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2006 / 07
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最近になって、友人数人から、映画「バルトの楽園」がよかったと聞いた。
どうしても観たいと思っていたわけでもないので、ストーリーも知らず、チェックしていなかった。
実話に基づく制作の映画と聞き、急にその気になった。

かって徳島にドイツ捕虜収容所があった。その収容所生活を主題にした映画で、日本で初めてベートーベン作曲『交響曲第九番 歓喜の歌』を演奏する事に挑戦したのであった。

そんな内容なら、是非観なくちゃとその気になると待ったがない。徳島にドイツ捕虜収容所があったことは何かの折に聞いた記憶がある。もう上映期間もあまりないのでは?それでは昼間行こうと問い合わせたところ、8/ 4まで。“夜1回の上映のみです”という。

平日の夜は出かけにくい。ウィークエンドならと、夫を誘った。よさそうな映画だなとは言ったが、一晩考えてみると渋っていた。“アミュウプラザで夕食をして、待ち時間はK書店もあるわ”と半ば強引に連れ出した。

もう終演も近いので映画のあらすじは省略、
タイトルの「バルト」、「髭」のこと、ドイツ語で「バルト」は「髭」を意味することだけ伝えておきましょう。
映画のクライマックスに、世界最高峰と謳われたヘルベルト・フォン・カラヤン指揮の『第九』を使用している。
ベルリンフィルの演奏は、弦楽が美しく迫力のある演奏で感動!!

終わって、「よい映画だった。なん年ぶりだろう? 思い出せない。」
「雑踏の中に出ると、足早になって元気が出る人。あんたは遊び方がうまい。」

そうなのです。夫も顧みず、もっぱらマイペースで進んでいきます。
それでもアミューでは、夫のために?目ざとく好物の枝豆(群馬産)をゲットしました。この時期、品薄でしてね。今晩のビールは、さぞかし旨いことでしょう!

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ドラゴンフルーツが届いた。切り口のルビー色がきれいでしょう!
次女が沖縄に発注して送ってくれたものである。
開けてのお楽しみと言って品名は伏せていたが、沖縄からの贈り物だという。
私はきっとアレだろうと思っていた。その読みはピタリと当った。

ドラゴンフルーツ2

というのは、昨夏、屋久島を旅して帰省した。その時ドラゴンフルーツ、旭ガ二に、初見えして、おいしかったことを話してくれていたから。
南に住んでいると店頭でも見かける。好奇心もあって買う時だってある。
姿が珍しく、切り口はゴマのような種が一杯はいっている。とびきり美味しいものではない。

もっと詳しく知りたくなってネットで調べてみた。
新しく知ったことは
中米原産のサボテン科の植物。欧米では「ピタヤ」と呼ばれ、東南アジアでは「ドラゴンフルーツ」と呼ばれている。
夜中に月下美人のような白い花を咲かせ、花とつぼみも食べられるらしい。

なるほど、月下美人の花も漬物にして食べている。食物繊維・ビタミン・ミネラルたっぷりの果物。キウイのようなさっぱりした、さくっとした食感が好評。
赤玉と白玉がある。よく見るのは白玉である。赤玉は鮮やかなルビー色で、白玉よりやや甘い。

ドラゴンフルーツ

食べ方は
縦に切り、スプーンですくって食べる。
赤玉はきれいな色を利用して用途も色々。赤肉種の色素を利用して飲物やお菓子作り、漬物等の着色に利用できる。
ゼリー、ジュース、ジャム、ヨーグルトソースなど。
皮を刻んで大根と酢の物にすると赤く染まるという。果肉を食べたら試してみよう!

にがごぃ

大方の人は、なんのことだろう??
鹿児島では「にがうり(苦瓜)」のことをにがごいという。若い人は知らないでしょうね。
それよりゴーヤと言ったほうが全国版?

今ではすっかりメジャーになっているにがうり、30年前、東京の店頭ではお目にかかれなかった。
その呼び方も様々である。
「にがうり」、「ゴーヤ」、「レイシ」・・・・・
ゴーヤは沖縄地方で、
レイシの呼称は、サルノコシカケの霊芝、楊貴妃が好んで食べたと言うレイシ(ライチ)と紛らわしい。

苦味があって子ども好みの味ではない。子どもの頃は、あちこち夏の庭先に植えてあった。
戦後の食糧難の時代に育っている。
好き嫌いなど許されず、大人の嗜好にも自然と慣れ親しんでいった。
世も変わり、今は健康食品となっている。

食べ方も、味噌との相性がよい。豆腐との味噌炒め (ゴーヤチャンプル)はいつ食べても飽きない。
夕べは薄くスライスして熱湯にくぐらせ、青紫蘇と茗荷の小口切りを合わせた。
さっぱりとした口当たりで食もすすんだ。

昨夜東京の友人から電話があった。
お母さんの新盆で帰省する。Mさん(東京在の)は短大のクラスメートである。
彼女のお盆帰省に合わせて在鹿の友人で集まる予定にしている。

ふるさとでは毎月、定例会をもって集っている。手分けしていつもの人たちに連絡した。
恥ずかしいが、今月、私はすっかり失念して欠席してしまった。年ですねぇ~。

後で聞いたが、その時携帯が鳴ってMさん(鹿児島在の)が急遽帰宅している。この世代になると自分や連れ合いの健康に気遣う。気にかかるが、詳しいことが分からないままであった。

電話で聞いて吃驚仰天。長男のお嫁さんの急逝の知らせであったという。何の前触れもなく、40代の若さでの心筋梗塞とは・・・痛ましい。長崎へ行って葬儀を済ませたばかりという。
息子さんはドクターでもあるのになんでぇ? とっさに気の効いた慰めの言葉も出てこない。

つい10日余り前のことである。近くに住む人が電話しても出なかった筈である。
私もペースメーカーをインプラントしている身、ショック!!

南九州は、今日、例年より13日遅い梅雨明け宣言が出た。

今年の入梅はいつもの年より早かった。ということは梅雨の期間が長かったことになる。
梅雨期間は61日間で、過去30年間で最長であると報じている。期間も経過も異常である。

前半は雨が少なく、梅雨明けは早いのではとさえ思った。ところが最後になって集中豪雨で未曽有の災害をもたらした。真夏の片付けは大変で気の毒に思う。夏休みに入った高校生が「私たちに出来ることは何でもします」と画面に映った。頼もしく、うれしいですねぇ~。

バスの車窓から見る空は真っ青、入道雲は、層雲厚く、天まで届きそうな勢いである。
これからが夏本番、元気に乗り切りたい!!

南九州を襲った集中豪雨も止んで、今日は久しぶりに青空が戻ってきた。
災害地の映像を見ると胸が痛む。暑い中に復旧作業ご苦労様です!

13年前の8・6水害を思い出しますね。
鹿児島市の甲突川が氾濫して、母の家も1メートル以上浸水したのです。
100年に一度の災害、悪夢のようであった。

今日も梅雨明け宣言はない。
高校同期のHPに、スイスの写真が毎日のようにUPされている。
氷河・雪に覆われた山、湖、高山植物、どれにも魅せられる。旅へ誘ってくれる。

ウズウズしてすぐにも旅立ちたい!写真も撮りたい!
夏のベストシーズンを目ざして、この目で確かめたい!!
デモ、今年は無理・・・・・


~ンヶ月ぶり、正確には3ヶ月ぶりである。
なにが?大っぴらに言いたくないのですが・・・

勿体ぶっているわけじゃないが、アルファベットの練習デス。
旅行したり、病気をしてはズッコケてばかり。人の半分は休んでいるので、いつまで経っても堂々巡りで進まない。よいメンバーばかりで辞める気にはならない

終わってからのお茶飲みが楽しい! 今日も岡目八目を気取って、よもやま話に辛口談義。おばさんたちの目は厳しい。世の中余りに嘆かわしいことが多すぎる。
自分は? 決して立派な生き方はいていませんね。
でも、口だけでも歯止めをかけなくちゃ。

浅草の「ほおづき市」は夏到来の風物詩ですね。
子どもの頃、ほおづきを鳴らして遊びましたっけ・・・、
ふくろが破れないように、指先で揉んで、丁寧に種を出して・・・

今年は、懐かしくなって部屋に吊るしています。
ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ・・・11個も付いている。

そういえば「海ほおづき」もあった。魚屋さんで売っていた。
今もあるのだろうか?

ハージン

久しぶりに滑川の市場へ出かけた。
雨のせいか人出は少ない。

一帯は、元々桜島桟橋の袂にあり朝市が開かれていたところである。桜島の生産者が農産物(野菜やあの有名な巨大大根・「櫻島大根」)を並べていた。近くに戦後のトタン屋根のままの市場があり日常の食料品が揃っていた。売り手はおばちゃんたちが多かった。対面販売は人の顔が見えて買い手と売り手の優しさが伝わってくる。顔馴染みになるとなお更である。

老朽化して防災上の問題があったのであろう。
10年ぐらい前に、地域の再開発計画で、「市場館」とビルに生まれ変わって、スーパーマーケットやテナント店となった。店の雰囲気はすっかり変ってしまい味気なくなってしまった。

ビルに変ってから、串木野の干物を売っていたおばちゃんも見かけなくなった。高齢?資力がなくて? 当時、資力がないとビルへ移れないという声も聞いた。

市場館の道路向かいに魚屋Fがある。昔ながらの対面販売である。新鮮で安い。料理屋も仕入れている。私のお目当てはこの魚屋である。2人暮らしで食べる量も減っているのに、新鮮な魚を食べたくなると足が向く。あれこれ見ていると、胃袋の大きさも省みず、つい買い過ぎてしまう。

今日もあれこれ見繕っているうちに、
水いか、あら、うに、きびなご、いわし、ぼたん海老に手が出ていた。
今日のメユーはにぎり寿司に決まり。

あらだけは二枚卸しにしてもらった。
あらは綺麗な赤色で、体表に青い小さな斑点がある。奄美では「ハージン」と呼ばれている。ハタ科の超高級魚である。料理店でも刺身や汁物に好まれる。

うなぎを焼く匂いが漂っている。店先で、さばいたばかりのうなぎを白焼きして、たれを塗っている。
明日は土用丑の日である。一日早い土用の日でもいい。昼食べよう~っと・・・

魚は丸ごと買って自分で卸す方が好きである。スーパーのパック入りの魚は好きになれない。切り身だとあまり買う気がしない。セルフサービスより対面販売が好きである。姿のままだと鮮度も自分の目で確かめて買えるでしょう。

今日は朝から土砂降り、梅雨前線が南九州に南下してきた。
九州新幹線はまたも運転見合せと報じている。

日本列島、山川が暴れて死者・行方不明者が続出している。梅雨末期の集中豪雨が、ゲリラ化して各地に大きな災害をもたらしている。川は溢れ、崖も崩れ、福井、長野、岡山の山間部に被害が多い。天竜川決壊、諏訪湖も溢れ、湖畔のホテル宿泊者は身動きとれない映像が・・・
避難先に行く途中に犠牲になっている人もある、何とも痛ましい。

南九州、今年は雨の少ない梅雨と思っていた。梅雨明けのような天候が続き、気象庁はどうして梅雨明け宣言を躊躇しているのだろう?と苛立ってもいた。

4日前から雨になった。北にあった梅雨前線が南下してきたようである。気象庁お見立てのとおり、梅雨明けは未だであった。洗濯物は乾かず、家の中も湿っぽい。気も滅入る。

南に住んでいると台風の常襲地帯で風水害にはいささか慣れがある。それなりの防備もする。
シラス台地の多い鹿児島は大雨に弱い。
大きな災害に繋がらなければよいが・・・・

のぼたん親子

佳人「のぼたん」が満開。
先日は意に反して虫食いのぼたん一輪だけであった。
2~3日の雨で潤ったのか、花数も増えて、今朝は10輪を上回っている。

紫紺野牡丹は、花色、花容共に魅せられる花である。
今日は眉目麗しい、佳人そろいである。

三つ子?、否、親子に見える?
雫を浴びて瑞々しい!

冬の間、鉢植えを縁先においている時は判らなかった。
春先に、鉢毎庭に下ろしたら、見る見る間に人丈ほどに伸びた。
1~2メートルの常緑低木と知って納得。

秋まで咲くらしいので、当分は楽しめそうである。

のぼたん満開


枝豆をつまんで冷えたビールを飲む。
このシーズン、大方の殿方は毎晩の楽しみに違いない。女性の中にも?

私は生憎下戸ときている。ビールの旨さも知らなければ、その実感もない。おいしさをどう表現してよいか的確に言い当てない。想像で清涼感と喉越しがよいとでもしておきましょう。

夫は、風呂上りに、好物の枝豆をつまみに缶ビールを飲む。新鮮な枝豆はこの時期だけのものである。スーパーやデパートで見つけると必ず買っている。

7月だというのに、最近枝付きの枝豆は見かけなくなっている。今日久しぶりに見つけた。
はさみで房先をちょっと切って塩茹でにした。翡翠色に茹で上がった。丁度食べ頃で、大豆の風味がして甘味がある。

ビールは駄目でも、枝豆だけはつまむ。房が立派過ぎると豆も熟して独特の風味に欠けてくる。姿はよくても、風味にがっかりすることもある。収穫時期は微妙であろうと思う。

冷凍の枝豆は嫌がって食べようとしない。南国鹿児島は店頭にも早く出まわる。
地場産は5月からはじまって8月初め頃までだろうか。その後群馬産がデパートに並ぶ。
群馬産は太って実も大きい。

これを食べ終わると来シーズンまでお預けである。
枝豆は、我が家の食卓に夏をもたらせ、夏の終わりを告げる季節限定の食べものである。

時どき、ブログのデンプレートを替えてみるのも楽しい。
気分一掃したり季節の変化を取り入れたりして楽しんでいる。

自分で作る技量はないので、いつも新着共有デンプレートに注目している。
今日、一枚の夏らしい空と雲の清々しい絵が、飛び込んできた。ひと目で気に入った。
なんと「sakurajima-sky」とあるではないか。迷わずこれに決まり。

私は鹿児島のシンボル「桜島」近くの鹿児島市に住んでいる。
南国の夏をイメージする空、雲、桜島の構図。素晴らしい!!


今朝のことである。
携帯に着信があることに気付いた。
同期生のMさん、昨日の日付である。

しまったぁ! 
昨日は第三月曜日、定例の珊瑚の会の日である。

三連休で、予定はないと思い込んでいたので、完全に失念してしまった。
手帳にも予定を書いてない。そういえば先月は手帳を忘れている。
戻ってすぐ記入していなかった。今頃思い出しても遅い!

恥ずかしい!
齢の所為か、暑さでボケたか・・・あァー

記憶モードは狂ったか、壊れたか・・・
記録モードを忘れちゃ駄目よ!!

ブーゲンビリア

母は、長崎県の諫早に妹一家と暮らすようになって13年になる。
もうすぐ87歳になる。

それまでは、子どもたちが独立してからというもの、鹿児島で独り暮らしをしていた。13年前、鹿児島の8・6水害に遭い、家が1メートル以上浸水した。それを期に長崎へ移り住んでいた。

少しの持病を抱えていたが、大きな病をすることもなく、元気で穏やかな生活をおくっていた。
4月に右足を骨折したと連絡があった。廊下で足を滑らしただけであったが・・・

年取ると女性の骨は脆くなる。本人も周りも日頃から注意していたのに、一番恐れていた大腿骨の骨折である。残念である。

悪いことは重なるものである。即手術と思った。だが1年前に肺に影が見つかっていた。緩やかな進行であったが、全身麻酔の手術となると肺への負担が大きい。すぐにふみきれなかった。病院も手術には消極的であった。

家族で話し合った結果、リスクの大きい手術は避けようと決めた。自力での歩行は難しくなるだろうが、自然治癒に望みをかけようと思った。

骨折してから1ヶ月間はベッドで仰臥状態であった。
現在の様子からすれば、手術に耐えられたかも知れないとも思うが、結果論である。
術中の急変も想定されたので致し方ないことであった。

骨折さえなければ、家でごく普通の生活が出来ていたであろうに・・・
そう思うと不憫でならない。

今の母は一番話し相手を求めているように感じる。
身辺の介護は病院がやってくれる。だが、自由に動けない体では1日が長く退屈である。

次女にもさかんに話しかけている。昔話になって、私には都合の悪いことまで喋っている。
「こんなお母さんだけどよろしくね」
“なんてこと、子どもの前で言うの”・・・・私のぼやき
苦笑いしている・・・・娘
饒舌になって嬉しそうに話している。

歌好きでコーラスやカラオケを好んでいた。音楽好きであったのにラジオも聴きたがらない。一番の気懸かりは気力の萎えである。

老いることは避けられない。それは体力が衰え、生活機能の低下することである。それに病気が伴ってくる。今まで、日常生活は人の手を借りずに過ごしてきている。突然不自由を強いられることになり苛立ちもあろう。だが、怒ったり不満を洩らすこともない。

“Y子(妹)が近くにいてくれたから、よかった、よかった”と何度も言う。
妹一家と同居していることに感謝し、頼りにしている。

同居している妹は毎日病院へ来てくれる。一番大変な立場である。
病室では深刻な話にならないよう、明るく明るく努めているという。

“同居しているので一度はあることと覚悟していた。昨年末っ子が遊学して、子どもが手を離れたので毎日の病院通いも出来る”と言ってくれる。ありがたい事と妹夫婦に感謝している。
福岡の弟は毎週のように来院して話し相手になっている。

姉の私が一番離れている。今回は次女も一緒で喜んでくれた。
私も何度も入院している。人の来訪は何よりうれしい。
度々、鹿児島の声と香りを運んでこなければと・・・・・諫早駅を後にした。       おわり

九州四国に自生する鹿の子百合。

鹿の子百合

鹿児島は、空も雲も夏模様なのに、一向に梅雨明け宣言もなく・・・
花弁が反転して華やかな鹿の子百合、暑い庭に彩を添えています。

庭に1本の花梨の木がある。

春先に花が終わって、10数個結実していることを確認していた。
その後、黄色く色づく秋までは間があると思い、視界外にあった。

最近見ていない。大きくなっているかな?
手前の無花果の木が大きくなって、花梨の木を塞いでいる。

花梨も木の葉が生い茂り、大きくなった葉陰に隠れている。
花梨の実が見えなくなっている。

花梨

久しぶりに覗いてみようと木のそばに寄っていくと、周りにくもの巣が張っている。
払いのけながら根元に立って見上げる。

葉は陽光を浴びてまぶしく、同じ色の実がしっかり確認できた。
1、2、3、・・・・10個以上も。

大きくなっている!
卵より大きく、レモンよりやや小さい。

晴天が続いているのに、まだ梅雨明け宣言は出ない。

梅の土用干しは、梅雨明け後と言われているが、雨の降る気配はない。
いつまでも待ってもおれない。今日は試しに干してみようと、倉庫からざるを取り出した。

梅干

2年ぶりに梅を干す。今日は我が家にある1本の梅の木から収穫した梅だけを干す。大粒である。

梅は、毎年友人のところへ、決まった梅ちぎりグループの友人と採りに出かけている。
10年以上続いているが、昨年、思いもかけない事態が起きた。

なんと、梅主の友人が、わずか4ヶ月の闘病で急逝した。今年から梅ちぎりも取り止めになるだろうと半ば諦めていた。ところがご主人の好意で、例年のように梅ちぎりが実現した。

梅はちぎる時が限られている。早過ぎても熟れ過ぎても駄目である。鹿児島では5月半ばごろがその時期である。例年楽しみにしているのに、今年は高校の同窓会で上京したので参加できなかった。

仲間が10キロ近い梅を塩漬けして届けてくれた。私は紫蘇に染めただけである。真っ赤に染まっている。こちらも明日から天日に干そう!

風に乗って紫蘇の香りが・・・
干して2時間、待ちきれずに、昼は白い御飯の上に乗せた。

病院名を告げてタクシーに乗車した。
高速、一般道のどちらにするか迷った。

高速は味気ない。二度と来ることがない所かもしれない。
それならば、知らない土地の景色を眺めながら行きたいと思った。
目的地は病院である。
のんびりしてもおられず、結局40分ぐらいで行ける高速のルートを選んだ。

ドライバーはどうも地理に不案内なようである。営業用のタクシーであるのにナビもつけていない。
周辺は内陸部で、佐賀県から長崎県へまたがっている。案の定高速を下りてからが大変であった。妹から大きな病院と聞いてきたが、一向に病院の看板が見えてこない。

O病院へ電話を入れた。場所確認をドライバーと替わってやっと病院の位置が判った。
諫早ICで下りた方が近かった。多良見ICで下りているので、逆進入で分かりにくかった。
時間はかかるわ、タクシー代は13,000円とられるわ。営業車なのに、ナビが付いていないからよ・・・、ちょっと腹立たしい。娘にも“2人乗車したから良しとしようね”と。

病室は2人部屋の窓側である。
入浴が済んだところでパジャも着替えたばかりだろう、布地に皺もない。
「おばあちゃん!」
「Kちゃん、よく来たわね」

娘は長男の結婚式(東京)で会って以来3年ぶりである。
私が5月に見舞った時より笑顔がある。表情も明るい。

東京から娘が持参したごまプリンを美味しそうに食べてくれた。昨夜ホテルに頼んで冷やしておいてもらっていたのでよく冷えていた。
5月に、娘たちと桜見物の東北旅行をした。その時撮った写真も説明しながら見せている。私は思いつかなかったが、娘の優しい気配りがうれしかった。

5月に見舞った時は痛々しかった。我慢強い母が耐えられないような痛みだったという。車椅子でトイレへ行く練習を始めたばかりであった。介助があっても、車椅子への移動は難儀そうであった。

素人の私にはさっと手を出せない。流石に、看護師は手早く要領がいい。
見ているだけの私は切なくなった。何より母が一番悔しい思いをしていることだろう。

今回はよい方の足を軸にしているが、スムーズに車椅子へ移動している。
「上手になったわね」
「痛みが退いたのでねぇ」
ひとまずホッとした。         つづく

電話のベルで起こされた。急いで部屋のカーテンを開けたら表は明るい。
7時を過ぎている。こんな時間まで目覚めないとは・・・・

7時30分に朝食を頼んでいた。和室に宿泊している。布団を片づけに来る、慌てて着替えをすませた。昨夜の温泉とマッサージの効能は大きい。目覚め時も忘れるぐらいに熟睡した。疲労回復したに違いない、目覚めは爽快である。

朝食の湯豆腐がおいしい。この食感は、木綿?否、絹ごし?どちらでもない。口当たりもまろやかで大豆の風味がよい。

あとで「温泉湯豆腐」と聞いた。温泉湯豆腐は、煮込むことにより、汁が白濁し豆腐がとろけてくるのが特徴である。沸騰し続けると豆腐はなくなるという。

中火ぐらいでゆっくり火を通し、水が白濁したら火を止める。薬味、ごまだれ、ポン酢でいただく。箸では摑みにくく、くずれ易いのでスプーンで掬って食べる。まるで淡雪のような食感である。
嬉野茶と並び名物となっている。

嬉野はお茶所である。宿で出された「温」、「冷」どちらのお茶も非常に美味しい。何度もお代わりした。旅館では滅多に出合えない美味しい緑茶である。
嬉野=緑茶、記憶に残る風味である。

娘とも“もう少し時間があれば周辺を散策したかったわね”と話した。

昼食後、母が入院している病院(長崎市)へ直行する。
病院は、長崎市と諫早市に隣接するところにあるので交通の便が悪い。タクシーを利用することにした。              つづく

  水面より 凛と首出し 睡蓮花

 睡蓮


もう一度暑い!夜も寝苦しい!

鹿児島は太平洋高気圧に覆われ、今日も晴天。
6日連続の真夏日を記録。外気は煮えたぎるような体感温度。
空も雲も夏そのものなのに、明けそで、明けない梅雨明け宣言。

気象台は今週末に梅雨前線が南下する恐れがあるため、発表の持ち越していると報じている。慎重を期しているのであろうが、私は梅雨明け宣言が待ち遠しい。

梅の土用干しをしなくちゃならない。10キロの梅を干すには、梅雨明け、晴天が続いてくれなくてはならない。

ハイビスカス

暑さにもめげず大きなハイビスカスが咲いた。天を仰いで威勢がよい。
数年過ごした奄美の空と海の色を想い出す。南国の夏を象徴する花である。


久しぶりにのぼたん一輪が咲いた。

のぼたん

鉢植えだが、冬が過ぎて屋外に出したら、みるみるまに背丈ぐらいまで伸びてきた。
以前咲いた紫紺色を思い浮かべて庭へ下りた。

パソコンに取り込んだ画像を見て、思惑はずれでちょっとがっかり・・・
花びらが虫に食われているではないか、無残!

蒸し暑くなって害虫が発生し始めたのか、
ブラジル原産というから暑さや害虫にも強そうと思うが・・
牡丹のように美しいので、この花名がついたともいわれる。

いっぱい蕾を付けている。
虫食い花びらでない佳人・のぼたんを撮らなくちゃ!


暑い! ムーンと熱気がこもっている。
午前中、室内で32度ある。
外は梅雨明けのような空が広がっている。出る気も失せる。

2~3日ストック品で済ませていたが、レタスがきれた。夕方近くのスーパーへ出かけたが、陽ざしが強く日傘も必要である。

戻って小玉スイカを冷やそうと手に取った。ネットのセロテープをはがそうと引いたら、左手からスイカが転げ落ちた。鈍い音を立てて2つに割れてしまった。 汁と種が床に飛び散ってしまった。シマッタ! シマッタ! 

残ったスイカもぶすぶすになっている。このまま捨てるのはもったいない、食べられるかどうか? 冷蔵庫に押し込んだ。

卵パックを取り出したら手元が狂って落としてしまった。2~3個は割れて、卵黄が滲み出ている。暑さで注意力も散漫。

今日は何の日?
日頃縁起を担ぐわけでもないのに、暦を見た。
今日は、仏滅、三隣亡・・・矢張り

漏電ブレーカーが落ちた
7月9日、日曜日の夕方から突然の漏電騒ぎで疲れました。

蒸し暑いのでクーラーを入れて夕飯の準備をしていた。
6時過ぎ、突然、点灯していた電気、クーラー、TVが消えた。薄暗くなった。

ブレーカーが落ちたような音もしたので配電盤を確認した。
主源のスイッチがおりている。分離回路は全部ONになっている。
主源スイッチをONにしようとレバーを上げるが上がらない。変だなぁー、増改築の時アンペア数を増やしている。全容量を越すような電気を使った憶えもない。

停電かな?隣に電話で確認しようとするが通じない。走って確認してもらったら隣は点灯する。今夜はクーラー無し、暗闇で食事するの?とボヤキながら戻った。

携帯から九州電力へ電話した。女性の声である。
状況を説明して、配電盤のところで受け答えをした。指示に従ってレバーを動かしていった。主電源と1つの分離回路のレバーがONにならず、この場で問題は解決しなかった。
漏電ブレーカーがおりており、電気工事店の点検が必要であることがわかった。

保守センターを紹介されたので最寄の工事店にお願いした。
漏電しやすい場所は屋外が多いという。庭園灯は無し、屋外のコンセント1個も問題なかった。

・・・ということは屋内が原因か?点検口から天井裏に入って調べが始まった。
その結果、家の改築前の配線跡が原因であることが分かった。以前台所だった部屋でコンセントがあった場所である。そこの電気を遮断したら家の電気が点灯した。
雨が降って湿り、漏電ブレーカーが作動したようである。天気が続くと漏電の90%位は解決するという。

問題解決、これで安心、では・・・パソコンのスイッチを入れた。(ここも以前台所だった部屋)
作動しない。
後戻ってもらい再度点検、遮断したところの電気は床下に配線されていた。この部屋は床下から点検の必要が出て、作業は翌日送りになった。

床下に入ることは容易ではない。畳を数枚あげ、床板2枚をはがしてやっと入れた。蒸し暑い中穴蔵のような床下で、汗びっしょりになっての作業は申し訳ない気がする。
30年前の家は床下から電気配線が立ち上げてあった。15年前大幅な改築をした。そのときアンペアを増やし、天井に電気の点検口も作ってもらった。

今回の漏電騒動は、以前の台所に起因していた。台所は電気配線の多いところである。15年前の改築時に不要になったコセントの電気を切ってなかったことが原因であった。
改築でひとたび壁が貼られ、部屋の位置が変わってしまうと、30年前のコンセントの位置は思い出せない。

今頃になってと思うが、15年間異常なかったことのほうが幸運だったのかもしれない。許容範囲の際どい中で暮らしていたと思うとぞ~っとする。漏電は怖い。

昨日の午前中で解決して一安心。御代は10,000円。
知らなかった漏電について知るよい機会デシタ。それにしても、作業を見ているだけだったのに、疲れました。

世界中が熱く燃えたワールドカップも、イタリアが24年ぶり4度目の優勝を果たして幕を閉じた。
サッカーの競技ルールはよく知らないが、サッカーW杯で大会史上初、ハットトリックなしだったと報じている。ハットトリックだけは知っている。
日本の試合を見て、私にでさえ世界レベルとの格差を目の当たりにした。

同時期に開催されたウインブルドンテニスは、WCに霞んでその影が薄かった。昨夜は男子シングル決勝戦をTV観戦した。

予想されたとおり世界ランキング1位で第1シードのロジャー・フェデラー(スイス)が同2位で第2シードのラファエル・ナダル(スペイン)を6-0,7-6,6-7,6-3で下し、見事栄冠を獲得、同大会4連覇を達成した。

芝コートの王者フェデラーと、クレーコート(土のコート)の全仏王者ナダルの対戦は興味深かった。白熱した決勝戦であった。 芝とクレーでは特性が正反対だという。フェデらーは24歳、これから何回も優勝の可能性を秘めている。対するナダルも20歳と若い。
男子「2強の時代」突入の予感がすると報じている。

長崎空港から嬉野のホテルまではアクセスが悪い。案内では長崎空港からバスで40分とある。だが直行の便はない。公共機関を利用したい旅人には不便である。長崎・佐賀の両県にまたがっているからだろうか。車だと高速利用で30分の所要時間である。

温泉地として有名なところである。もっと足の便がよければと感じた。娘には、予めタクシーを利用するように伝えておいた。

今回嬉野温泉へ宿泊を決めた切っ掛けは、ネットの「楽天トラベル」から届いた1通のメールが端緒であった。
訪ねたことのない嬉野温泉に泊まってみたいと思ったら娘も賛同した。女性プランがあったので、急遽宿泊の予約をした。2食付、エステプランを選んだ。

ホテルのメインは10Fまで吹き抜けになっている。地上30メートルから垂直に流れ落ちる滝のスクリーンに桜、紫陽花、紅葉、椿と日本の四季を代表する花々が次々に浮かびあがる。
対面するシースルーエレベーターに乗り込めば、光ファイバーによって花々が色変わりしていくさまはファンタスチックで涼感がある。

シースルー

10階に大浴場、露天岩風呂、サウナ風呂、ジェットバスが完備している。
大浴場の天井には柿右衛門と古伊万里をイメージした有田焼の陶板がはめこまれている。眼下に嬉野の町が広がり一望できる。景観を楽しみながら温泉に浸ると疲れも吹っ飛ぶ。
旅館の大浴場は1、2Fにあることが多い。最上階にあると素晴らしい眺望を望める。
日本3大美肌の湯と謳っている。あとの2箇所はどこだろう?

嬉野はお茶の産地として知られている。
出されたお茶が美味しい! お茶所とはいえ、宿ではあじわったことのない風味である。
6Fの部屋(和室)から眺めると、茶畑や、温泉地らしく湯煙が上がっている。

嬉野

夕食は佐賀牛をメインとした会席料理を選んだ。部屋まで運んでくれる。
小鉢の胡麻和え風の食感が珍しい。魚介類とは思ったが、食用のイソギンチャクと聞いて驚いた。
佐賀牛はさし(霜降り)が入って軟らかい。塩味(モンゴルの岩塩)で食べるとシンプルで肉のうまみが引き立つ。

日本3大美肌の湯に入り、温まった。足のマッサージをしてもらったら、さらに爽快、睡魔に襲われるまま、眠ってしまった。   つづく

7月6日、2泊3日の予定で長崎に住む母の見舞いに出かけた。

当初の予定を変えて1日は佐賀県の嬉野温泉に宿泊することにした。
今回は在京の次女の予定が立っての見舞いである。そのスケジュールに便乗して私も思い立った。

1日目(7月6日)
鹿児島中央駅から、午後の九州新幹線に乗ってJRの武雄温泉駅で下車した。
ここから嬉野温泉へのルートは、マイカーでなければ、JRバスかタクシー利用のどちらかである。

ホテルのチェックインまでは間がある。急ぐこともない。タクシーもいたが、バスに乗ろうとバス停へ向かった。初めての地である。路線バスに乗って周りの景色を眺めながら行きたかったから。

1時間に2本の運行である。バスは今出たばかりのようだ。ホテルへ確認した時、終点下車と聞いていた。不案内なところで、時刻表に南口発と書いてある便もあって迷っていた。

中学の女生徒が通りかっかったので尋ねた。
「列車が着いた時に、バスが出るようです。駅で聞いてきましょうか」
「大丈夫よ、少し待って無理なようであればタクシーに切り替えるから」

少し経ってさっきの女生徒が後帰ってきた。
「このバス停からの便は、間違いなく嬉野温泉に行くそうです」
「ありがとう、聞いてきてくれたのね。中学何年生?」
「2年です」

部活動からの帰宅途中であった。汗ばんで戻ってきて親切に教えてくれた。
言葉の響きに、この地らしいやさしい抑揚があった。佐賀県は母の出身地でもある。余計にうれしかった。

田園風景を楽しみながら、40分ぐらいで嬉野温泉に着いた。今夜の宿はホテル「桜」である。この宿で、次女と落ち合うことにしている。
6時過ぎに“長崎空港に着いた。今からホテルへ向かう”とメールが入った。     つづく

長崎に住む入院中の母を見舞って、今夕戻ってきました。

JRに乗車前、夫に電話したところ、昨日の帰りでなくてよかったよ。新幹線の鹿児島中央⇔さつま川内間は不通だったと聞いた。台風も逸れたのにどうしたのだろうと、詳しい事情を知らないまま乗車した。

中央駅から乗ったタクシーの車中で、九州新幹線田上トンネル付近でがけ崩れがあったことを知った。昨日は除去作業で不通になったらしい。道理で車内アナウンスがあった。
“鹿児島中央⇔さつま川内間は徐行しますので定刻より2分遅れます。申し訳ありません”

長崎への往復にはJRを利用した。大雨や台風接近の心配がある時に重なった。予想もしない、がけ崩れの時間帯に遭遇せずに幸運であった。
被害ももたらす大雨はご遠慮したい。梅雨明けも近いようである。

昨日は午後外出していて夕方帰宅した。
郵便受けに不在連絡表が入っていた。当日中に受け取れるように、すぐ連絡した。

夕方から雨足が強くなり、叩きつけるような土砂降りになってきた。雷鳴は轟き、不気味な感じさえする。梅雨の末期現象であろうか。TVデロップに九州新幹線(鹿児島中央⇔さつま川内)の運転を見合わせていると出た。

夕食を済ませて8時過ぎのことだった。玄関のチャイムが鳴った。
「荷物が届いています」
ドアを開けると
「遅くなりました」
「雨の中をご苦労様です」

差し出された30センチ四方サイズの箱にタオルが巻いてある。紙箱が濡れないようにとの気配りに違いない。配達する人の優しさが伝わってくる荷物である。

中身はネットで頼んだコーヒーである。
いつもより香りが立ち、味わい深いコーヒーが飲めそうな、そんな予感がする。

門からのアプローチも短いのに、初老の男性の髪は濡れている。
雨は、未だ、間断なく、激しく降っている。
「気をつけて帰ってください」

一日の締めくくり、爽やかな気分になった。


今日はこれから長崎に行ってきます。大雨が気になりますが・・・
体調を壊して入院している母の見舞いです。

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マンマ

  • Author:マンマ
  • 好奇心、やじ馬根性旺盛な熟年おばさん?

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