・・・

占領下の日本において、GHQによる検閲の為、原爆及び被爆状況等について真正面から取り上げる事が出来ず、永井隆博士の生涯を描いた作品という形で製作された映画である。尚、戦後、日本人によって原爆を取り扱った劇映画第一号である。

子供心にも原爆の恐ろしさを知り衝撃を受けた。今も演じた主演の俳優を鮮明に憶えている。永井隆を若原雅夫(故人)、妻みどりを月丘夢路(故人)。映画のタイトルと同名の歌謡曲「長崎の鐘」も流行り、今でも多くの人に愛されている。映画を見てから彼の著「この子を残して」を読んだ記憶もある。

博士は1951年(昭和26年)に亡くなっている。訃報はラジオや新聞で報道された。私も弟を亡くした年であり、よく記憶している。ということは彼が生存中に作られた映画であったのですね。

時は流れた。

2001年5月、同窓会旅行で長崎・平戸を訪ねた。その時、博士の住まいであった「如己堂」と「永井隆記念館」を見学している。

記念館の館長に、隆の長男誠一(まこと)が就いていることは何かの折に知っていた。彼は大学進学以後ふるさとを離れていたが、定年退職後長崎に戻っていた。一人の級友が「彼は最近亡くなった」という。その時はまさかと深く気に留めることもなかった。

今回知ることになったが事実であった。2001年4月肺炎で帰天、65歳。5月に長崎へ行っているのでその直前のことになる。

新聞で知ったおくやみ記事の中で、筒井茅乃の書に「娘よ、ここが長崎です」があることを知った。映画「長崎の鐘」を思い出し、読んでみた。

彼女は大学卒業後関西に住んで結婚して母親となっている。この書は祖母の法事に娘を伴って長崎へ帰省した時を基に書かれている。被爆40年目にあたり、平和の尊さを娘に語り伝えることでもあった。

叉この書は2007年、永井隆生誕100年に当たり新装版が発行されている。その中で、執筆した当時お世話になった人のなかには故人になった人もあり、その冥福を祈っている。

娘もおとなになり、兄永井誠一(ながいまこと)が亡くなったあと、長崎市永井隆記念館の館長に、甥(誠一の長男)が就いていることも記している。

最近になって、他の記事で、「奇しくも永井博士生誕100年の記念行事を翌日に控えて亡くなられた茅乃さん。」とあった。

父隆の生誕100年の記念行事には、2人の子供、誠一(まこと)、茅乃両人とも故人となっていたのです。

永井隆の著書で映画化された「長崎の鐘」を見ているが、のちに「この子を残して」(1983年)も映画化されている。こちらは記憶にない。見ていませんね。

これも偶然であるが、TV出演している脚本家橋田壽賀子が語っている。
彼女は大学卒後、松竹映画会社に就職し、映画「長崎の鐘」の脚本家の一人であった。

女性は冷遇されている時代で、事務職に配置換えになった時に退職している。
苦節の末、今や押しもおされぬ周知の脚本家になっている。

2008年は、永井博士生誕100年に当たる。今年の原爆記念日は、父、母(原爆で爆死)、息子、娘の家族全員が天国で再会し、親子で一家団欒していることでしょう。


hanazuou

hanazuou2

暑い盛りであったが、自然薬草の森で行われる「薬草に集い」に参加した。

4月に参加して、今回は2回目である。

ポツポツ咲いているミソハギの枝の中に莢を見つけた。莢の中に実が入っている。
写真を撮って職員に尋ねたら「ハナズオウ」であると。

春に枝一杯に咲くハナズオウ、こんな莢が下がるのですね。
莢を開いてみると白い豆が入っている。マメ科であることも納得。


今日、福田改造内閣が発表された。

一日中、組閣のニュースで明け暮れる。

この時期の内閣改造は唐突な感じがする。

福田内閣発足時は、総理自ら「背水の陣内閣」と命名していた。
今回、メディアは背水の陣内閣2とも報じている。
もうすぐ北京オリンピックが始まる。オリンピック一色になるとインパクトが薄れる。その前のほうが・・・と穿った見方もしている。

政治には疎い主婦である。生活者としての視点から考えざるを得ない。
ガソリンの高騰、食料品の値上げ、医療費の負担増、家計を直撃することばかりである。

明るい話題は、郷土から大臣辞任(財務相)もあったが、新任(法務相)もあったことでしょうね。


07 ≪│2008/08│≫ 09
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
全タイトルを表示

マンマ

  • Author:マンマ
  • 好奇心、やじ馬根性旺盛な熟年おばさん?

Fc2ブログランキングに一票を!

-天気予報コム- -FC2-