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2007 / 02
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友人に誘われて映画『幸せのちから』を見てきた。

ホームレスから億万長者となり、アメリカンドリームを実現させた実在の人物、クリス・ガードナーの半生を基に描いた実話から生まれた感動作である。

帰る家も食べものを買う金もない、人生の最も困難な時期を、愛する息子とともに全力で切り抜けた父子愛のドラマでもある。

映画ではどん底へ落ちていく過程に時間を割きすぎている。
成功した後の物語をもっと描いてほしかった。
だが、久しぶりに、努力する者が報われる、爽やかなストーリーの映画であった。

演じているのはウィル・スミス、息子役は彼の実の子である。
親子の演技は秀逸であった。
彼は2007年アカデミー賞、主演男優賞にもノミネートされていたが、残念ながら賞は逃している。


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周辺

雅叙苑の周辺はちょっと起伏のある所である。

入り口から左に折れて発電所の方向へ歩きはじめた。なだらかな坂道をゆっくり上る。
坂道の左手には趣のある外灯、右手は木が生い茂っている。あちこち苔むした所が多い。

外灯

藁葺き屋根を外から眺めようと坂道を上っていくが、木や枝が遮ぎり、距離が短すぎる。屋根が重なり合う様な感じで、外観の茅葺の屋根群の全容は見えない。

昨年泊まった石原荘側からは、雅叙苑は天降川を挟んでくっきりと望めた。風情のある藁葺き屋根、白色光が薄ぼんやりと灯って見えた。

人の往来もない。右手に石を抱いた木があったのです。
先月旅行したアンコール遺跡群の「タプローム」を思い出した。
根の張り方は同じである。暑いカンボジアはガジュマルの根の張り方も凄まじく、遺跡を破壊する威力を持っている。

タプローム?

坂も終わり、逆方向からの雅叙苑への入り口まで来た。
辺りは紅白梅ともに満開を過ぎているが、山里をほんのり染めている。
ここから引き返した。

部屋に戻って、外湯の温泉「健湯(たけるゆ)」に入った。
4~5人入る岩風呂は、一枚岩をくり抜いた湯舟である。
誰もいない。掛け流しの温泉は溢れている。
泉質は、鉄分を含んだ弱アルカリ性土類重曹泉
湯冷めすることなくいつまでもぽかぽかと温まっていた。

夕食は息子夫婦と一緒にこちらの部屋で食した。
新鮮な鶏や卵、無農薬野菜をたっぷり使った田舎の味である。素材を生かし、しっかり出しをとった薄味仕立ての料理である。鶏の刺身は苦手な私もおいしいと感じた。
夕食に魚料理が一品も出ないことも珍しい。

日頃、離れて暮らしている息子夫婦とも久しぶりにゆっくり語れる。
夫も饒舌になっている。うれしいのであろう。 

        
  ~おしながき~

おしながき


果実酒
季節の野菜盛り合わせ
地鶏刺身盛り合わせ
地鶏焼き
山菜田楽(手づくり味噌)
そばの実入り団子汁
  (さつま芋のでんぷんで作っただご入り)
黒豚の角煮
    (黒砂糖と焼酎で味付けし、じっくり煮込んだ鹿児島黒豚)
煮〆
摘み草揚げ(よもぎ、みつば、おおばこ、つばきの花びら、ふきのとう)
豆乳蒸し
田舎そば
   (毎日手打ち、だし汁は天然の乾燥鮎使用)
山菜ごはん、さつま汁
                             つづく

鶏刺し
    鶏刺し
野菜盛り合わせ
   野菜盛り合わせ
田楽&角煮
    田楽&角煮
山菜ご飯
   山菜ご飯





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一戸建ての部屋

1日目

息子夫婦は1時に到着する。少し早めに鹿児島空港へ出迎えに行った。
到着ロビーへ行ってみると、15分遅れの表示になっているので、2Fのラウンジで昼食を済ませた。

似た時刻に3便到着する。出迎えの人も集まりはじめている。
1人の男性が、直ぐ側を通り過ぎ斜め前に横向きに立った。
どこかで見たような? 然し、咄嗟には思い出せない。
手にしていたコートを羽織った時、正面からの顔が見えた。

瞬時に、N○Kのど自慢の司会者、宮本アナウンサーに似ていると思った。
最近ネットのニュースで、「3月で退職してフリーになる、某民放局に行くらしい」と報じていた。ちょっとした「時の人」でもあったことも派生して・・・

退職前の忙しい時期に、どうして鹿児島に? お節介な疑問が生じて??
暫くの間、携帯電話をしたり、到着ロビーに人待ち顔で立っていた。

間違って元々、よほど声を掛けようかと思ったが・・・ 誰も気付いている様子もない。
デジカメは持参していたが正面からカメラを向ける勇気はなかった。
辛うじて斜めからのスナップを撮った。

ところが、2日後の日曜日は、鹿児島市の宝山ホールからの「のど自慢」中継である。宮本アナウンサーが画面に映っている。なんという偶然!! これで1昨日空港で見た男性は彼に間違いなかったと確信した。

思いがけないところで、有名人?を見つけて、誰も気付いていない。こんな場面って、ちょっとうれしくありません? 私の野次馬根性とミーハーな性分は、くすぐられてご機嫌でした。

雅叙苑は、空港から近く20分ほどで到着した。

ロビー4

先ず「ロビー」に案内された。
なんと藁葺き屋根の1戸がロビーになっている。
中央の囲炉裏に炭火が焚かれ、周りに木製の椅子5脚、ベンチだけの素朴なロビーである。
夜は、ここに集まって酒を酌み交わしたり、音楽を聴いたり、思い思いの時を過ごす団欒の場である。

飾り気のない、風通しのよいロビーに吃驚した。
今までのイメージとは程遠いロビーである。

ロビー3
      ロビー
ロビー2

案内された部屋は「もみじ」
部屋といっても藁葺き屋根の一戸建てである。
昔の藁葺き屋根の家を移転して宿にしている。

天井裏

室内

一歩足を入れると、大きな梁の屋根裏、囲炉裏、優しい木目が映る。
冷蔵庫の扉も木目。その上に角型の竹かごが乗っている。子どもの頃、この篭を持って豆腐買いに行っていましたね。
ここでは庫内の飲み物を運ぶためのものだろうが・・・
趣がありこの部屋に溶け込んでいる。

一枚ガラスの部屋の戸を開けると、露天風呂がでんと座っている。
一枚岩を人一人はいる湯舟サイズに掘ってある。
竹竿から温湯が張られ、賭け流しの湯が溢れている。

軒下に簾がかかってはいるが、外気が入り前面の景色は丸見えである。
部屋からそのまんま露天風呂へ、なんとも贅沢な!!

テーブルには野いちごの葉に、「○○様、ようこそ忘れの里へ どうぞごゆっくり おすごしください 主人」と、文字が添えて置いてある。
日常を忘れ、この空間を丸ごと独り占めできる。

水周りは当世風の洗面所とウオッシュレット仕様になっている。
新、旧使いの部屋造りでも、ちっとも違和感がない。

夕食まで間があるので、近くを歩いてから温泉に入ることにした。       つづく


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雅叙苑

昨年同様、息子夫婦のお正月帰省は、時期をずらして2月となった。
正月の慌しい時より落ち着いてゆっくり語ることができる。

2人とも仕事を持っているので2泊3日の短い帰省である。
1泊は、霧島妙見温泉の宿「雅叙苑」を予約してくれていた。
妙見温泉は天降川沿いに湯処が点在する新川渓谷の温泉。
明治時代中期に妙見神社跡から湯が湧出し、この名がついたと伝えられる。

昨年宿泊した「石原荘」とは、天降川を挟んで真向かいに位置する。一帯は湯治場だったところで、今も静かな佇まいの山あいのところである。

「石原荘」と「雅叙苑」は霧島妙見に在り、しかも両者は近い距離に立地する温泉宿である。それぞれ宿の趣は違い、どちらの知名度も全国版である。

「雅叙苑」は
昨日を忘れる里といい
明日を忘れる里という

庭に鶏が遊び、ロビーは囲炉裏に薪が一年中燃えて、
働く人の優しさが、笑顔が自慢の宿と謳っている。

客室は藁葺き屋根の「離れ家形式」で10部屋。
客室専用露天風呂付は6室ある。
その他に露天風呂が3カ所ある。

料理は地元の食材を使用。
朝食は薪で炊いた御飯を供す。
________________________________________

雅叙苑2

雅叙苑は

忘れの里の入り口は坂道を下る。
往来の真ん中を遊ぶ
鶏の親子にふと心をとめた時、
背負ってきた時間が去っていった。

時の流れが置き去りにされた篭がある。
囲炉裏がある。竹のざるに芋が3つ、
コーンコーンと木を打ち案内を請う。
ここがロビーだ。

空っぽになった時間をなんで満たそうかと考える。
囲炉裏でカッポ酒、渓流を聞くのーと、
囲炉裏端でとっておきのバーボン、
CDサウンドを聞くのーと
どっちが乙かな・・・などと

山里には季節が一番の馳走
渓流が、山林が、土が、空気が
四季折々の幸を産む

秘湯、山菜、藁葺きの宿
日常を離れたところに
旅の醍醐味がある

「雅」は風雅な趣
「叙」はこれを与えうることなり

雅叙苑とは
その名のとおり趣を楽しむ里
心を存分に遊ばせるつもりでお越しください     ー「雅叙苑」HPよりー
                                づづく


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旅に出ると珍しい特産品を見たり、おみやげ探しも楽しみの1つである。

今回の旅行は東南アジアのアンコールワットとホーチミンである。
アンコールワットの遺跡見学とホーチミン市内観光が主目的で、あまりショッピングする予定はなかった。

クレジットカードやトラベラーズチェックは使える場も少ない。
通貨は米ドル持参がよいという。
物価も安いので300ドルだけexchangeした。

当初、1月半ばの今度の旅行は参加できないと思った。昨年11月に母が他界して服喪中の身である。事実一度はキャンセルしたが、年内に四十九日の忌明け法要を済ませたので参加可能となった。

事前準備する余裕もなく、ガイドブックを読む間もなかった。目ぼしい土産のチェックも出来ないまま旅立った。

機内で読んだガイドブックに、「3$で買えるグッズ」と書いてある。
値段も手ごろ、これはいい、その中に「水牛の角がワンポイントの箸」2$。
マホガニー調の色合いで、オリエンタルな食卓を演出してくれる。どこの雑貨店でも手にいる。
嵩張らず、軽いし、迷わずこれに決まり。

今回は、素朴な民芸雑貨を見られるといいと思っている。
「オリエンタルとヨーロッピアンのエッセンスが詰まったベトナムのお土産」の文字に、好奇心はくすぐられ、マイナーなイメージの品がありそうで・・・

ガイドが案内する店は、品質は確かに違いないが、値段は高い。同じものを街中で見つけられたら格段に安い。市場は、定価はあってないようなものという。値段交渉次第でもっと安くなる。日頃の主婦の腕を発揮して、まとめ買いして値切ると、言い値より必ずまけてくれる。

シェムリアップの空港で色々なスパイスを見つけた。
香りのよい黒胡椒、カレーパウダー・・・3$

スパイス

ホーチミンのベンタイ市場で
「水牛の角ワンポイント」黒檀の箸(10人分)   9$
「ベトナム茶」    3$

箸

ベトナム茶

ベトナム茶3箱で5$では交渉したが、この単価は譲らなかった。蓮茶は値引くというが、機内でおいしかったベトナム茶に執心していたので、ここは言い値で購入。
ベトナム茶はジャスミン茶のようである。

この市場では入念に見てまわれば民芸雑貨はありそうであった。あらゆる空間を駆使して商品が並び、ぶら下っている。フリーの時間に見るつもりでいた。然しあまりの喧騒と雑踏に圧倒され再度行く気になれなかった。

布製のポシェット3$。自分用に1つ買ったが、まとめ買いした人もいた。
旅行業者の「おみやげのしおり」には10$とあった。

ポシェット

コーヒー(ベトナムのコーヒーは有名?)は、
コーヒー文化が定着している国だけあって、豆の質もよいという。

コーヒーとジャスミン茶は離陸前のホーチミン空港の免税店で購入した。1~3$。チョコレートも1、2$のものは小ぶりで、残った外貨を使い切ることも出来て便利。
今回は、値の張るおみやげは買う気もなければ見る時間もなかった。
民芸雑貨も、ゆっくり見て周り吟味する時間があれば、掘り出し物を見つけられたかもしれない。
だが、時間切れで心残りぐらいのほうが宿題を持ち越されたようでよいと思っている。


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ヒヤシンス

外気も緩んでくると、春探しに出かけたくなりますね。

2月に入って、外出の多い日が続いている。
法要で長崎にも行った。
先週末は息子夫婦の帰省で妙見に一泊、日曜日に帰京した。

今週も連日予定が詰まっている。
主婦が何の用事?たいしたことはないのです。

好きなことや遊びで出かけるときは苦にならない。
ましてこの冬は風邪もひかずにすこぶる体調もよい。

でも、こんな時は危険信号!
すぐ病魔がやってくる。

ずっこけるのも早いが、起き上がるのも早い。
調子にのらず、ちょっと用心しなくちゃ・・・


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つき

毎月第三の月曜日は、『珊瑚の会』の定例日である。
私は久しぶり、5ヶ月ぶりの出席である。

昨年後半は長崎に住む母の入院・他界で色々な会を欠礼してきた。
喪も明けてやっと普段の生活に戻っている。

珊瑚の会は短大の同窓生で、専攻を同じくする(栄養士)同窓会である。
昭和35年卒の35の語呂に合わせで『珊瑚の会』と名づけた。
30名足らずの仲間でこじんまりとした会である。
県内県外に、ほぼ半数ずつ居住しているが、物故者も4人いる。

還暦同窓会を期に2年おきに同窓会旅行を実施している。
地元鹿児島では毎月第3月曜日に定例会を持っている。集合場所だけ決めており、都合のよい時だけ参加すればよい。
堅苦しい会合があるわけではなく、集まったメンバーで昼食を共にしてお喋りして散会する気楽な集りである。今日は7名集まった。

今年は旅行の年に当たり、私は幹事役でもある。
行く先は、5月下旬、山陰の足立美術館、松江・出雲に決まった。
先日案内状を送ったばかりである。10人ぐらいの参加者がありそうである。
明日は旅行業者と細かいプランを作ることにしている。


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今日の「のど自慢」の放送は、鹿児島市の宝山ホールからの生中継であった。

これで一昨日私が鹿児島空港で見た人は間違いなく司会者の宮本アナウンサーであったと確信が持てた。自分自身に相槌を打って妙な納得をしているのです。合点がいったのです。

というのは、同日の昼過ぎ、東京から帰省する息子夫婦の出迎えに、鹿児島空港の到着ロビーで待っていた。

私の横を通り過ぎ斜め前に立った男性の顔に、どこかで見たような?見覚えがあるような?
だが、咄嗟には思い出せない。
到着したばかりのようで、コートを羽織ったが、そのとき正面の顔が見えた。
そうだ、N○Kの宮本アナウンサーに違いない!

最近ネットのニュースで、「3月で退職してフリーになる、某民放局に行くらしい」と報じていた。ちょっとした「時の人」でもあったことも派生して思い出した。

退職前の忙しい時期に、どうして鹿児島に? お節介な疑問が生じて、
暫く到着ロビーに人待ち顔で立っていたので、間違って元々、よほど声を掛けようかと思ったのですが・・・
デジカメは持参していたが正面から撮る勇気はありませんでした。斜めからのスナップで失礼!
TVの画面で見るより細身で若々しく見える。

誰も気付いているような気配もない。
エェ~~、ミーハーで目敏い私だけが気付いたのですよ!!

 Mアナ




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風呂

昨日、息子夫婦が東京から帰省しました。
鹿児島空港で落ち合って、霧島・妙見の「雅叙苑」に宿泊しました。

「雅叙苑」は、昨日を忘れる里、明日を忘れる里といわれる自然と一体となった温泉宿です。

藁葺きの1戸建て、一枚岩をくりぬいた部屋付きの露天風呂で、景色を眺めながら賭け流しの湯にはいりました。風呂も景色も独り占め、贅沢な空間と時間を満喫しました。
ぽかぽかと温まって何度も浸かりました。


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木瓜

今年は暖冬といわれるが、やっと木瓜の蕾が膨らんだ

ほんのり紅色に染めて、まるで赤子の柔肌のよう・・・・


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ま と め

アンコールワット

今回の旅の目的は、カンボジアのアンコールワットをメインとしたアンコール群の遺跡見学とベトナムのホーチミン観光であった。

なんといっても「アンコールワット」の印象は顕著で、特筆すべきことが多い。
 700年もの間、ジャングルの中で眠り続けていたとは信じがたい。
 ヒンドゥー神話物語のレリーフ、天女像の精緻な彫刻、数の多さに圧倒される。
 この遺跡は現代でも人々に神秘と安堵を与えてくれる。

アンコール近辺を見て、カンボジアは貧しい、発展途上の国の印象が強い。町の表通りはマンションなど建築ラッシュに見えるが、一歩農村部に入ると高床式の粗末な住まいである。内戦の影響を引きずっている。だが自然と共に暮らす人々の表情に暗さは感じられない。

観光客のバスに近づいて、民芸品や絵ハガキを売る子どもの目を見るときは切なかった。必死にすがる様な眼差しで見つめられると辛い。日々の糧を稼いでいるのだろうと思うと・・・

トンレサップ湖のミニクルーズでは、はじめて水上生活者の暮らしぶりを垣間見ることが出来た。子どもも親の手助けをしている。貧しいが日本では希薄になってきている家族の絆を感じた。

ベトナムは、 北のハノイの町並みは中国の文化の影響を受け、南のホーチミンはフランス統治時代の影響が残っているという。その名残りは、有名なホーチミン市郵便局、聖母マリア教会に代表される。

ホーチミンは旧南ベトナムの首都サイゴンである。南北ベトナムは統一して30年経ち、国も社会主義共和国になった。町はホーチミン市に変わっても、川の名前はサイゴン川である。宿泊したホテルもサイゴン川沿いにあった。旧サイゴンに行ったことはないが、ホーチミンよりサイゴンのほうが馴染みもあり、印象が強い。きっとベトナム戦争の報道のインパクトが印象に残っているのかもしれない。

町にアメリカの面影は感じられないが、社会主義体制に変わって、近代化は足踏みしたのではなかろうか。近代化へ向けての息吹は感じられる。車とバイクの洪水の渦には只々びっくり!!

中華街のチョロン、ビンタイ市場も行ってみたいところであった。
旅に出ると市場やスーパーマーケットを見物したいと思う。珍しい果物や食材に出会うとうれしい。市街地に近いベンタイ市場はちょっと行ったが、あまりに雑然としてゆっくり見ることは出来ない。機内で飲んでおいしいと思ったベトナム茶は見つかった。

文明を享受して暮らしている人(とりもなおさず日本人?)と家族と自然の流れの中で日々の営みをしている人(今回の旅で見たカンボジアの人々)、その落差は厳然たる事実である。
逞しく暮らしているカンボジアの人を見て、
“物質文明に充たされ、心はどこにあるのだろう?” “人間の幸せは?”と己を振り返り考えさせられる機会になった。

ハプニングもあった。
旅の最終日に体調不良の人がでた。
真冬の日本から、30度のカンボジア、ベトナムへ来ている。食事は中華系で油分が多い。頭では分かっていても体の切り替えはできていなかったのであろう。腸炎もどきになった。
夕方添乗員に付き添われて病院へ行った。帰国寸前になって心配しました。

深夜に飛び立つ航空便のぎりぎりの時間に間に合い搭乗できた。皆と一緒に帰国出来て安堵しました。なんと、仲間の中に女医さんがいて的確なケアーをしてもらえたのです。幸運でした。
体調管理の重要性を痛感した旅でもあった。     おわり

ブーゲンビレア



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ホーチミン (4日目の夕方)~帰 国(5日目)

夕食は海鮮料理である。
中華料理メニューであるが海鮮を主とする広東系であった。

テーブルの前で見せてくれた料理は、
紹興酒に活き海老を入れて火にかけて煽ると、一気に湯気と炎が立ち上がる。ガラスの鍋で海老は勢いよく踊っているが、こともなげに鍋をつかんでいる。同様なつくり方は香港でも見ている。
アルコール分は飛び、鮮やかな紅色の海老はぷりぷりしておいしい!

味付けは薄味、さっぱりして日本人好みである。油の多い中華料理メニューの食事が続いていた。最後の「おじや」はうれしく胃にも優しかった。

帰国便は深夜に飛び立つ。
待ち時間を利用してオプションでアオザイショーを見ることになった。
料金45$

アオザイショー

アオザイ2

アオザイを纏ったベトナムの女性の姿は美しい。福岡から搭乗したベトナム航空のフライトアテンダントも着用している。深い赤色の上着に真っ白なパンタロンスタイル、赤い色とシルエットの美しさに惹き付けられていました。

通路を行きかう姿に「素敵ね」「どんな素材かしら?」と隣席の友人と話す。
図々しいおばさんは、興味津々です。

日本語で話せたので尋ねてみました。「素材は?どんな作りになっているの?着方は?」と聞き、生地まで触らせてもらいました。
ポリエステル素材、長い上着丈の脇は腰まで開いている。チャイナカラー、ラグラン袖のデザインで、頭からすっぽり被り前身がスナップ止めになっている。
長身のスレンダーなアテンダントには正にぴったり!!

帰国間際の時間に、アオザイショーを見られることになってワクワクしていた。
夕食後行った劇場は、《AoDai SHOW traditional MUSIC》
今日のショーはアオザイの中でも北ベトナムのアオザイがメインになるという。
民族楽器の演奏とアオザイショーである。

アオザイ1

伝統音楽は、馴染みがないと退屈するが、 「ダン・パウ」と呼ばれる一弦琴の演奏はジャズのセッションのように激しく退屈する間もない。聴いているほうもスイングしたくなる。
強烈な印象に残る楽器は「石琴」「竹琴」(トゥルン)であった。

石琴

「石琴」の名手が叩く、激しい演奏は、髪を振り乱しながら右へ左へとバチを走らせる。まさに「鬼気迫る」という言葉がピッタリ。石の響きとは思えない透明感のある音色に感動した。
一見して木琴と見間違うが、石琴は世界に3つしかないという。
インドネシアのガムラン音学を連想する。

竹琴

「竹琴」「トゥルン」と呼ばれるベトナムの民族楽器である。
音盤がたくさん繋がって何列か組み合わせてある。音はマリンバに似ているが響きは軟らかく優しい音色に聴こえる。

シェムリアップのホテルのロビーでは、民族衣装を纏った女性が「トロフォン(シロフォン?)」を演奏して歓迎してくれた。
こちらも打楽器である。今回の旅では珍しい打楽器に巡りあった。

楽しみにしていたアオザイショーが始まった。

切り込みの深い上着を纏ったスレンダーな女性が登場。
歩を進める度に長い裾が優雅にひらめく。

アオザイ3

アオザイ4

写真に収めたいと凝視するような視線で眺めているのです。客の前で一寸立ち止まってくれるが、時間が短かすぎて写真のシャッターチャンスが決まらない。

男性のアオザイスタイルは珍しい。北ベトナムのアオザイがメインとあって山岳民族らしい衣装も多々あった。タイヤビルマの山岳衣装に似ている感じがした。何点の衣装を見ただろうか?

アオザイ5

約2時間のアオザイショーを楽しんで空港へ向かった。
日付は1月18日に変わり、1時30分発のベトナム航空で帰国の途に着いた。
戻りは4時間30分で福岡に到着した。(往きは6時間)


※アオザイ
アオザイ(Áo dài)とは、ベトナムの民族衣装。「アオ」は着物、「ザイ」は長いという意味、つまり「長い着物」のことである。日常にも正装にも広く着られている。男性用もある。
なお南部では「アオヤイ」と発音する。清朝から移入されたチャイナドレスを起源とする。もともと土着の服装と異なる官服として着られていたことから、現在でも正装とされるようになった。現在の女性用アオザイがデザインされたのはフランス領インドシナ=仏印 (現在のベトナム、ラオス、カンボジ)時代のことである。

上衣は「チャイナカラー」と呼ばれる前合わせの立襟で長袖の体に沿った細身の仕立て。丈は足首にかかるほど長いが、腰骨にかかるくらいの深いスリットが側面にあるため歩行の邪魔にはならない。下衣には上衣と逆に直線的な裁断の白い長ズボン(クワン、quần)の組み合わせで仕立てる。

ベトナム航空(国営)ではかつてはピンク、現在では赤のアオザイが女性のフライトアテンダントの制服に採用されている。機内で見た色である。
高温多湿の気候のため、上着は木綿が多く、クワンは下着が透けるような薄い生地(絹や化繊)が使われることも多い。

女性用は、かつては青色がほとんどであったが現在はさまざまな色がある。正装は白色。
縫製に余分を持たせていないために体の線を強調し、美しく見せる服である。女性のボディラインを美しく見せる民族衣装として、国外の女性も憧れることが多い。        
つづく


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昨日は亡母の100日法要で諫早に行っておりました。
8時過ぎに戻り夕食が済んだところです。

鹿児島の8・6水害後、13年間諫早の妹家族と暮らしてきました。
初盆からの法要は福岡の弟のところに変わります。

諫早へ行く機会もなかなかないだろうと思うと、往復のJRの車窓からの景色をしんみりと眺めておりました。
雲仙岳を望む有明海の海岸線は美しいですね。かもめも群れています。
今日は好天。戻りは茜色に染めた空に沈むサンセットに遭遇しました。


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ホーチミン (4日目の午後)

フリータイム


現地ガイドの話で
ベトナムは7世紀まで中国領であったこと、1950年までは漢字を使っていた。
犬を食す習慣は中国文化の影響を受けている。北ベトナムに多く、中部・南部では半々の割合。平均月収15,000円。
小柄で、自称「ベトナムのカトちゃん」「本物は見たことない」といっていたが、確かに似ている。

午後は自由行動である。
午前中の観光が終わり、昼食後、一旦ホテルに戻って各自好きなプランで行動することになった。

~レンタカーで郊外の農村観光へ出かける人~
~エステへ行って疲労回復と美人へ変身する人~
~歩き疲れて、ホテルのロビーでゆっくりする人(チェックアウトしているので部屋には入れない。この日は満室で時間延長も出来ない)~
様ざまに分かれてフリータイムを楽しんだ。

疾走2

友人3人と一緒にホテル近くを散歩することにした。ホテルのフロントでもらった地図を片手に、銀座通りといわれるドンコイ通りへ行ってみようと思った。街の写真も撮りたかった。

ホテルの前は大通りでその先はサイゴン川である。
通り(トンドゥックタン通り)は車両とバイクが猛スピードで激しく行き交い、その量、騒音には圧倒される。一車線を左右両方向から往来してくる。写真に収めたいがそのスピードについていけず、シャッターチャンスもままならない。

近くに信号も見当たらない。サイゴン川を見たいと思い、プロムナード側に横断したいがとてもじゃない。車とバイクの洪水で、右往左往していたら、現地の人が手を貸してくれ難なく渡れた。プロムナードには「シクロ」を置いて腰を下ろして休んでいる。きっと観光客待ちしているのであろう。先ほどの男性もそうに違いない。天秤棒を担いだ椰子売りのおじさんも客待ち顔である。

貨物船

プロムナードで

サイゴン川は川幅も広く流れもゆったりとしている。貨物船も停泊している。ホテイアオイがゆらゆらと波に揺られている。川に向かって大きく深呼吸した。対岸には工場らしい建物も見える。

このあとドンコイ通りを目指して歩きはじめた。
ヨーロッパ風の交差点にはロータリーがあり、放射状の通りと、碁盤状の通りとが重なり合って町並みができている。通りが斜になっているので確認しにくい。何度も道を尋ねた。ショッピングする気もなかったせいか、あまりお洒落な店にも出あわなかった。民芸店に入ってビーズ刺繍のバッグ(10ドル)を買った。

食事?

路上商い

ちまき売り

ホテル前の通りからすると車とバイクの疾走も少なく歩き易い。
どの通りも露店は多い。天秤棒を下ろして路上で商っているおばさん、そのそばに若い女性が腰掛けて食事をしている。埃を舞い上げて車やバイクが走っていようがお構いなしである。
中華ちまきを自転車一杯積んで商っているおじさんもいる。
おいしいものはあるのだろうが、屋台や露店で食べる気にはなれない。

同じ道を戻ったら、横断のとき手を貸してくれたおじさんは、まだ客を待っているようで座っていた。手を振ったら判ったらしく合図を送ってくれた。優しい手の温もりが残っている。                   
                         つづく


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4日目(ホーチミン)

統一会堂

ホーチミン市
旅も4日目、ホーチミンに到着した。
ホーチミンは、旧サイゴンである。

サイゴンは1956年のジュネーブ協定の後、南北にベトナムが分割され、1975年にサイゴンが陥落するまでの間、南ベトナムの首都としてにぎわってきた。その後新政府によってホーチミン市と名称を変更されている。

ベトナム戦争でサイゴンが陥落して30年経っている。最近だったような感覚であったが、若い添乗員も記憶に残っているという。
TVで見た、最後の米軍飛行機がサイゴンを飛び立つ映像は鮮明に残っている。
旧南ベトナムの首都サイゴンであった現在のホーチミン市は大都市である。街は車も人も多い。
バイクは束になって突進してくるように道路に溢れ、猛スピードで走り抜けていく。
覆面スタイル、2~3人乗りの姿は変わらない。

市の中心部を流れるサイゴン河は、ドンナイ川の支流にあたり、サイゴン港から南シナ海へはおよそ50kmある。サイゴン港近辺の川幅は約300m、水深はおよそ10mあるので、このためサイゴン港には3万トンクラスの貨物船も楽に入港できる。サイゴン川と港はこの町のシンボルになっている。宿泊したホテルもサイゴン川沿いにあった。貨物船が停泊していた。

今回ハノイには行ってないが、ハノイの町並みは中国の文化の影響を受けていると聞く。首都ハノイがベトナムの政治の中心なら、ホーチミンは経済の中心である。
南のホーチミンではフランス統治時代の影響が今も強く残っている。街はサイゴン川の西側に開けており、かつて「プチパリ」とも称えられていた。ホーチミン市の市役所である人民委員会庁舎はフランスのアールヌーボー式のデザイン、有名なホーチミン市郵便局は、フランス建築家の設計によるものである。

街造りもヨーロッパ風になっていて、交差点にはロータリーがあり、放射状の通りと、碁盤状の通りとが重なり合って町並みができている。
地図を見ながら、サイゴンの銀座通りといわれる「Dong Khoi(ドンコイ)通り」付近を少し歩いたが、放射状の通りはクロス地点が分かりにくかった。

 市場に行けばメコンの恵みをいっぱいに授かった南国特有のフルーツや野菜が山積みされ、裏通りには天秤棒を下げた威勢のいいおばさんが行き来する。

観光したところを簡単に記します。

◆Hoi Truong Thong Nhat統一会堂(旧大統領官邸) 

漆の間

ヘリポート

1873年にフランスのコーチシナ総督が住むために造られたNorodome Palaceがもとの建築物。1966年に建てられた南ベトナム政権時代の旧大統領官邸で、大統領とその家族が住み、政府の執務もここで執った。1975年、解放軍の戦車が敷地内に突入したことにより、ベトナム戦争は終結した。

現在は一般公開している。100以上の部屋があり豪華な造り。ベトナムの芸術や工芸で内装を飾られている。屋上には専用のヘリポートもある。戦時中は極秘軍事基地としても機能しており、地下室(サイゴン港まで2キロ)には司令室や暗号解読室、通信室がほぼ当時のまま残されている。外国人には英語のガイドさんが付き添ってくれる。(アオザイをきた美しい女性)建物の中を一周すると1時間くらいかかる。
屋上からの眺めは素晴らしい。噴水のある広い前庭の先にホーチミンの街が広がっている。車とバイクの洪水も一望できる。

◆戦争証跡博物館

1975年オープン。ベトナム戦争に関する博物館。
ベトナム戦争で実際に使用された戦車、戦闘機、ミサイル爆弾などの兵器を配した屋外展示と、戦争に関する膨大な資料を公開した室内展示から成る。
道に横たわる無惨な犠牲者、戦火を逃げまどう婦女子、虐殺の写真は正視に堪えない。
日本の「石川文洋」、「中村吾郎」の写真も常設展示されている。

ベトナムの作家「グエンティ]原作の本を基に、「いわさきちひろ」がデッサンした絵が展示してあった。子どもの普遍的な生命力と愛しさを表現しているという。ホーチミンで彼女の作品に接するとは思いのほかであった。

◆Notre Dame Cathedral ノートルダム教会、およびホーチミン郵便局

教会
 
ノートルダム教会は19世紀末フランスによって建設されたカトリック教会。建物の外観はロマネスク様式で美しい。クラシックな尖塔が空へ聳える。内部は見られないが、ゴシック様式という。

郵便局

郵便局内

ホーチミン郵便局は19世紀末フランス統治時代に建てられた壮麗な建物。内部はアーチ状の高天井と正面奥の壁に掲げられたホー・チミンの肖像画に圧倒される。国際電話用のブースもある。夫の土産に、切手を1シート(南の小鳥、1米ドル)購入。

この一角にはフランスの空気が流れているように感じられる。

◆Ben Thainh ベンタンマーケット 

ホーチミン市の中央にあり、市民の生活の中心として活躍している市場です。
『観光市場』と異名をとるほどに、観光客向けの手工芸品が充実している。
マーケットに入る。びっしり詰まった店内には、隙間も無いほど商品が並べられ、ぶら下がっている。物音、話し声の喧騒に驚き、どんな商品があるのか見極めもつかない。

市場内

果物

現地ガイドから雑貨と果物はお薦め、食べものは買わないようにとアドバイス。果物に関心があって、店内の案内人らしき人に売り場を尋ねた。
あるわ、あるわ、トロピカルフルーツが・・・・
パパイヤ、マンゴー、マンゴスチン、ドラゴンフルーツ、パッションフルーツ、ミルクフルーツ、ドリアン、ジャックフルーツ・・・
買いたいが、この日の深夜便で帰国するので断念する。残念!!

結局布製の小物入れ、水牛飾りの箸、ベトナム茶を買っただけ。午後からのフリーの時間に再度行く予定でいたが、あの騒々しさ喧騒に圧倒されていく気は失せた。ゆっくり時間をかけてみるにはあまりに雑然として、スリも怖い。

昼食はバイキングスタイルのベトナム料理       つづく


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3日目(シェムリアップ~ホーチミン)

バンテアイスレイ
   バンテアイスレイ

アンコールの遺跡として、「アンコールワット」と「アンコールトム」は有名でよく知られている。だが、広大な地域に広がっている遺跡群は、周辺や郊外にもたくさんある。
その中で、「バンテアイスレイ」「タプローム寺院」を観光・見学した。


「バンテアイスレイ」
バンテアイスレイへ向かう。1時間ほど走った。
シェリムリアップの中心街を抜けると農村地帯で田園風景が広がっている。
道は狭く、未舗装の道路もある。埃は舞い上がり、バスも揺れる。

田畑には、痩せた牛が放牧されたり、高床式の農家が多い。昼時にゴム草履を履いた小、中学生が歩いている。姉妹らしい少女が自転車のペダルを踏んでいる。昼食は自宅に戻って食べる習慣であるという。

バンテ1

バンテアイスレイに着いた。正門前の池に睡蓮が咲いている。ここの池も水面に花影を映している。水は澱んでいるように見えるのに・・・
デイト中らしい一組のカップルが手を差し伸べてほとりに座った。男性は制服を着ている。微笑ましい。

ここは、ヒンドゥー教寺院で遺跡の規模としては大きくない。鮮やかな紅色砂岩が多用され、夕陽に照らされるとバラ色に輝くという。ヒンドゥー神話を題材にした浮き彫りの装飾はアンコールの至宝とも呼ばれている。彫刻の美しさはアンコール遺跡群の中でも特に優美といわれている。

東洋のモナリザ

秀逸は中央神殿の側面 に彫られたデヴァダー像である。「東洋のモナリザ」と評される。注意していないと、小さく、陽の影に隠れると見逃しそうな位置にある。

「タプローム寺院」
タ・プロームとは「梵天の古老」を意味し、仏教寺院の遺跡である。自然の浸食を受け大部分が倒壊の危機に瀕している。長年放置されていた遺跡にはジャングルの樹木、スポアン(ガジュマルの一種)が絡みつき、成長するに従って遺跡は完全に覆い尽くされた。南国における自然の猛威に息を呑む。

タプロ6

タプロ3


観光地は、どこも観光客のバスの周りに子供の物売りが執拗に寄ってくる。
埃まみれの足にゴム草履を履き、髪もボサボサしている。風呂に入る習慣がないそうで、見ていると切なくなる。胸が痛む。

遺跡の本、写真、絵葉書のセットで10ドル、または1000円と指1本で合図する。
1000円札一枚持って10ドルと交換してくれという少女もいる。通貨としての価値は、米ドルが一番なのだろうか?

車窓から見る家々は、貧しく、文明からは程遠い暮らし向きに映る。だが、なぜか懐かしい感じがする。
映像で見たり、遠い記憶の中の片隅にはあるが、想い出すことも難しい、忘れてしまったような農村風景が続く。水上生活している人や農村の姿は、60~70年前の日本にもあったと思う。

夕刻、シェムリアップ17:20発のベトナム航空でベトナムのホーチミンへ飛んだ。  
           つづく


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6.アンコールの夕陽鑑賞

サンセット4

アンコールワットの朝陽は素晴らしい。
朝の早起きなどなんのその、全員張り切って出かけた。聞きしに勝るアンコールの朝陽であった。

同様に夕陽の素晴らしいスポットもある。
「プノンバケン」という小高い丘であるが、ここも急な勾配の階段だという。添乗員が、みなの体力を察してか、場所変更になった。

替わって「プレ・ループ」から夕陽を眺めた。
ここは、夕暮れ時には絶好のビューポイントの場所である。

アンコールワットより古いヒンズー寺院跡で、焼きレンガ、ラテライトを主建築材としている。紅色砂岩で作られている。
祠堂は風雨と太陽の日差しを直に受けており、風化し、崩れかけているが、基壇の紅色との対比が美しく崇高な雰囲気が漂っている。

勾配は急であるが、焼きレンガの階段はざらついているのて、滑り止めになって助かった。サルのように手を伸ばして蟹のように横へ伝い、必死で上った。(姿を想像したらあぁ・・・)
夕陽を見たいがために・・・次回はないと思い・・・・
大勢の人が夕陽を眺めている。上った甲斐があった。

夕陽は、薄暮の空を茜色に染めている。空の色は雲と絡んで刻々と変化していく。
基壇の階段に腰掛けて、踊り場の縁に足をぶら下げて、寝そべって、それぞれに自分流のスタイルで落日を眺めている。気を抜かれたようにボーッとしていたが、デジカメだけは瞬時を逃すまいと握りしめていた。
30分ほどして下った。そこで、正に地平に沈む間際の赤い夕陽が見えた。言葉に出来ない感動!!

サンセット3

サンセット5


夕食はアプサラダンスショーを見ながら、バイキング料理を楽しんだ。
食事は中華料理を主体としており、油っぽい料理が多いので、冷たいものは避けた。体を冷やさないように、温かい「フォー」は好んで食べるようにした。
アルコールには弱いので飲み物はフレッシュジュースを注文した。
どこも、1~3ドル
通貨は米ドルが使いやすい。1ドル以下のお釣りは現地の通貨で戻ってくる。



※ アプサラダンス

カンボジアに伝わる王宮舞踏で天女の舞。

アプサラダンス

ダンス

アプサラ(天女)の踊りは9世紀頃に生まれた宮廷舞踊で、神に捧げられた踊り。
遺跡の壁画にアプサラがたくさん彫りこまれている。身体や指先、足先の動きはとても優雅。
題材はラーマーヤナ物語や魚捕りなどの日常生活等様々あるらしい。
タイの舞踊は歯を見せて微笑むのに対して、アプサラは口を開けない。動きはタイはキメのポーズがあるのに対して、アプサラは流れるような動きという。
二泊したホテルでも毎晩野外ステージで演じられていた。

 ※フォー(米粉うどん)
フォー (Phở) はベトナムの代表的な麺料理である。日本のうどんに相当するような軽食である。鶏や牛から出汁を取った透明なあっさりしたスープにコシのない米麺を入れ、鶏肉や牛の薄切り肉、肉団子、海鮮などが具材として乗っている。そこにライムの絞り汁や、たっぷりのバジル、コリアンダー、青唐辛子などのハーブ、モヤシ、ニョクマム、などを好みで加える。

ベトナムでは高級レストランから街角の屋台までフォーを作っており、生活に密着した食べ物である。
麺は、きしめんのように平たいものから、ソーメンのように細いものまである。ビーフン仕立てもおいしい。
調理は少しアレンジしてあるそうだが、カンボジアでもよく食べられている。
シェムリアップのホテルの朝食でも、目の前で作ってくれた。


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アンコールの旅行記が続いたので、ちょっと一休み

寒気も緩んで、庭の紅梅・白梅、一気にほころんできました。

紅梅



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5. アンコール・ワット(Angkor Wat)

アンコールワット

午後からは、今回の旅行のハイライト「アンコールワット」の観光である。
アンコールワットの正面は西側を向いているので、午後に観光をするほうが綺麗に見えるのだそうです。
早朝、朝陽鑑賞に来たので、見覚えがあり、堀を右折すると長い石橋が見えてきた。
石橋の袂まで来ると、係官が乗ってきてアンコールパスのチェックをする。こちらも慣れてきて、分かり易いように首にかけたパスを手に持って表示する。人数を確認している。

正面参道に立つと、この寺院は西を向いている。
他のアンコール遺跡のほとんどは東向きであるが、この寺院は違う。その理由は、この寺院が葬儀を行うための寺院として建てられたからである。

クメールの風習では、死者は必ず頭を西向きに置くとされていることにも因るようである。また、西向きなので、午前中は太陽の光を真正面に受けてまぶしく、写真を撮るのも逆光線になるので、見学は午後がよい。

カンボジア国旗の中央にもデザインされ、カンボジア人達にとっての象徴となっている。
日本人では、1632年、森本右近太夫が参拝し足跡を残している。壁面に墨書が残っている。ここを祇園精舎だと思ったという。

建築年代は12世紀前半(1113年)、スールヤヴァルマン2世が建立したヒンズー教寺院を、のちに仏教施設に宗旨替えした。およそ3万人の精鋭職人が、30年かけて完成している。
王の死後は墳墓寺院となった世界屈指の大伽藍である。三重の回廊と5基の塔を持つ勇壮な寺院である。
だが、どこからこれだけ大量の石を切り出し、どのようにして巨大な石造建築物が造られたか、現在も解っていない。

1960年、この地を訪れたフランス人の植物学者、アンリ・ムオのアンコール遺跡発見によって、一躍注目を浴び1863年にカンボジアがフランス領になってから遺跡発掘および調査・修復が行われアンコール王朝の全容が明らかになった。内戦によって遺跡の荒廃を余儀なくされたが、1979年にユネスコの「世界遺産」に登録され、世界各国の援助で修復作業が行われている。

樹海に埋もれ、歴史の闇をさまよっていた巨大な遺跡、アンコールワット。
ワクワクしながら参道に立った。
表参道は石畳で敷き詰められている。入り口から大門までが190メートル、大門から寺院までが350メートル、合計540メートル、道幅は12メートルある。

参道の入り口には七つ首の蛇神ナーガに出迎えられる。大門をくぐると突然、視界が広がり、壮大な寺院の全景が勇姿を見せる。神々しい感じがする。
ガイドブックにも、全身の五感を研ぎ澄ませながら歩み進めようと書いてある。
参道はラテライトを積み上げ、表面に砂岩の石畳を敷き詰めてある。

参道の途中にある北側の池は必見の場所である。正面からは中央祠堂は3つしか見えないが、ここからは中央祠堂にある5つの塔すべてが見渡せる。
5つの塔が、睡蓮の咲く水面に浮かび上がり、そのコントラストは神秘的である。記念撮影に最適な定番スポットという。

第1回廊門

参道に戻って、西塔門の階段をのぼり第一回廊へ進んだ。
ヒンドゥーの神話を題材にした物語が、高さ5mの壁面に、全長760mにわたって浮き彫り細工のようにびっしり刻み込まれている。
スルーヤヴァルマン2世率いるクメール軍や天女アプサラを描いた精緻なレリーフが絵巻物のように展開されている。
第一回廊東面に彫られたヒンドゥーの神話に基づく「乳海攪拌」図は、必見である。

見学者も多い。乾季で観光客が多いこともあろう。ガイドの近くで説明を聞こうと思うが、英語、中国語、韓国語が飛び交う。
流れに遅れまいと付いていくが、アンコールワット全体のどの位置にいるのか定かでない。通路も狭い。

第二回廊への階段はよりいっそう険しくなっていく。
回廊の壁面外側は、無数の女神テヴァターたちの浮き彫りで飾られている。その数は1500体。どれ一つとして同じ格好をしているものはないという。内部は薄暗く、さまざまの仏像が安置されている。

大名行進

第三回廊の中央祠堂に向かう階段は、岩盤のぼりのような急勾配の階段である。
勾配70度、手すりはなく、ステップも浅い。上りたい気持ちでここまでたどり着いたが、見上げるだけで怯んでしまう。上がりはこの階段だけ、石段で足を踏み外したら、転げ落ちること必死。
下りは西側の階段に手すりが付いているが、下り専用で1時間待ちという。上りは添乗員も「自分の責任で上って下さい」と伝える。
結局、我々の仲間は誰も上らなかった。上っても眺望がよいだけで、何にもないと聞いたこともあって・・・

中央祠堂

暫く腰掛けて中央祠堂を眺めた。
見ていると身軽に、這うようにして上がる人、様々なスタイルで上がっている。もっと若いときに訪れるべきであった。今回に限っては、スニーカーを持参してよかったと思った。

謎と神秘に包まれた、クメール王朝の「アンコール・ワット」、1000年近くの間、ジャングルの中に眠っていたのである。残念ながら、中央祠堂には上がれなかったが、アンコールワットを目の当たりにして、人類の偉大さと神秘に包まれた寺院に魅了された。      つづく


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4.トンレサップ湖クルーズ

水上13

午後の予定はアンコールワット見学である。
2時間ぐらいの空き時間でトンレサップ湖クルーズが出来ると聞き、オプションで急遽出かけることになった。
料金25米ドル。

漁村

シェムリアップ川沿いに走っていく。舗装してない道路は埃が立ちガタゴト揺れる。
川岸に高床式の粗末な住まいが建ち、生臭い匂いがしてくる。魚の干物も見える。ボート乗り場に近づいていくと、狭い道路にも拘わらずトラックも砂塵を上げて突っ走ってくる。ボート乗り場付近は、人と車が喧騒の中をごったがえしている。岸辺には国旗を付けたクルーズ船が停まっている。露店あり、観光客に呼びかける物売りの子供、熱気と独特のエネルギッシュな雰囲気に包まれている。そのパワーに圧倒される。

乗船
舳先・子供

クルーズといっても、エンジンのついたボートに、簡単な屋根と椅子が設置してあるだけ、およそ1時間で戻ってくるミニクルーズである。子供も働き手を担っており、船の周りを身軽に歩いて見回りをして父親の手助けをしている。終わると舳先に座って進行の見まわり役か? 学齢前の歳に見える。

水上学校(小・中学校)もあり、子供たちの姿が見える。Every one plays.Every one learns.と書いてある。水上船の屋根の上に薪を積んでいる。あちこちの屋根にTVアンテナが見える。電気のない生活をしているのに?と思ったが、バッテリー充電でTVを見ているという。きっと唯一の娯楽に違いない。

ここで生活している人々は高床式の家屋に住んでいる。湖の水が増えても浸水しない程度の高さに造られており、雨期の間、移動は全て船で行っている。
洗濯も、体を洗うのも、ごはんを炊くのも、おしっこするのも、トンレサップ川である。

視界が広がってトンレサップ川からトンレサップ湖に出た。観光客の遊覧船を見つけると、 あっという間に物売りの手漕ぎの小船が近づいてくる。 モンキーバナナを抱えた子供もいる。
ひっきりなしに遊覧船が行き交い、物資の運搬も多い。

文明から程遠い生活をしているが、家族が一丸となって日々の暮らしをしているようにみえる。精気があるように映る。人はなにが幸せか考えさせられた。
水上生活者の、逞しく自然と一帯となった営みをしている生活の一端、生き様を見るおもいがした。

水上8

トンレサップは、カンボジアに位置する湖であり、河系と結びついている。東南アジア最大の湖で、クメール語で巨大な淡水湖 (sap) と川 (tonlé) という意味がある。
一年のうちほとんどの期間、水深は1mに留まり、面積は2700平方kmしかない。形状はひょうたん形である。今は乾期で3~4mぐらいの水位。

しかし、夏季のモンスーンの時期には湖からプノンペン付近でメコン川に流れ込むトンレサップ川が逆流する。そのため周囲の土地と森を水浸しにしながら面積は1万6000平方kmまで拡大して深度も10m以上に達する。淡水魚には陸上植物起源の有機物が豊富に供給され、また多量のプランクトンが発生する、このような一時的水域で繁殖するものが多いため、魚が大量に発生する。体重100kgを上回るメコン大ナマズ) やフグなど600種類以上の淡水魚が生息する。

雨季の終わりには水が引き、繁殖を終えた魚は川下に移っていく。トンレサップ水系で採れる魚は、カンボジア人のたんぱく質摂取量の60%を占める。
トンレサップ川が逆流することで、メコン川下流の洪水を防ぐ安全弁にもなっている。       つづく

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3.アンコールトム(Angkor Tom)

南大門
     南 大 門

朝食後、ホテルを出発しておよそ1時間走った。農村が点在し、舗装してない道路も多く、後部座席に座っていたらぴょんぴょん跳ねる。
中村メイコの歌にある、
「田舎の道はオンボロ車 タイヤは傷だらけ ガタゴト走る・・・」
を地で行くようなものである。

アンコール・トムはアンコール・ワットと混同しやすいが同一ではない。
アンコールの意味はサンスクリット語から出た言葉で、都市国家の意味を表す。トムはカンボジア語で「大きい」という形容詞である。アンコール・トムの意味は大都市国家のことである。

アンコールワットの北1キロの所に在る。一辺が3kmの城壁で囲まれ、9平方キロの広大な敷地を有する。高さ8mの城壁と幅113mの環濠に囲まれている。東西南北の四つの大門と、勝利の門、五城門で外界と繋がるが、旅行者が入場するのは「南大門」である。

この広大な地域の中に「バイヨン寺院」、「バプーオン神殿」、「ピミアナカス」「王宮」、「象のテラス」、「ライ王のテラス」など数々の遺跡がある。
昔はアンコールトム内で生活していたという。

南大門とバイヨン寺院には、象乗り場があり、象の背に揺られて王様気分で周遊できる。見ていると巨体に揺られてバランスとりにくそうに見える。高所恐怖症の人には・・・好んで乗る気もないが・・・

象

壕に架かる欄干には、乳海攪拌の神話をモチーフに、デーヴァ(神々)と阿修羅が左右にそれぞれ54体ずつ、大蛇の胴体を抱えて綱引きするような姿が描かれている。大門には3mの菩薩の顔が喜怒哀楽を表現している。

参道を歩いてバイヨン寺院へ
参道を進むにつれ次第に菩薩像の顔が迫ってくる。一つに四面の顔がある。

四面の顔


バイヨン

トム・バイヨン1

必見は第一回廊の壁画である。
東西160m、南北140mの壁面の彫刻は、神話や戦闘ばかりでなく、当時の庶民生活の様子が写実的に描かれている。料理人が食事を作っている図や、闘犬、闘鶏の場面もある。臨場感に溢れ当時の社会や習慣などもうかがえる。
第二回廊の壁画はヒンドゥーの神話や伝説が主題となっている。

トム・調理1

女神


象のテラス
王宮には、外敵の進入を防ぐために二重の防護壁が増設され、閲兵用に重厚なテラスも新設された。王宮前広場に面し、テラスの壁には一面に象の彫刻が浮き彫りされている。象のテラスと名づけられたゆえんである。

象のテラス2


バプーオン
バプーオンとは「隠し子」の意味がある。
その昔、シャム王とクメール王は兄弟だった。シャム王が王子をクメール王に預けると、クメール臣下は陰謀だとして怒り、王子を殺害してしまう。怒ったシャム王はクメール征伐するが、クメール王妃がこの寺院に隠したという伝説から、「隠し子」という意味の名前がつけられたといわれている。中央祠堂は修復作業中。

パプーオン


ピミアナカス
王宮の中心部に建立されたヒンドゥー教寺院で「天上の宮殿」の意味の名称。ラテライトを三層に積み上げて築かれている。ピラミッド型をしていたが、今は中央祠堂の大部分は崩壊している。
スケッチをしている人も・・・。

ピミヤカナス


ライ王のテラス
「ライ王伝説」の主人公、ライ王の彫像が安置されていることから「ライ王のテラス」と呼ばれるようになった。実物はプノンペンの国立博物館に展示されており、ここはレプリカである。
1956年アンコール遺跡を三島由紀夫が訪れている。この伝説を題材にして、戯曲「ライ王のテラス」を発表し、上演して有名になっている。
三島由紀夫のことはガイドブックで知ったが、現地添乗員は、彼の名前を知らなかった。

ライ王のテラス


アンコールトムは、余りに広大すぎて限られた時間では見切れない。それに次々と似たような仏像、壁画が現れて、判別できない。
その規模、スケールの大きさに只々愕然とするばかり!!    つづく


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10時過ぎ、ガイドブックを購入するためにバスで出かけた。
5月に、松江方面へ、短大の同窓会旅行を計画している。今回の世話役になっているので旅行プランを作らなければならない。

昨日はぼたん雪も舞ったが、今日も寒い日である。
運転席の直ぐ後ろに腰掛けた。

乗車してくる人に
「リーダーに、当ててください」
声だけ聞こえるが、誠実で一生懸命な姿勢が伝わってくる。
きっと新人の若い青年に違いないとおもった。

走行中には、
「信号待ちで停車しています。料金積み増しの人は今のうちにお願いします」
「昨日今日、寒くなっています風邪などひかないように・・・」

降車する人には
「気をつけて」と優しい。

降りるときに顔を見たら若者ではなかった、落ち着いた年代の運転手さんでした。
優しい言葉をかける、その気配りが乗客の心に届いてうれしい。
外は寒いがハートは温もってきました。私まで人に優しくなれる、そんな相乗効果があります。
全然声を出さないドライバーも多い。良いバスに乗り合わせて、気分のよい一日でした。

今日は節分、南国鹿児島は今冬一番の冷え込みとなったが、暦の上では冬から春へ変わる節目。
デパートの食品売り場には、恵方巻きが盛られている。2本買って戻りました。


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朝陽2
 アンコールワットの朝陽

2日目(シェムリアップ)

1.カンボジアの概要
  カンボジアの国に降り立つが、訪問地はアンコールワットのあるシェムリアップである。
  カンボジアの概要をまとめると

国 概 要【国 名】カンボジア王国、立憲君主制。
     【首 都】プノンペン
     【言 語】公用語はクメール語。観光地は英語も通 じる。
     <アルーン スワスデー>・・・「おはよう」、「こんにちは」、「こんばんは」のいずれにも使う。
     <スワスデー>・・・「おはよう」
     <オークン>・・・「ありがとう」
     【時 差】日本時間-2時間
     【人 口】約1310万人 
     【面 積】約18万1,000平方Km(日本の約0.48倍)
     【民 族】カンボジア人(クメール人)90%、他に中国人50万、ベトナム人40万、山岳少数民族
     【気 候】高温多湿の熱帯モンスーン気候、雨季と乾季に分かれる。
          雨季は5~11月
          乾季は12~4月頃までで、はじめの2ヶ月間ぐらいが観光のベストシーズン。
     【国 土】インドシナ半島中央部に位置する。
東南アジア最大の大河であるメコン川が南北に流れ、中央部に肥沃な台地が広がっている。
東南アジア最大の淡水湖であるトンレサップ湖には、雨季になると増水したメコン川から水が逆流して流れ込み、乾季と比べると3倍もの水量を湛える巨大な大海へと変貌する。

乾季になると周辺に肥沃な大地が出現して、天然資源に恵まれる。
国土はメコン川とトンサレップ川の流域に広がる平野部と周辺山岳部。
アンコール王国の遺跡が有名。1970年から続く内戦により荒廃したが、
国連による総選挙により連合政権が発足。
     【観光査証】 必要。滞在可能日数は30日間
              旅券の残存有効期間は入国時6ヶ月以上必要
     【祝 祭 日】 新年: 1月1日
             カンボジアの正月:4/14~16
     【通 貨】 リエルRiel、R100=約3円
     【宗 教】 仏教、その他キリスト教、イスラム教など
     【電 圧】 110/220V 50/60Hz
     【その他】 平均結婚年齢:男性28歳、女性20歳
             結婚は、坊さんに占ってもらってからでないとできない。
             結納金30万円(シェムリアップ)50~60万円(プノンペン)
             高層ビルなし、5F建てまで、
             トロピカルフルーツが多い。     
             ドリアン、マンゴスチン、ドラゴンフルーツ、ミルクフルーツetc.
             パイナップル、ザボンには塩をかけて食べる習慣があるという。
            アンコール観光の多い国は、韓国、中国、日本の順。韓国は直行便があるという。
            (現地ガイドの話) 
   
  シェム・リアップ Siem Reap 
プノンペンの北西約250km、トンレサップ湖の北に位置する小さな町だが、この町がアンコール遺跡の拠点となっている。町は、シェムリアップ川を挟んで両側に開けており、魚介類の産地としても有名。アンコール・ワットは、町の中心部から約7km、車で約10分程度で行ける。

2.アンコールワットの朝陽鑑賞
アンコールワットの朝陽鑑賞に出かけるので、5時に起床して6時前ホテルを出発した。
今の時期、朝陽の昇る時間は6時30分~40分の頃という。
虫除けスプレーと懐中電灯(フットライト用)を持参した。
夜もしらじらと明けてきて、懐中電灯、虫除けスプレーも必要としなかった。朝の外気は心地よい。

大きな堀に石橋が架り、まだ明けきらぬ空を背に、アンコールワットの寺院がシルエットのように浮かび上がって見える。
バスを降りると石橋の袂には人の群れが出来ている。朝陽鑑賞する観光客である。

堀に架かった入り口までの石橋も長い。大きな一枚岩の多い橋である。人力によるものだろうが、先人の業に驚嘆するばかり!補修中のところもある。上智大学も参加しているという。

橋を渡り、西大門をくぐると突然、目の前に壮大な寺院の全景が姿を現す。まだ明けやらぬ空に寺院が影絵のように映る。

参道両脇の草むらに朝陽を鑑賞しようと大勢の人が待ちうけている。ここは朝陽鑑賞のスポットである。
大門裏側の階段にカメラを据えて待ち構えているカメラマン、陽の上がる方向に眼を凝らす人,思い思いに・・・私も日の出を見のがすまいと固唾を呑んで待っている。何度も訪れたことがあるのだろうか「6月に来た時はあの方角から昇った」という人も。

茜色の空はだんだん色を増し光が反射した。日の出である。
遮るもののないカンボジア平原に昇る朝陽、神秘に包まれた感動の瞬間である!!
その一瞬を画像に捉えることができた!

朝陽1

【アンコールパス】
外国人旅行者がアンコール遺跡へ入場するためには、「アンコールパス」が必要である。
40米ドル、顔写真も貼られている。アンコール遺跡に入場する時には、入り口に係員がいて、毎回提示しなければならない。紛失したら又40ドル払うことになる。殆んどの観光客は紐を通したパスを首にかけている。

アンコールパス


アンコールワットの観光は午後に行く。    つづく


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空港
   シェムリアップ空港

1日目(出発~シェムリアップ)

今回の旅行は福岡国際空港発である。
国際線の時間に合わせて鹿児島を出発しなければならず、早朝立ちとなった。
わが家を6時前に出て、リムジンバスの始発便に乗った。

観光の初日はカンボジアのアンコールワットである。しかし、直行便がないのでベトナムのホーチミン経由となる。福岡発のベトナム航空、6時間の飛行でベトナムのホーチミン空港に到着。時差2時間。時計を2時間前へ戻して現地時間に合わせる。ホーチミンから同じベトナム航空でカンボジアのシェムリアップ空港まで1時間のフライト。

着陸近くなって下を見ると、海のような水面が広がっている。カンボジアの内陸に向かって飛行している。海であるはずもない。川にしては大きすぎる。位置的にもトンレサップ湖であったと
推測する。メコンデルタも確認できた。

昨年出来た新シェムリアップ空港は寺院風の屋根、周りに南国の花が咲いている。
カンボジアはビザが必要である。入国審査を終えて専用バスでホテルへ向かう。

バイクと自転車が多い。バイクは3~4人乗りも見られる。埃っぽい道路を「グラマー」と呼ばれるスカーフを被って走っている。砂塵を巻き上げ猛スピードで走り抜けていく。東南アジア独特のバイクスタイルである。

ホテルで小休止して、夕食のためにレストランへ出かけた。
オープンテラス風のレストランで、夜風が通り心地よい。
スケジュール表のメニューには「牛鍋」と書いてある。

南の暑い所に来て、鍋料理?
どんな料理がサーブされるのだろう?

普段の鍋料理のように、卓上の鍋で煮込みながら食べるスタイルではなかった。厨房で煮込んだものを個々に取り分けて運ばれてきた。
スープは牛味、牛肉、野菜、麺が入っている。味はよいがちょっと油っぽい。乾燥湯葉の食感のものも入っているが、灯りが暗く確かめにくい。

牛鍋
     牛 鍋?

明朝は、5時に起床してアンコールワットに昇る朝陽を鑑賞する。
今朝も早立ち、福岡からホーチミン経由シェムリアップまで7時間の飛行、無事ついた安堵感もあって疲れました。
風呂に入って10時に就寝。      つづく


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アンコールトム内には、バイヨンのほかに色々な遺跡がある。

象のテラス2
     象のテラス

ライ王のテラス
    ライ王のテラス


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マンマ

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