- 2007/12/30 TV番組「あの歌声を再び ~テノール歌手べ・チェチョルの挑戦~」を見て
- 2007/12/29 鹿児島の「焼き海老」
- 2007/12/27 今年もあと4日
- 2007/12/26 見分けられますか?
- 2007/12/24 クリスマス
- 2007/12/23 年 末
- 2007/12/22 シクラメン
- 2007/12/20 代筆屋さん(夫は)だった?
- 2007/12/18 山茶花
- 2007/12/17 西 暦と和 暦
- 2007/12/15 ジャスミン茶(茉莉茶)
- 2007/12/13 落 葉
- 2007/12/11 シクラメン
- 2007/12/10 初冬の庭
- 2007/12/08 干し柿つくりました
- 2007/12/07 きょう 「大 雪」
- 2007/12/06 開聞岳と池田湖
- 2007/12/04 ハイビスカスティ 2
- 2007/12/03 ハイビスカスティ
2007/12/30 14:14:13

4~5日前、番組予告で、「再びベ・チェチョル・・・」の文字が飛び込んできた。
是非見たい、見逃したくないプログラムである。直ぐ録画予約しておいた。
昨夜のことである。
それでも、放送開始の時間になったら、じっとしておれなくなりTVの前に座った。
番組は
甲状腺がんに冒され、手術で歌声を失った韓国出身のテノール歌手「ベー・チェチョル」。声帯の機能を回復する手術を受け、再び舞台に立つために、懸命なリハビリを続ける姿を描いている。
その彼を2年間にわたって追い続けたドキュメンタリーである。
「べ・チェチョル」彼は韓国出身のオペラ歌手である。
彼のことは、昨年、朝のニュースの時間で偶然知った。オペラ歌手が癌で声を失ったという痛ましいニュースであった。
術前の歌声が流れた。オペラ「ツーランドット」のアリア『誰も寝てはならぬ』。身震いしそうな音質と豊かな声量に涙腺が緩んだ。
日本で声帯機能を回復する手術を受け、ドイツの自宅へ帰国するところであった。
あれから声が出るようになったのだろうか、そして歌は?と案じていた。
番組の予告は、待ち望んでいたその後の彼を知る好機到来、見逃してはならぬと逸った。
1時間50分の番組、TVに釘付けになって動けなかった。
「アジアで100年に1人の逸材」と言われた韓国人テノール歌手、ベー・チェチョル。その輝かしい歌声は今はない。
2005年、甲状腺がんに冒され、命はとりとめたものの、その手術の過程で声帯を動かす神経、喉の筋肉が切断された。歌手にとって命と同様の「声」を失ったのである。
絶望と苦悩の日々を過ごす。「もう一度、人々に歌を届けたい」。その一念で、歌声を取り戻す闘いを始めた。昨年日本で音声外科手術の世界的権威である京大医学部・一色信彦名誉教授による手術を受け、奇跡的に「声」を取り戻すことが出来た。
日常会話は問題ない。歌の練習を始めるが高音が出ない、息が続かない。
甲状腺癌を摘出する手術を受けた際、声帯をコントロールする神経だけでなく、右側の横隔膜を動かす神経も切断されていた。
歌手にとって、呼吸を司る横隔膜は、エンジンそのもの。その半分がコントロール不能になってしまったも同然。一難去ってまた一難。
だが、壮絶な戦いと歌声を取り戻す執念、自分に課せられた試練であるという。舞台復帰を遂げる日、その日を信じて、過酷な治療やリハビリに励む。
彼の周囲には素晴らしい日本の音楽プロデューサー、支援する人々がいる。
再起の力になればと、日本で「復帰コンサート」(11月25日)を開いてくれることになったのである。
たとえ完全復帰はかなわなくとも、舞台の上で歌うことが復帰へ繋がる。
それはオペラ終演後、観客が戻った後の劇場で、彼らの前でアカペラで歌うのである。
一瞬迷ったが、「これまで応援してくれた人たちに、自分の今の回復振りをお見せするのが僕の責任だね」と決心した。
舞台は2003年日本でオペラデビューした『イル・トロバトーレ』と同じ劇場「オーチャードホール」。この日の演目も『イル・トロバトーレ』の公演後である。いろいろな想いが過ぎったであろう。
広い劇場に、賛美歌が、深く、静かに、厳かに響く。私は身じろぎ一つ出来ない。歌い終えた彼の目は潤んでいた。
再起を目指すベ・チェチョル、プロデューサー、支援する人々が一体となった「復帰コンサート」、目に涙が光っている。映像をみている私も同様に・・・
今回、まだ38歳の若さであることも知った。
彼の挑戦は続く。
舞台へ立てる日は必ず来ると信じる。
これからも見守りたい。
心を突き動かされた素晴らしいプログラムであった!!

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2007/12/29 15:37:04

写真は鹿児島のお雑煮に使う焼き海老です。
鹿児島の雑煮の特徴は,鹿児島特産の焼き海老を,一昼夜水に浸してとった汁をだしにして作るところにあります。雑煮の内容は、あくまでも、だし汁と味を損なうことのないように、餅、里芋、青菜とシンプルです。
島津藩主の正月料理としても欠かせない物だったようです。
この海老は出水など不知火海を漁場とする沿岸で、独特の「ケタ打た瀬漁」で捕獲される。
「ケタ打た瀬漁」は動力を使わず、帆を張って北からの季節風の力に頼って操業する。
クマエビは焼きエビに加工され、正月の贈答品などに重宝される。
高価なものです。(1~3万)
東京に住む娘が、年明けに鹿児島の雑煮を作るという。
昨日納屋通りの乾物屋へ行った。
焼き海老の吊るされた店先を見ると、正月も近い年末の風物詩の景である。
市場通りであった納屋通りは、お洒落な洋品店が多くなり、かっての通りの雰囲気も変わってしまった。
店主も6軒在った乾物屋もここだけになってしまった。
にぎやかな昔の通りを知っている人も少なくなっていますと・・・ちょっと寂しい。
椎茸など量りで売ってくれる昔ながらの乾物屋さんに、いつまでも残っていて欲しい!

2007/12/26 10:40:42


皿に乗っている2個の果物は何でしょう?
名前を即座に言い当てられたら素晴らしい!
それでは下の輪切りした写真ではどうでしょう?
正解は、
右・・・パッションフルーツ(食用時計草)
左・・・むべ(郁子)
食べたことのある方はどちらがお好きですか?
私はパションフルーツです。
パッションフルーツは、ブラジル原産、つる性で温暖なところで栽培されている。
写真は奄美大島産。亜熱帯気候の奄美はよく育つ。
数年奄美に住んでいた頃、庭で育てたが驚くほど結実した。受粉と日々大きくなる実を眺めることは楽しかった。
輪切りにしてスプーンで種ごと食べます。ジュースもあります。
トロピカルな芳香がして風味を楽しめます。
花を見ると時計草の命名に合点!
むべは、常緑つる性植物で山野で見られる。似たものにアケビ(通草)がある。
むべは熟しても裂開しない。
パッションフルーツ、むべのどちらも種が多い。
生食は面倒な気もするが、それもまた味わいのあることでは・・・


2007/12/20 22:34:17
今日1通の封書が夫宛に届いた。
差出人は、熊本に住む夫の大学時代の友人Hさんである。
開封(勿論夫が)したところ、手紙と一緒に思いがけないものが同封してあった。
筆書きの履歴書のコピーである。
それはHさんが就職する時提出した履歴書のコピーである。本人でもないのにどうして家にと思うが、これには訳があった。
手紙によると友人の履歴書を夫が代筆しているのである。
彼はガリ切りの達人であったが、毛筆は自信がなかったのでお願いしたと・・・
年齢が70半ばの世代である。50数年前は、履歴書は毛筆書きとなっていたのだろうか?
就職した会社に一旦提出した履歴書をどうして入手したのだろう?それは退職時に希望して返却されたのである。何十年も会社が保管していたことも驚きである。
50年も前のこと、代筆した本人も憶えていなかった。
「書いたかな、毛筆できると知っていたかな?」
「保存してあって返却するとは、さすが○TTだなぁー」
コピーを見ると紛れもなく夫の字である。思いがけないご対面に当人もびっくり!!
履歴書って自筆じゃないのとも思うが、お堅いことを言わないで・・・
古きよき時代、よき学友にめぐまれた頃のお話です。
※ 同窓会は夫人参加出来るので私も出席する。この世代は戦争を挟んでの青年期、同期生でも年齢層もばらつ きがある。人生の経験、話題も豊富で面白い。次回の宮崎開催を楽しみにしている。

差出人は、熊本に住む夫の大学時代の友人Hさんである。
開封(勿論夫が)したところ、手紙と一緒に思いがけないものが同封してあった。
筆書きの履歴書のコピーである。
それはHさんが就職する時提出した履歴書のコピーである。本人でもないのにどうして家にと思うが、これには訳があった。
手紙によると友人の履歴書を夫が代筆しているのである。
彼はガリ切りの達人であったが、毛筆は自信がなかったのでお願いしたと・・・
年齢が70半ばの世代である。50数年前は、履歴書は毛筆書きとなっていたのだろうか?
就職した会社に一旦提出した履歴書をどうして入手したのだろう?それは退職時に希望して返却されたのである。何十年も会社が保管していたことも驚きである。
50年も前のこと、代筆した本人も憶えていなかった。
「書いたかな、毛筆できると知っていたかな?」
「保存してあって返却するとは、さすが○TTだなぁー」
コピーを見ると紛れもなく夫の字である。思いがけないご対面に当人もびっくり!!
履歴書って自筆じゃないのとも思うが、お堅いことを言わないで・・・
古きよき時代、よき学友にめぐまれた頃のお話です。
※ 同窓会は夫人参加出来るので私も出席する。この世代は戦争を挟んでの青年期、同期生でも年齢層もばらつ きがある。人生の経験、話題も豊富で面白い。次回の宮崎開催を楽しみにしている。

2007/12/17 00:24:21
平成19年も残り半月足らず、平成に変わって早くもそんな年月が経過しているのですね。
月日の流れは速い。
今、年賀状を書く時期である。
来年は平成20年、切りがよい数字である。
大かたの場合、賀状には年号を入れるが、和暦と西暦のどちらが多いのだろう?
縦書きの場合は和暦で、横書きは西暦でしょうか。
私は横書きだから西暦で書いている。
日常使いは、これまでは西暦より和暦に慣れ親しんでいた。
ところが、この頃西暦のほうが分かり易くなってきている。
昭和の時代は長く続いたので、特定の月日や年月の期間も勘定しやすかった。平成に変わってから勝手が違ってきた。はじめは、手っ取り早く昭和に換算すると○年だからとやっていた。
昭和64年と平成元年は、同一年に存在するからややこしい。
このあたりから西暦で憶える方が正確であると気付いた。
決定打は2000年の年である。
ミレミアムと騒がれた年で切りのよい数字で憶えやすい。
ここを基準に換算すると間違いないと思った。
今では、年号の記憶は、2000年以降は西暦に変わっている。
あなたは、和暦派? 西暦派?

月日の流れは速い。
今、年賀状を書く時期である。
来年は平成20年、切りがよい数字である。
大かたの場合、賀状には年号を入れるが、和暦と西暦のどちらが多いのだろう?
縦書きの場合は和暦で、横書きは西暦でしょうか。
私は横書きだから西暦で書いている。
日常使いは、これまでは西暦より和暦に慣れ親しんでいた。
ところが、この頃西暦のほうが分かり易くなってきている。
昭和の時代は長く続いたので、特定の月日や年月の期間も勘定しやすかった。平成に変わってから勝手が違ってきた。はじめは、手っ取り早く昭和に換算すると○年だからとやっていた。
昭和64年と平成元年は、同一年に存在するからややこしい。
このあたりから西暦で憶える方が正確であると気付いた。
決定打は2000年の年である。
ミレミアムと騒がれた年で切りのよい数字で憶えやすい。
ここを基準に換算すると間違いないと思った。
今では、年号の記憶は、2000年以降は西暦に変わっている。
あなたは、和暦派? 西暦派?

2007/12/15 01:49:01


今や中国茶は、すっかりお茶の間に溶け込み、日常飲まれるようになっている。
中でも、ウーロン茶はペトボトルで販売され親しまれている。
ウーロン茶もよいが、ジャスミン茶に惹かれている。
お湯を注ぎ、ほんのり優しい香りのするジャスミン茶はおいしい。
中国茶は冷たいものより熱いほうが好きである。
中国では冷たいお茶を飲む習慣はないらしい。
中国語でジャスミン茶は「茉莉花茶」と書く。
「茉莉」とはジャスミンのことで、「茶花」は花や果物の香りを付けたお茶である。
大連へ旅行した娘から土産のジャスミン茶が送ってきた。
「茉莉仙桃」と書いてある。
缶を開けると、コロコロと丸まったお茶がでてきた。
以前これに似た形のお茶を飲んでいる。お湯を注ぐと葉が開くものであった。
早速お湯を注いで椀を見つめていた。徐々に葉が開き、真ん中にまるで苺のように赤い実が・・・
きれいに開いたところで飲んでみる。優しい香りが立ち、和らいだ気分になる。
このジャスミン茶は、白い産毛の生えた新芽を、手揉みして丸い形にした茶葉が特徴で、茶葉を一つひとつ集めて、丁寧に糸でしばり、形づくってある。
白茶がベースであるから優しい風味なのですね。5煎ぐらいまで飲める。
紅茶に例えると、差し詰め「ファーストフラシュ」であろう。
普段飲むジャスミン茶と違って格別に美味しい!
疲れたときにゆっくり味わいたい!

2007/12/13 21:59:07


定期健診でわが家を8時に出た。
2年前に徐脈が原因でぺースメーカーをインプラントしている。1年に一回メーカーとドクターのチェックが必要である。
胸部レントゲンと心電図を撮り、診察を受けた。異常はなく1年後の検診でよいといわれほっとした。ペースメーカーはインプラントしているが、幸い他の心疾患はないので薬は飲んでいない。
10時に終わったので、近くの甲突川公園まで歩いた。
この公園は市内を流れる甲突川河畔にあり、桜の美しいところとして知られる。花見シーズンは市民が桜を愛でながら飲食を楽しみ、憩う場所でもある。
数日前バスの車窓から河畔の紅葉に気付いた。桜が紅葉している、珍しい!
降りて見たかったが、夕方の戻り道であったので諦めて帰った。
小雨が落ちてきた。
数日前と違い、だいぶ落葉している。昨日も午後から小雨が降っている。
地表を黄、紅色に染めている。ちょっと湿って風情のある河畔になっている。
南で桜の紅葉は珍しい。今年は11月末に寒が来て一気に紅葉している。例年台風で落葉しており紅葉はまばらであった。街路樹の銀杏も黄葉してきれいであったが、落葉し始めている。
今年の桜は「花見」と「紅葉」と2回も楽しませてくれました。

2007/12/03 23:38:49


12月の第一土曜は、毎年恒例の高校の同期会が開催される。
みみずく会(S33年9回卒に因んで)と称している。
今年は2日目にバスツアーが企画された。
来年NHK大河ドラマで「天璋院篤姫」が放送されるが、篤姫ゆかりの地指宿今泉を訪ねた。
昼食を開聞岳麓の香料園でとった。
ハーブ園があり、ローズマリー、レモングラスその他・・・
見覚えのあるハイビスカスが・・・活け花の花材に使ったことがある・・・
売店でハイビスカスティを見た。抽出した液はルビー色のきれいな赤である。
ハイビスカスというと、南国のトロピカルな赤い花を連想するが、観賞用に品種改良されたもので、食用にはローゼル種を用いる。
食用のドライハーブ(乾燥した花の蓼)を使用してあると説明してくれた。
観賞用のハイビスカスに比べると小さい黄色の花を咲かせる。日本での栽培はむずかしいらしい。
売られているものもエジプト産と書いてある。
クエン酸の酸味が苦手な人は好みで砂糖を入れるとよい。試飲したが飲みやすい。
鮮やかなルビー色に惹かれる。フルーツパンチもよさそう。
奄美でもハイビスカスティを飲んだが、紅色で酸味が強かった。ティーパックであった。
紅茶もそうであるが、パックよりリーフを淹れる方が芳香、風味が引き立つ。
スペインで飲んだサングリアの色を思い出す。あちらはぶどう酒の色ですね。
ホットでもアイスのどちらでも楽しめる。
のどの炎症をおさえる効果があるので、風邪をひいたときやのどを使い過ぎたときに飲むと最適。
さしずめ、この冬はホットで飲んでみましょう!

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昨年、最初から頑張ってくれた仙田君から、「閉鎖したい」との事でしたが、平山君や吉村君らと相談して本〇どん入院していました①Re: どうしましたか?コメントありがとうございます。
思いがけない突然の入院でした。2週間の入院で無事退院でき帰宅しました。
退院後の通院の必要もなく完治です。日常生活に戻りつつありまマンマ入院していました①どうしましたか? 11月になって、ブログの更新がないので、気にしていましたが、救急車で運ばれたとは?!
どこがどのようになって、入院されたのですか?
ここ2~3日、見ていただいてい本〇どん高級食パンRe: ブログ訪問させていただきましたご訪問、コメントありがとうございますマンマ高級食パンRe: ご主人さまの「手術」良かったですね?!いつもご訪問ありがとうございます。
主人の眼の手術、無事終わりほっとしています。マンマ高級食パンRe: タイトルなしご訪問、コメントありがとうございますマンマ高級食パンRe: タイトルなしご訪問、コメントありがとうございます。マンマ