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今日は5月最後の31日。
ふり返ってみると5月は出歩くことが多かった。月の半分は我が家を留守にした。

自分で立てた予定というより、行事が勝手に?舞い込んできて私を忙しくしてくれた。
楽しんでいたのでしょう? ええっ!そうなのです。
東北旅行、箱根の同窓会、それに付随する東京での前後泊。
あっ、入院した長崎の母を見舞いにも行っている。

夫の弁を借りると、私は「家内」ではなく「家外」さんである。
たまには「家内」らしいこともと言われるが意に介さない。

かと思うと直ぐにひっくり返って入院手術騒ぎである。起き上がるのも早いので一向に懲りない。
手術も終わらないうちから、主治医に○月に○○へ行っていいでしょうかと尋ねる。

入院時は家族に心配、迷惑がかからないようにしなければと殊勝な気になり反省もする。
退院して体が動き始めると直ぐ忘れてしまう。

3度も手術をしている。
あまりの頻度に、女神も呆れ果て、これ以上は微笑んでくれそうにない。
自戒しなければならない。

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きのう、いつもの仲良しのIさん、Mさん、それにもう一人Sさんと、ちょっと内緒の集まりをした。よからぬことを企んでいるのでないのですが、ちょっと内緒にしておきたいのです。

いずれ明らかにできる時がきたらいいのですが、そうなるように願っているのですが・・・
少しばかり頭の体操をしようと思い、飛び立つことにしました。なんでしょう?

腹時計のお告げもあり、終わったら昼食。Sさんは他用があり別れる。
近くの中央駅・アミュウプラザ、レストラン街へ。

私の提案(自分が食べたかっただけのこと)で韓国料理店に入る。Iさん、Mさん共に初めてだという。海鮮ビビンバをオーダーした。2人はニンニク臭と辛さを警戒していたようである。野菜もたっぷりあって、食べ易く美味しかったと聞きホッとした。

此処、アミュウプラザのシアターはたまに一人で来る。上映時間の合い間に一人でも気軽に食事できる店があってありがたい。こんな時は連れに気兼ねしない私大好きのメニューと決めている。

新幹線開通でオープンした駅ビルは新しく、K書店、音楽のHMVもお気に入りである。
ちょっとばかりお洒落な駅ビルに変身した。最後は主婦らしく地下の食品を買って戻る。

5月二度目の上京でもう一つ楽しいことが待っていた。

在京の短期大学の同期生と久しぶりに会う。
事前に待ち合わせ場所に、目黒駅11時の連絡をもらっていた。
出口は1ヶ所しかないから改札口で待っていると聞いていた。

前夜は新丸子の長女宅に泊まっていた。「南北線1本でいけるわよ」というが、南北線は乗ったことがなくちょっと不安があった。往きは確実なルートでと思い、東横線、JRにした。改札口に近ずくと4人の顔が見え手を振った。互いに笑みが毀れる。

知らない人が出てきて「今でした」と声をかけられた。怪訝な顔をしたからだろうか、間違いに気づいたようで、年代が違いましたと去っていった。ここは待ち合わせ場所に使われるのか他にも確認しあう姿を見かけた。

昼食の会場は『雅叙園』、ぶらぶら歩きながら行った。一度は行ってみたいと思っていたところで、連絡を受けた時は飛び跳ねたい気分!
30年前の在京の頃は、電車の上から建物を掠めて見るのみであった。行けるようなご身分ではありませんでした。

緑の空間と丸いビルが視界に入る。以前電車から見たイメージとは程遠い。
部屋に案内されてびっくり!
天井、欄間に、床面以外は、黒漆喰に蝶貝を埋め込んだ螺鈿、色鮮やかな日本画と浮き彫り彫刻で埋め尽くされ、見るものを圧倒する。床柱、隅々まで美術品で埋め尽くされている。絢爛豪華な美術の殿堂である。城の中に迷い込んだような錯覚すら・・・

短大時の友人が、私の上京に合わせて、東京、横浜、埼玉(深谷)から6人集まってくれた。
卒業後45年になる。皆鹿児島出身で地元の短大を卒業している。
同じ専攻で、女性ばかりである。家政科で当たり前のことだが、30人足らずの小じんまりした同窓生である。2年に一度の同窓会旅行を企画している。親しくなる度合いも大きい。

卒業後殆ど会っていない人でも、顔を見ると一目瞭然である。
仕事を全うした人も数人いるが、皆よい伴侶に恵まれ幸せに暮らしている。
一つ残念なことは、4人が黄泉の国へ旅立っている。

都会の中のオアシスのようなところで、食事をしながらゆっくりと語らい、楽しい時を過ごした。素晴らしい美術品を眺めながらの食事は殿様気分。

来年は同窓会旅行の年である。首都圏に住んでいても集まる機会は少ないという。仲間が上京したときは集まるいい機会だから連絡してとうれしい!

5月二度目の上京は、箱根の一泊同窓会(高校)に参加することが主目的であった。

2つ目に開催中のプラド美術館展・見学があった。
月曜日は休館日である。箱根から戻った翌23日(火)に出かけることに決めた。
次女も会社を休んで同行してくれた。

彼女の提案で
「上野のプラド展は午後に行くことにしよう、午前中は住まい近くの練馬区立美術館へ行かない?」
「何か催し物があるの?」
「“大正期の異色画家たち”のタイトルで和歌山県近代美術館所蔵名品展を開催中なの」
「せっかくのチャンスだから行ってみましょう」

徒歩で10分足らずの所に在った。
これまでまとまって紹介されることのなかった和歌山県近代美術館所蔵作品から、日本の大正から昭和初期に活躍した異色画家たちの作品にスポットを当てて紹介する企画展である。

ほとんど名前を知らない画家の若き頃の作品が多い。わずかに東郷青児、橋口五葉を知るのみである。娘は佐伯祐三の作品が好きという。彼の絵の前に立ってみる。
《下落合風景》(油彩1926年・大正15年)を眺めていると幼い頃の住まい周りを思い出すような雰囲気の絵である。惜しまれるは30歳で客死している。
「月映」を中心として創作版画の源泉となったコレクションは珍しかった。

もう一つおまけの美術展があった。
池袋の西武百貨店で『節子の暮らし――和の心展』も開催中。
娘がフリーの入場券を持っていた。

節子とは
ピカソに『20世紀最後の天才』といわしめた画家・バルチュス(1908~2001)の妻。今もヨーロッパに暮らし続ける節子・クロフスカ・ド・ローラさんの、和の心とヨーロッパの文化が融合したライフスタイルを紹介する展覧会である。

バルチュスの薫陶を受けた画家である節子の絵画作品、新作や、祖母、母ゆかりの和服、
プレゼント用に手作りした作品が展示してある。

夫にプレゼントしたパッチワークのベストは、精巧な剥ぎ合わせ・配色である。
包装に使われたリボンもストックしてあり、組み合わせて見事なブックカバーに変身している。着想・アイディアが素晴らしい。
日本の心、心意気を感じる展覧会であった。


プラド展


昼食を済ませて、お目当てのプラド展会場へ向かった。
上野の公園広場に出ると、動物園から遠足帰りらしい子どもたちが出てくる。
在京の頃、子ども達が幼児で、動物園や公園に来た頃が懐かしい。

東京都美術館が会場である。
身障者は付き添い1人と入場無料である。私にとってはありがたい制度である。
平日であるからだろうか、会場はそれほど混雑していない。ゆっくり鑑賞できそうである。

     プ ラ ド 美 術 館 展
  
スペインの誇り、巨匠たちの殿堂
~ティツィアーノ、エルグレコ、ルーベンス、ベラスケス、ムリーリョ、ゴヤ~
プラド美術館屈指の81点の名画が一堂に並ぶ、前回にも増してプラド美術館の所蔵作品の質の高さが際立つ内容ですと記されている。

世界屈指の絵画の殿堂、「プラド美術館展」は、2002年に日本で初めて、そのコレクションをまとまった形で紹介した。のべ52万人を魅了した。“もっとプラドを見たい”という多くの美術ファンの熱望に応えて、2006年、新たな「プラド美術館展」を東京と大阪で開催される。

わくわくしながら会場へ入った。
2002年は西洋美術館で開催されたが、今回の方が作品数は多いように感じる。
マドリッドのプラド美術館へ行っても、7000点もある作品を見ることは不可能である。
ましてやツアー旅行の限られた時間では、一握りの有名な絵を掛け走りで見るに過ぎない。
ベラスケスの「ラス・メニーナス」やゴヤの「裸のマヤ、着衣のマヤ」に対面した時は感動したが・・・

移動展示の時は自分のペースでゆっくり鑑賞できる。美術館の床は大理石が多い。脚が疲れる。時どき会場内の椅子にも腰掛けられた。混雑もなく出品全点を観ることが出来た。
中でもエル・グレコの『十字架を抱くキリスト』、ムリーリョの『エル・エスコリアルの無原罪の御宿り』の2点が印象深い。
ベラスケスの『男の肖像(自画像?)』は真偽の程がわからず興味深い。

この夜は息子夫婦も一緒にスペイン料理を共にした。
4年前のスペイン旅行を思い出しながらディナーを楽しんだ。
スペインといえば生ハム、とりわけ「イベリコ」は秀逸、ポテト入りオムレツの「トルティージャ」、冷たいトマトスープの「ガスパッチョ」、魚のほうぼうがでんと乗った「パエリア」、みんなで取り分けて食べると一層美味しい。
今日は美術展ざんまいとスペインな一日であった。

今年の5月は2回も上京する機会があった。
25日、箱根の一泊同窓会(高校)に参加して戻ったばかりである。

神の手

昨年の今頃はベッドの上にいた。
ペースメーカーのインプラント直後であった。
今年同様、高校の東京同窓会に参加するつもりで飛行機のティケットも購入済であった。

そんな矢先、筍堀に行って倒れてしまった。
すべてキャンセルである。
よく晴れた日で、病室の窓から外を眺めて東京の空を想った。
心中は初夏の陽ざしと裏腹である。
どうにもならない距離感が胸を突き刺す。

わが身の胸も傷を負っている。
どうして今なの?
病気ゆえの諦観はあるものの、それでも、もどかしい。

きのう、南九州は梅雨入りした。
今年の私は軽やかである。
二度も上京して五感は全開である。

5月21~22日、箱根の一泊同窓会に参加した。
高校(同期)の東京支部の企画で実現した48年ぶりの修学旅行もどきである。

石楠花

箱根の「彫刻の森美術館」で石楠花を見つけた。
数輪の真紅の色が惹きつける。
緑の中に紅を注したよう際立っている。

今にも開花しそうな蕾も多い。
これからが見頃である。

石楠花2


6日ぶりに我が家へ戻りました。
戻ってみれば、夫は入れ違いに出張で今夜は独りです。
追いかけるように宅急便で送った荷物が届く。箱根土産に洗濯物のみやげまでも・・・

箱根での一泊同窓会(高校)参加を主目的とした今回の上京でした。
楽しかった? 勿論です。学友と泊まると修学旅行を想い出しますね。
泊まって、温泉に浸かってくつろぎ、ゆっくり語ることが出来て心身ともに若返ります。
元気をもらって自分の場で頑張ろうという気になります。

夕御飯が終わってPCを開いてメールチェックをする。
6日間に300通以上、セキュリティチェックで削除されても半数が受信されている。
その殆どが必要ないものばかりで、早速削除作業をしていた。

東京で会ったばかりの次女からのものがあった。さっと読んで、後で詳しく読もうと思っていたら間違って削除してしまった。手元が狂ったとはいえ腹立たしい。

今日午後の便で上京します。
これで今月は二度目になります。今回は高校の同窓会に出席することが主目的です。
昨年は病気入院でドタキャンしました。今年は元気になっています。

関東ブロック当番幹事のお世話で、箱根へ一泊旅行に出かけます。箱根は1~2度行ったことがあるのですが、高校のメンバーとは初めて。

以前この時期に行ったとき、芦ノ湖畔で見事な石楠花を見ました。今の時期どんな植物に出会えるか楽しみにしています。

上京ついで?に他の用事も済ませようと・・・
友人に会ったり、在京の子どもたちと食事したり、美術展を観にいったり・・・楽しいことばかり待っているのです。

今回は夫も出張の出入りで留守がち、食事の準備をしていかなくてよい。
ラッキー!? それとも悪妻?
いつも快くあちこち行かせてもらって感謝しています。
いえ、いえ、そうではありません。事後承諾のマイペースの私めです。
では行ってきます。25日に戻ります。

    ま と め

弘前公園2

南に住んでいると、北の地には知らないことがありそうで、憧れの気持ちを持つ。
今回の旅でも、いいことが待っていそうなそんな期待感があった。

次女からゴールデンウイークに東北の桜を見に行かない?と誘いがあった。未だ行ったことのない東北地方である。直ぐに飛びついた。こうして2人の娘との3人旅が実現した。

初めての東北は、見るもの、食べるもの、聞くこと、すべてが珍しく、新鮮に映った。
短い時間であったが、それなりに、自然、気候、風土、文化の違いを感じることが出来た。

特筆することは
 桜はどこも満開で満足する観桜であった。
 角館では他の武家屋敷も見学したかった。
 本場での稲庭うどんは食べ損ねた。
 奥入瀬渓流は自分の足で散策してみたい。
 白神山地の青池と十和田湖の研ぎ澄まされたような青い水の色が脳裏に焼きついている。
 バス利用が多い国内ツアーで、列車に乗るルートがあったこと。(東北新幹線、五能線)

行く先々天候に恵まれた。気温も鹿児島とさほど変わりなかった。その年々で開花時期が違い、気まぐれ開花の桜である。角館、千秋公園(秋田)、弘前、駒街道(十和田)のいずれも満開の桜花爛漫であった。満開時期とピタリと一致した。幸運であった。

ツアー旅行は、かけ走りでゆっくり見る時間がない。国内ではしたくないところだが桜は待ったがない。見頃を逃したらいつチャンスが巡ってくるか分からない。

知らない土地は、ツアー旅行も広く浅く網羅されていて、アウトラインを知るにはもってこいである。予習ができたようなものであると思えばよい。もっとじっくり見たいところは、次回に自分で計画すればよい。
東北は魅力ある地域である。他のシーズンに、違う場所も訪ねてみたい。   おわり

十和田湖


青 森 そ の 3

昨夜は湯瀬温泉のホテルに泊まった。
旅のはじめ、「湯瀬温泉」の文字を見て、どこにあるのか見当がつかない、
これまで聞いたことがない、どの辺りにあるのだろう?と思った。

八幡平と聞いておおよその場所が分かり、冬の樹氷で有名なところであることを思い出した。
八幡平は秋田県と岩手県にまたがり、青森県にも近い位置にある。
昨夜の宿は、秋田県鹿角市(かづの)、八幡平から十和田にぬける途中にある。
朝目覚めて窓を開けてみると周囲は山ばかりである。遠山にところどころ白っぽく見えるのはきっと桜だろう?

今日の行程も忙しい。8時40分に宿を出発した。
秋田県側から十和田湖へ向かう。途中の湯瀬渓谷のあたりはこの時期でも残雪が深い。ブナや栃の木が多い。

残雪

発荷峠(別名九十九曲がり峠)を超えて十和田湖湖畔へ着いた。

十和田湖

   【十 和 田 湖】
十和田湖を一望できる一番のビューポイント・発荷(はっか)展望台へ上がった。湖の色に魅せられてぐるりと見渡した。素晴らしい眺めである。風もない好天に恵まれ、湖面も穏やかで、満々と青い水を湛えている。遠くの八甲田連峰の尾根もよく見える。
冠雪の八甲田を背にする十和田湖、澄んだ空気、潮目のように見える湖面を眺めていると喧騒の日常とは別世界である。

十和田湖は二重カルデラ湖で周囲44km。水深27mで東京タワーの高さに匹敵する。透明度も10メートル。秋田県の田沢湖、北海道の支笏湖についで3番目の深さ。

湖の周囲の、ここにも、あちらにも・・・・ふきのとうが。北に来ていることを肌で感じる。

十和田湖の湖上遊覧船に乗る。秋田側の休屋から乗船して青森の子の口(ね)までおよそ50分で巡る。テープで遊覧説明が流されている。水の色も変化して、見返り松付近は水色のきれいなところと案内している。
緑色がかったブルー色である。昨日見た青池の色と似ている。湖上で釣りをしている人の姿も見える。コイ、フナ、ワカサギ、ニジマスなどがいるという。

ボート

光の屈折もあるのだろうが空気のきれいなところは水の色も透明感がある。心地よい湖上遊覧であった。

船を下りた子の口から焼山(昼食する)間で約14㎞、奥入瀬渓流が続く。今回は車窓からの眺めだけである。さまざまな瀬を見ながらブナなどの広葉樹林の中を走る。

奥入瀬

右に左に目まぐるしく滝が現れる。車を止めて写真撮影、散策している。初夏や紅葉時期に歩いてみたいところである。

旅の楽しみの一つにその土地の郷土料理がある。
南に住んでいると北の食べ物に憧れる。

昼食に、せんべい汁が出た。お膳の上に丸型の白い米せんべいが乗っている。鍋に火がついてから、せんべいをちぎって入れてくださいと言う。

せんべい汁

鍋料理にせんべいを入れる?変な感じがしたがこの地方の料理である。きりたんぽ鍋のきりたんぽがせんべいに代わったと思えばよい。スープにさっと溶けてとろんとした食感である。珍しく温まって美味しい。

~バスの中でガイドさんに聞いた津軽弁~
体の部分ですとヒントがあったが見当もつかなかった。
さいごの「とさゆさ」は車中爆笑の渦!
あずまし(あんずまし)・・・気持ちがいい
おとげ・・・あご
へちょこ・・・へそ
もちょこちゃ・・・くすぐったい
あくど・・・かかと
とさゆさ・・・どこに行くの?湯さ

この旅最後の桜を見る十和田市へ向かう。

  駒街道

    【駒 街 道】
十和田市は旧十和田市と旧十和田湖町の合併により平成17年1月1日に誕生している。官庁街通りは愛称で「駒街道」と呼ばれ市民憩いの道で「日本の道100選」に選ばれている。通りは桜一色に染まっている。

長さ1kmの道に500本の桜並木が続く。歩道両側に奥入瀬渓流をイメージした水の流れや、さまざまな馬のオブジェが配置され、桜を際立たせて壮大な絵画のような美しさだ。ライトアップされた夜桜も美しいという。
この日も満開の桜の中、人出が多く、公園内は花見の宴で賑わっている。

駒街道2

全国に桜の名所は多いが知られていないところも多い。駒街道もそうであろう。訪れる機会に恵まれ、今回はツアーでよかった。官庁街の通りに満開の桜が彩りを添えている。優しい町である。

東北の桜を愛でる2泊3日の旅も終わる。一路八戸駅へ。
16:05発、新幹線はやて4号に乗って帰京の途についた。          続く


青 森 そ の 2

十二湖駅へ着いた。

駅の売店をのぞいてみた。土地のものはないかしら?
袋詰めにした山菜がかごに盛ってある。山の多いこの地域は、きっと山菜の宝庫に違いない。
ぼんな、ギョウジャニンニク、山わさび、うど、こごみ、あざみ、たらのめ・・・・・

山菜

珍しい山菜が多い。新鮮で安い。1袋150~250円。
近くに住み、今日帰宅するのであれば、あれもこれも欲しいものばかりである。

「ぼんな」は、見ること、名まえを聞くことも初めてである。
いつもの好奇心が黙らなくなってしまった。試してみたくなった。明後日帰鹿することは承知のうえである。「ぼんな」は是非とも欲しい。ギョウジャニンニク、山わさびも握ってしまった。新聞紙にくるんでもらった。

駅のホームにリゾート白神「橅」編成が入ってきた。
楽しみにしていた五能線に乗車する。乗ってみたいローカル線として鉄道ファンも多い。
五能線は全長147.2キロ。秋田県・東能代駅と青森県・川部駅を結ぶ路線である。海と山、津軽平野の詩情あふれる景色が楽しめる。

五能線は鉄道写真撮影ポイントとしても知られる。海岸線ぎりぎりに走る列車や、雄大な岩木山をバックに走る光景が撮影されている。絶景ポイントは徐行運転してくれる。夕陽ラインでは、夕陽のビューポイントもある。日本海に沈む夕陽が見られるというが、昼間の時間帯で残念であった。観光列車のうれしいサービスである。

千畳敷

「千畳敷」では10分停車した。列車を降りて岩畳まで行ってみた。
「日本の夕景百選」に認定されている千畳敷は、寛政4年(1792)の地震によりできた岩浜。その昔、殿様が千畳の畳を敷き酒宴をしたといわれる岩棚が広大に続いている。

奇岩
奇岩と波しぶきが日本海に似合っている。太宰治の文学碑も建っている。
文学碑

車内イベントも行われている。
鯵か沢駅~五所川原駅間で「津軽三味線の生演奏」が聴けた。女性2人の奏者である。太棹の力強い演奏、心を揺さぶる津軽三味線。津軽の景色を眺めながら聴くことが出来た。展望ラウンジ(先頭列車)で演奏して車内にマイクで流している。

三味線

津軽弁「語りべ」実演もあったが車内では聞き取れなかった。よく分かりにくい方言に鹿児島と青森があげられる。
JRもローカル色を取り入れた企画を催行している。車中も変化があって楽しい。
冠雪の岩木山も車窓から見える。列車からではよい像はなかなか捉えられない。
川部駅で進行方向が変わって弘前へ向かった。

【弘 前 公 園】

弘前城

弘前駅に着くとバスも到着していた。これから弘前公園の桜見物である。
人出が多い。直ぐ渋滞に巻き込まれた。堀沿いの歩道の桜も満開で水面に映って美しい。早く城閣のある公園へ入場したい!
弘前は津軽10万石の城下町。国内屈指の桜の名所として知られる弘前城がシンボル。3層の天守閣の美しい白壁が城跡一帯の公園の景観美を引き立てる。春は2600本の桜が咲き乱れる「弘前桜まつり」、今がその時である。

しだれ桜

岩木山2

5時近くなり、陽も薄くなってきた。急いで公園を目指した。目に映るものは桜のオンパレードである。城を背に咲く桜は風情がある。日本の春である。広い公園内は桜と松の色が調和している。しだれ桜とソメイヨシノが入り混じって桜花爛漫である。公園から逆光で見る岩木山の姿が美しい。桜をお堀の水が水鏡となって映している。花吹雪も舞ってちょっと感傷的に!
二の丸を見学する時間(5時までに入場)がなく残念。これも次回へ見送り。

水鏡

日も暮れかかり、一路今夜の宿である湯瀬温泉へ。弘前から1時間半ぐらい要するという。
暗くなると景色も見えないのでお休みタイムとなった。

青森県はりんごの産地として知られている。県全体が産地と思っていた。ガイドの話では“りんごの産地は津軽地方だという、南部地方では殆ど作っていない”と聞いて、意外な感じがした。私の認識不足? 「わけ」があった。

青森県は、江戸時代、津軽藩と南部藩に分かれ文化風土にも違いがあった。
気候については夏が短く冬が長い冷涼型に属しており、津軽地方(日本海側)と南部地方(太平洋側)ではおおきな違いがある。

特に太平洋側に吹く偏西風(やませ)のため、低温と小雨がつづき冷害にみまわれるやすくなることから、農産物の分布では日本海側の水稲やりんごに対し、太平洋側では根菜類(ながいも、にんにく)が主流となっている。「やませ」については社会科で習っている。

居眠りなどしていたら、
今夜の宿・湯瀬温泉(八幡平)の「姫の湯ホテル」に到着した。      続く


青 森 そ の 1

2日目の朝である。8時40分、「秋田温泉さとみ」を出発する。
今日の行程は長い。宿にも夜着くスケジュールである。
秋田市を出発して日本海沿いに北上して青森県に入る。夜には東部の内陸地を県越えして再び秋田県へ舞い戻ることになる。

日本海

今日一番の見所、白神山地を目指してバスは走る。ほぼ日本海沿いに北上するので海が臨める。至る所に冬の暴風雪除けが見受けられる。沼が多い。秋田県はジュンサイの産地である。夕食の吸い物や、しょっつるにも使ってあった。

「秋田名物八森鰰々(ハタハタ) 男鹿で男鹿ブリコ 能代春慶桧山納豆・・・」
と秋田音頭にも唄われている八森を通過した。やがて青森県である。

【白 神 山 地 (世界自然遺産)】
白神山地は、青森県西南部と秋田県北西部にまたがる、約13万ヘクタールの山岳地帯である。世界でも最大級のブナ原生林が広がる手つかずの貴重な自然である。約17000ヘクタールが世界自然遺産の登録地域。
国の天然記念物のクマゲラやイヌワシ、ニホンカモシカなどが生息している。2000種の昆虫、白神山地に咲くアオモリマンテマなど貴重な草花が生息する、動植物の楽園。

青森県の十二湖からのルートで白神山地に入っていった。
高い山で1230メートル、ブナの木が多い。

ガイド――「ブナは漢字で書くと?」
一乗客――「木篇に無」
ガイド――「ブナは水分が多く木材にならない。字のとおり何にもならない木だからと書くのよ」
本当のような話に乗客も笑っている。

日本キャニオン

「右手を注目してください。日本キャニオンが見えてきます。」
はじめ何のことだか分からなかった。少し白い山肌が見えてきた。バス上の目線からでは注意して見ていないと見過ごしてしまいそうにちょっとだけである。白くゴツゴツした岩肌だという。
大げさじゃない? おらが国自慢かな?
その名の由来は、巨大な白い岩肌がアメリカ・コロラド高原のグランドキャニオンを思わせるところから。

【十 二 湖 (津軽国定公園)】
お目当ての十二湖、今日のハイライトの青池に行くためにバスを降りた。なだらかな山道を登っていく。
十二湖は、33の湖沼群からなるブナの森に囲まれた美しい公園である。中でも青池は十二湖を代表する名湖である。

元々33あった湖が、崩(くずれ)山が崩れて、塞き止めてしまった。
崩山の頂上から眺めると、小さい池は森の中に隠れ、大きな池だけが12見えたことから「十二湖」といわれるようになった。

落ち葉を踏みしめながら歩いていくと左手に湖が見えてくる。繋がっている湖もあって数は数えにくい。最後にちょっと上ったところに青池の表示が出てきた。

青池

【青 池】
「あっ!」
水の色を見た途端、おもわず息を呑んだ。
言葉で表現できない色である。心の中まで染み込んでくるような深い色合いである。
青インクを流し込んだように真っ青な湖水を湛えている。その色は神秘的で、湖底にはブナの木が静かに横たわり、太陽の光によって池の青さが変化する。

青池は白神山地の西側の山腹にポツンと丸く開かれた直径45m、深さ9mの紺碧な青い水の湧き出す池である。その水の透明感は神秘的で、昔から有名である。水の青色は白神山地特有の澄んだ青い色を発する水の分子の性質による、原生自然の色である。

静寂の杜の中で、じっと見ていると、吸い込まれそうなほど美しく神秘的な印象を与えてくれる。妖しげにさえ感じる。湖底まで見えそうな透明度、木漏れ日から射す陽光が反射して湖面はキラキラと光っている。

沸壺の池

青池の手前にある沸壺(わきつぼ)の池も素晴らしい。
池の底からこんこんと白神山地の伏流水が湧き出している。透明感のある青い水を湛えており、青池と並んで十二湖屈指の神秘的な美しさである。周辺のブナやミズナラの古木との景観も絵になる。

少し登山道の階段を上ったところで、視界が明るく開けた。ブナの原生林が広がっている。ステップには滑らないようにチップ材が敷いてある。

ブナの原生林

ブナの自然林で、若い木から老木まで生い茂っている。お行儀のよい木立ではないが手つかずの森がいい。手を大きく広げて深呼吸した。大自然からのプレゼント、澄んだ空気がおいしい!!
下り道、あちこちで可愛らしいふきのとうを見た。鹿児島では自生のものはなかなか見られない。

ふきのとう

【サンタランド白神】
昼食はサンタランド白神で摂った。
サンタランド白神とはなんだろう?と思った。

世界自然遺産である白神山地の主峰・白神岳の麓に位置し、クリスマスのムードを一年を通して感じられる夢いっぱいのサンタクロースワールドである。

サンタポスト(郵便局)やサンタハウスの他、本格的なログハウスのコテージ、和風タイプの集合別荘フヴィラ、炭焼き体験棟やレストランなどの施設が充実している。
北欧のロマンと白神の自然を思い切り満喫できるリゾートである。

サンタクロース

珍しいフィンランド直輸入品が販売されている。フィンランドからやってきたサンタクロースと会える。この日も一緒に写真を撮る子ども・・・大人までもいる。

サンタランド白神は、青森県岩崎村(現在は深浦町)がサンタクロースのふるさとであるフィンランド国ラヌア郡と姉妹都市の締結をしたのを機に計画・建設された。

昼食後十二湖駅へ向かった。
これから、一度は乗ってみたいと思っていた五能線に乗車する。        続く

昨日は母の日であった。

花かご

昼ごろ東京に住む嫁の閑子さんから花かごが届いた。
息子は3年前結婚したが、それまで母の日のプレゼントなどもらったことはなかった。

赤とピンクのカーネーション、薔薇を隙間無く組み合わせて盛られている。花の周りにぐるりと付いている針金状ものはなんだろう? チェーンの所々にパール玉がある。ネックレスをイメージして花の周りを囲んでいると解した。

心憎い演出である。花屋さんのアイディアかしら?それとも閑子さん?
どちらにしてもうれしいことには違いない。
早速玄関に飾った。辺りが優しい雰囲気に変わった。心が和む。
閑子さんありがとう!

夜は次女から電話があった。
既に先取りプレゼントのハンドバックをもらっている。先日上京したとき、一緒に見に行って決めた品である。使い勝手のよい普段使い用で重宝している。

バッグ

同じく長女からも“おめでとうコール”が届いた。
今月末ロンドン・イタリアへ旅行する。「その時にプレゼントを考えているからね」という。

私は、今週末箱根同窓会(高校)で上京する。今月は2回も子供たちと会う機会に恵まれる。何よりうれしい母の日の月である。

秋 田 そ の 2

今日の泊まりは秋田市郊外に在る「秋田温泉さとみ」である。
300坪の大浴場と140坪の露天風呂が楽しめる広々とした温泉宿である。
部屋の窓から、下を流れる旭川、両岸には淡い桜色が薄暮の中に霞むように映る。

窓下

夕食時間まで間があったので大浴場へ急いだ。大きな露天風呂が2ヶ所ある。日本庭園を眺めながら湯煙の中に身を沈めると旅の疲れも吹っ飛ぶ。優しい心地よさが全身を包みこむ。
全身を「すべすべの膜」で覆われたような感触がする。

泉質は含硼酸重曹食塩泉。
肌が艶々、すべすべになる「美人の湯」、
ぽかぽかの温もりが持続する「あったまりの湯」として親しまれていると宣伝している。
女性に人気の宿であるらしい。

夕食はグルメ会席(日本海の鮮魚・山菜・塩汁・きりたんぽ鍋)となっており、期待できそうである。
広間に家族ごとに高脚付き膳が並べてある。
アルコール駄目家族である。香りだけでもと、娘たちは秋田の銘柄「高清水」の冷酒、私は白のグラスワインで乾杯した。

北の食べ物には珍しさと憧れをもつ。
お膳の上を目で追った。

夕食

手前に「御口上」が添えてある。読んでみる。
『本日はグルメプランのコースをお選びいただきまして、誠にありがとうございます。私は太平洋の海水に産声をあげ、育ちました。現在8歳でございます。丁度食べごろかと存じます。
ご覧のように大変生きがよろしいので、安心して食していただけますし、味のほうも大変よろしいかと思います。
1尾はお造りに、もう1尾は焼くのがよろしいかと思います。女性の方にはグラタンもお勧めの一品でございます。できるだけ早いうちにお食べいただいて、又残さずに食べていただければ私も本望でございます。』

料理長の心意気が伝わってくる。
今夜は伊勢えび2尾使ってあるメニューである。
1尾は片身ずつグラタンにして2枚も盛られている。活き造りは後で運ばれた。

今は桜と山菜が旬のシーズンである。それらを使いイメージした料理は珍しく、うれしい。
とりわけ秋田の「塩汁・しょっつる」「きりたんぽ鍋」に注目した。
目に焼き付けデジカメに収めた。

さしみ

伊勢えびの造りとは別に魚の刺身もある。かまくらの中に刺身が見える。触ると冷たい。ひと目で秋田とわかるアイディアである。

【塩汁・しょっつる】

しょっつる

民謡「秋田音頭」にも唄われているハタハタを使ってしょっつる仕立の料理。一度は本場で食べてみたいと思っていた。漢字で、ハタハタは「鰰」と書く。

しょっつる鍋仕立てを、取り分けて熱々が運ばれてきた。
ハタハタ、豆腐、じゅんさいなどが入っている。スープの色は濁りのない透明色。塩味であることが分かる。臭みのない、旨味のある薄味、上品な味わいである。汁ごときれいに頂いた。

【きりたんぽ鍋】

きりたんぽ

秋田郷土料理の代表格の、きりたんぽ鍋も楽しみにしていた。
もともと,「きりたんぽ」は秋田県北部の猟師「マタギ」の料理であったと言われている。
比内鶏、きりたんぽ、野菜類を煮込んだ鍋である。スープの出しは比内鶏からとっている。

30年前、初めてきりたんぽを食べて以来大好きになっている。しかし、南の鹿児島では見かけない。冷凍物は好きになれない。久しぶりにホクホクとした食感のきりたんぽを食べた。米どころ秋田ならではの味である。スープもいい味加減でおいしい。

蛤の潮汁も絶品である。
和食は出しが命である。どの料理からも出しが丁寧に取られていることが窺える。
北の料理は珍しい。目に焼きつけ、舌で覚えようと欲張って頂いた。
私も娘も食べ過ぎた。日本海に面する秋田は新鮮な海の幸が多い。日本料理に適した食材が多く和食が一番である。

休む前にもう一度、露天風呂に浸かった。月を見ながら風情のある情景である。

  「しょっつる」
 魚醤「しょっつる」は本来「ハタハタ」を原料としたモノであるが、乱獲による原料(ハタハタ)の減少から、近年ではすっかり少なくなり、「いわし」や「コウナゴ」などの代替え原料になっているという。色が薄い、ハタハタが白身の魚であるからに違いない。金沢の「いしる」も 魚醤だがこちらは茶色に色づいている。戻ってから使いたいと思い宿の売店で1瓶購入した。        
                              続く

しょっつる


秋 田 その1

乗車しているバスは弘前から配車されている。
ガイドさんも弘前出身で普段は津軽弁で訛っていると話す。これでも今日は標準語に近い言葉で話しているよという。時どき訛りの口調が出るが、ひびきは優しい。車内に東北の地図が貼ってある。説明しながら言葉は訛っても字は訛ってないからねと面白い。

この旅の全行程のアウトラインを聞いた。ユニークなルートである。
秋田県と青森県を通過する。西側の日本海側と東側の内陸部で2回にわたって両県をまたぐことになる。日本海側では五能線に乗車する。今回の楽しみの一つである。

雪国の暮らしも聞いた。
4月から10月までが観光シーズンである。冬期はスキー客以外訪れる人は殆どない。
盛岡・秋田間の国道46号線は吹雪きよけの防雪機が設置してある。信号機は縦型が多い。雪がさっと落下するから、横向きだと雪が積もる。なるほど・・・納得。

~千秋公園のさくら~

千秋4

千秋公園は秋田市の中心部にあり、かっての秋田藩主佐竹氏20万石が築いた久保田城跡。
石垣や天守閣がない土塁のある平山城として知られる。
公園は1896年造園家・長岡安平により日本庭園として設計され、漢学者・狩野良知により命名された。日本の都市公園100選に入っている。

千秋3

園内には800本を越すソメイヨシノが見事に咲き競う。さくらまつり期間はライトアップもされる。惜しいことに4月30日で終わっていた。1時間余り園内のさくらを見て回った。全視界の中にさくらが広がる。薄暮の空をほんのりと薄桃色に染める。日暮れ前にさくらをたっぷり眺めることが出来た。夜はゆっくり温泉に浸かり今日の疲れを癒すことにしましょう。

久保田城表門

表門

厳重な守りを固めていた本丸の正門で、木造2階建て茅葺の櫓(やぐら)門。絵図や発掘調査資料をもとに再建した。

公園内には佐竹資料館、秋田市立図書館明徳館の「石川達三記念室」、平野政吉美術館(藤田嗣治の作品を所蔵)も見学したいところである。さくら巡りが主目的のスケジュールでは無理であった。次回は訪ねたい。                            続く

千秋5


角 館 (秋田県) その2

~武家屋敷通りのしだれ桜~

しだれ桜

青柳家の見学がすんだら、自由散策、さくら見物である。
城下町の面影を残す武家屋敷一帯は、しだれ桜が見事である。樹齢200年を越える古木もあり華麗なたたずまいである。通りをそぞろ歩きしている人が多い。

人力車

桜は満開で観光客が多い。人力車に乗って優雅にさくらを愛でている客も見られる。風情のある景観である。黒塀、しだれ桜、人力車は、あたりの風景にうまく溶け合っている。
しだれ桜は少しの風で揺れる。なんともいえぬ情緒ある風情である。観桜客もひっきりなしに垂れ下がった枝越しに写真を撮っている。花に引きたてられ皆さん美人に映っている。

しだれ桜2

通りに桜皮細工センター、小間物屋、樺細工の土産物屋、レストラン等が並ぶ。
桜の皮細工製品(茶筒、お盆、額)が多く、センターでは手作りしている実演場面も見られた。皮の模様が変化に富んで表面は艶がある。土産に靴べらを求めた。

もう少し時間が欲しい。じっくり見たいが、限られた時間枠内では仕方がない。もう一ヶ所の桜の名所、桧木内川の河畔へ移動した。

~桧木内川(ひのきないがわ)の河畔のソメイヨシノ~

桧木内川

こちらはソメイヨシノである。川を挟んで両岸にびっしり咲き乱れている。桃色の帯状を呈している。土手を歩くと両側の桜が重なりトンネルとなっている。歩くと辺りをぱっと明るく照らす。花が密生しているので質感・量感がある。
河川敷では花見の宴も始まっている。

 花のトンネル

この後バスは秋田市内へ向かった。                         続く 

角 館 (秋田県) その1

内町

角館の駅は小じんまりとしている。
ここからバスで移動する。観光バスは弘前から来ていた。今日から列車に乗る区間以外はこのバスで移動することになる。
最終の3日目、八戸駅から新幹線に乗って東京へ出発するまでの区間になる。

今回の旅で、行ってみたい、外したくない所が、角館の町と桜であった。
この旅はさくら見物が主目的である。角館の武家屋敷だけ1ヶ所だけが見学するところである。

“みちのくの小京都”と呼ばれる角館は、城下の町割り、武家屋敷の姿を最もよく残した町だといえる。黒板塀の続く武家屋敷に、城下町の面影が色濃く漂う町並みである。門や塀は残っていても、建物まで残っている城下町はごく少ない。
さくらの名所としても知られている。

町は三方を山に囲まれ、南は仙北平野に開いている地形で、城下町を形成するのに適した場所であった。町の中央の火除け広場(防火地帯)を境に北に内町(武家町)、南に外町(町人町)分かれている。南北2キロの範囲に集中している。

北側の“内町”は武家屋敷で深い木立で覆われて、おっとりと落ち着きのあるたたずまい。南の“外町”は商家がびっしり埋めている活気のある町並み。異質な空間が対照的である。

関ヶ原の戦い後、角館領主となった芦名義勝が元和6年(1620年)に町づくりを開始した。芦名家断絶後は京都の公卿出身・佐竹義隣が角館を領有し、大いに京風文化を取り入れた。

同時に京のしだれ桜を角館に移植したので、現在、広々とした武家屋敷の庭には樹齢200年以上の巨大な枝垂れ桜が多く、開花期には桧木内川(ひのきないかわ)堤のソメイヨシノと美しさを競う。

電線も取り払われ、道幅も広く、江戸時代の雰囲気をそのまま伝える武家屋敷群は、昭和51年(1976年)「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。

元和6年(1620)秋田藩の支藩として城下町を形成した。以来380年、町の形成は大きく変わっておらず、今も歴史の生きている町でもある。

武家屋敷も見学できるところが多い(有料と無料がある)。
6軒が残り、一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。600mの武家屋敷通りには長屋門、薬医門、黒塀板がつづく。


【角 館 歴 史 村・青 柳 家】
何ヶ所も見る時間がなかったのでガイドさんお薦めの青柳家(有料500円)を見学した。
角館歴史村・青柳家は角館を代表する武家屋敷(幕末の石高は204石で組頭役だった)で、立派な薬医門が目印。
目印の薬医門を撮ろうと思ったが観光客が群れて、まともに撮れない、斜めからやっと・・・

青柳家

中に入ると、広大な敷地に寄棟茅葺屋根の母屋、武器蔵、文庫蔵などが残り、江戸時代の史料などを展示するミニミュージアム、秋田郷土館、武家道具館などがある。

ここで秋田蘭画があることを知った。

秋田は江戸から遠い奥州にありながら、文化交流は辺境の地ではなかった。
一つは北前船の存在である。
瀬戸内海・日本海を経て奥州の地へ上方文化を運ぶ北前船は、時として長崎から京へ送られた南蛮の品々をも遠く秋田の地へと運んだのである。
京との関係が濃い久保田藩、角館支藩は積極的に上方文化を導入し、藩全体が上方文化に浸る機会に恵まれていた。

また平賀源内の蘭学との関わりもある。
蘭学書物に描かれた詳細な挿し絵は、その正確さで人々を驚嘆させた。
蘭学の創始者である平賀源内は洋画の研究もしていた。
久保田藩主・佐竹義敦(よしあつ)は江戸藩邸で生まれ、江戸文化教養を身につけていた。後に秋田蘭画の担い手となった。

角館の地に生まれた小田野直武は、年少期より画才を発揮し、15歳で久保田藩の御用絵師から狩野派の画法を学んだ。浮世絵画法、琳派画法、漢画画法等、種々の画風を学んだ。

直武

平賀源内が藩主に招かれた時、直武は出会った。
源内から西洋画の陰影法・明暗法を教えられた。
源内から教授された洋画技法は、小田野直武を通して洋画を志す角館城代・佐竹義躬や藩士・田代忠国が集まり、秋田蘭画隆盛の基礎が築かれた。

3年間、江戸の源内の下で洋画を学んだ直武は、杉田玄白の「解体新書」の図版を描いた。鎖国下の日本で、しかも江戸から遠く離れた東北の地で、花開いた秋田蘭画の世界は直武夭折(享年32歳)で短い開花期を終えた。

小田野直武が表紙絵と図版を描いた初版の「解体新書」は庭園内「ハイカラ館」に展示されている。

敷地内に小田野直武の胸像が立っている。彼の生家がこの近くにあったという。
胸像近くのパネルには、小田野直武の一生がわかりやすく説明されている。読みながら初めて知ることが多く驚きであった。                     続く

新茶の美味しい時期になった。
お茶の産地として、静岡、宇治は有名である。
知名度は低いかもしれないが、鹿児島県は、お茶の生産量は静岡県に次ぐ、全国第2位の産地である。
ペトボトルのお茶が売られるようになってから、茶の消費量は拡大していると推測する。

店などで売られているお茶は、一般的にブレンドされているという。
最後にブレンドして袋詰めした場所が静岡や宇治ならば、鹿児島産のあら茶がブレンドされても静岡茶、あるいは宇治茶などと表示されていた。

だんだん改善されつつあるといっても、悔しいじゃありませんか。
鹿児島は、よく宣伝下手だといわれる。観光においても然り、商売下手である。

ぼやき節はこれぐらいにしておきましょう。
本題をそれましたが、この時期になると、毎年、親戚知人に鹿児島の新茶を送っている。
鹿児島を離れて長崎に住む母は、鹿児島のお茶が一番おいしいという。勿論私も・・・
お茶の産地の無い奄美の人も喜んでくださる。

喜んでもらえる姿を想いながら宛書をする。書く手も弾んでいる。

今朝のことである。
夫は朝食中、私は隣室でちょっとPCをいじっていた。
TVから、すっかり有名になってしまった「トゥーランドット」の歌が聞こえてくる。

それ~っと、大好きな曲を聴こうとTVの前に座った。身震いするような音質と声量である。
N放送局のおはよう日本の番組である。歌が終わると病気の話が続く。残酷な話でその場を動けなくなってしまった。

取材を受けているのはオペラ歌手のベ・チェチョル氏。
彼は昨年舞台で倒れ甲状腺癌が見つかり手術している。声が出なくなった。

もう一度舞台に立ちたいとの一念で日本で手術を受けるためにやってきた。サポートする人もいて京都大のI医師の執刀で、4月25日4時間にわたる手術を受けたばかりである。
声を出しながらの局部麻酔の映像も流れた。奇跡とも思える声を取り戻した。
静養のためドイツの自宅へ戻っていった。1ヵ月後の検査で再来日する。

彼の名前はベ・チェチョル、
詳しいことが知りたくて名前を書きとめてPCで検索してみた。
見つかった。
公演のパンフには~「韓国が誇るアジアの「キング・オブ・ハイC」。世界的にも貴重なリリコ・スピント。甲状腺癌に倒れ、現在復帰をかけて療養生活にある~と書いてある。

プロフィールを読んだ。
イタリアのヴェルディ音楽院を修了後、直ちにヨーロッパ各地の声楽コンクール(98年ジュリエッタ・シミオナート)(98年プラシド・ドミンゴ・オペラリア)(99年ヴェルディ)等に優勝・入賞を重ねデビュー。
ハンガリー国立歌劇場、ビルバオ、トリノ市立歌劇場、パルマ市立歌劇場、マドリッド・オペラハウス、などでトスカ(カヴァラドッシ)、ボエーム(ロドルフォ)、蝶々夫人(ピンカートン)、ルチア(エドガルド)、リゴレット(マントヴァ公爵)、トロヴァトーレ(マンリーコ)、マクベス(マクダフ)、ファウストなどを歌って、本場各地でも大きな成功を収めている。世界的にも貴重な「リリコ・スピント」の声質を持つ。

わが国には2003年9月にオーチャードホールにて行われたヴェルディ「イル・トロバトーレ」で初登場、衝撃的なデビューを飾って以来、毎年来日を重ねる。女優冨士眞奈美、吉行和子、岸田今日子の三女優がナビゲーターをつとめるおしゃべりコンサート「歌に生き、恋に生き」の全国ツアーでは、オペラマニアから初心者までを熱狂させる大成功を収め多くのファンを獲得。素晴らしい経歴である。

更なる活躍が期待される中、2005年10月甲状腺癌であることが判明、現在舞台復帰をかけて闘病中であるが、4月25日京都にて、甲状軟骨形成手術を行う。

TVの報告でも甲状軟骨形成手術は成功している。
手術箇所の炎症が治まるのを待ち安静のためにドイツの自宅へ戻っている。6月の初旬再びI先生の診察を受ける段階で、今回の手術により声がどこまで回復するかの一応の見通しがたつ模様である。

歌手にとって声は我が命である。
得がたい声の持ち主である。以前のリリコ・スピントの声を取り戻して欲しい。
舞台復帰を心から願う。一度生の声を聴きたい!

韓国には多くの優れた音楽家がいる。音楽レベルの高い国であることは聞いているがあまり知られていない。私も指揮のチョン・ミョンフンなどごく一部の人を知っているだけである。
同じアジアの人が世界で活躍することは素晴らしいことである。エールをおくります!!

5月2日(火)・・・東京駅八重洲北口:8時25分集合

今日から
     ~リゾートしらかみ号に乗る~
 弘 前・角 館・駒 街 道 みちのく 味 覚 紀 行 3 日 間の旅の始まりである。

車窓

今回は旅行社のツアー(添乗員付き)に参加する。
★東北のさくらはゴールデンウイークの頃が見頃であること。
★混雑期である。コンパクトに効率よく周りたい。
★娘2人との3人旅で、いずれも東北は初めてである。
私の希望として角館に行きたいと伝えた。
そんな条件に合致したコースで次女が手配してくれた。

集まってみると参加者は15人、予想より少ない。
母娘の組み合わせは私たちばかりで、あとはいずれも中高年の夫婦ばかりである。

今年のGWは休みが長く海外脱出組が多い。若者は今回の旅費ぐらいで近場のアジアへ出かけたのかもしれない。さくら見物もいろいろなコースがあり選択肢が多いことなどが理由であろう。

以前は東北向けの列車は上野発のイメージがあった。東北新幹線には初めて乗る。秋田行きの「こまち9号」は定刻の8時56分に滑るようにして東京駅を発車した。
車窓からの景色は平野が広がり、辺りに山が見えない。関東平野は広大である。

2年前に開通した九州新幹線・鹿児島⇔新八代とは大違いである。こちらはトンネルばかりである。車名は「つばめ」だが、暗闇を走るもぐらのようである。車体は新しいので乗り心地はよい。

停車地は上野、大宮、仙台、盛岡、田沢湖、角館(下車)である。
角館まで約3時間の乗車である。列車での旅は久しぶりである。車窓から遠景を眺められ、車内の空間もあって寛げるのがよい。

仙台で昼食の花見弁当が積み込まれた。行程の都合上、下車するまでの車内で食べるようにということで直ぐ広げた。淡い彩りの花見弁当である。手作りの菜ばかりで優しい味付けである。

花見弁当

特製お花見弁当、~お品書き~も入れてある。
厚焼き玉子、鯖の照り焼き、鶏肉巻竜田揚げ、海老二色団子、
花しんじょう、菜の花の和え物、紅花包み蒸し、炊き合わせ、
櫻葉もち、ばっけ味噌、春の吹き寄せ御飯、香の物。
※ ばっけ・・・津軽弁で「ふきのとう」をいう。

盛岡で連結していた青森行きの「はやて」と分離した。
心なしか列車のスピードも落ちてきたように感じた。盛岡を過ぎ、田沢湖辺りに来ると線路の路肩に残雪が目に付くようになってきた。山にも残雪が・・・

12時12分:角館駅着                                    続く
                              

5月1日、今日はフリーの日になった。
当初、開催中のプラド美術展を見に行く予定であった。
ところが月曜日は休館日と分かり予定変更である。5月下旬高校の同窓会で再度上京するのでその時に行くことにした。

終日次女がつきあってくれることになり、夕食は長男夫婦、長女と一緒にする。
仕事が忙しい長女は出勤した。次女からの電話で、
「梅上山光明寺に行こう。神谷町まで出で来て」
「なにがあるの?」
「来れば分かるわ、駅員にお寺の出口番号を聞いて出たところで待っていて、11時待ち合わせね」

何のサプライズだろうと思いながら身支度をして出かけた。新丸子から直通の電車もいるが30分間隔である。中目黒で日比谷線に乗り換えるほうが早い。30数年前世田谷に住んでいた。東横線はよく利用していたので学芸大学前、祐天寺の駅名を聞くと懐かしい。

光明寺

少し待って娘がやってきた。目の前に神谷町交差点がある。信号を渡って直ぐ左手にお寺が見える。梅上山光明寺(浄土真宗)の石碑が建っている。思いがけない、違和感さえ覚えるようなところに出た。都会の喧騒の中に寺が在り、そこだけ、仕切られたような静かな空間が広がっている。寺の2Fはオープンテラスになっている。飲食持込自由、無線LAN完備、寺で作っている本日のお菓子もある。

~DRINKS・・・(コーヒー、ほうじ茶、アイスコーヒー、冷ほうじ茶)~
~Sweets ・・・ 嶺岡豆腐~
横文字まじりのメニューも今風?

嶺岡豆腐

精進料理では肉、魚、牛乳も使われない。嶺岡豆腐に限って牛乳が使われると書いてある。
珍しい嶺岡豆腐(牛乳羹)とほうじ茶を注文した。
オープンテラスは20~30人座れそうなスペースがある。数人の人が昼食を広げたりPCを使っている。喫茶店感覚でのお出入り自由の空間はうれしい。お賽銭は自由である。お墓参りをしている人もいる。

腰掛けて嶺岡豆腐とほうじ茶を頂きながら外を眺めた。寺の屋根の奥には高層ビル、新緑の木の先に東京タワーも見える。ここだけはひっそりと静まり返った空間がある。心地よいみどりの風が肌を撫でていく。五月晴れと緑を見ていると気も鎮まる。小1時間休んで席を立った。

銀座に美味しく手軽に食べられるレストランがあると案内してくれた。
明日からの東北旅行では日本料理が多いと聞いている。今日の昼はスペイン料理店にした。夕食を皆ですることを思い、軽めのメニューを選んだ。パエリアとサラダに決めた。

パエリア

スペインは生ハムのハモンセラーノが美味しい所として有名である。サラダのサラミソーセージも艶やかな色をしている。4年前一緒に行ったスペイン旅行を語りながら昼食をとった。

その後ショッピングと銀ブラと洒落こんだ。3年前息子の結婚では何度も上京して歩き回った。迷いそうになると4丁目に立って方向を立て直す。

4時ごろ六本木ヒルズで開催中の「ダ・ヴィンチ・コード展」へ向かった。
夕食する場所にも近い。10時までとなっているのでゆっくり見学できそうである。

ダヴィンチ・コード展

ベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』のストーリーに沿って、世界に散在するレオナルド・ダ・ヴィンチの名画と謎を高精細なデジタル映像で再現する“デジタル・ミュージアム”となっている。電機メーカーSの映像であった。5月20日公開の映画に先駆けて開催されている。

「ダ・ヴィンチ・コード展」は、世界初の試みとして「本で読み、ミュージアムで体験し、映画を観る」という三つの楽しみ方を提案しているという。会場は混雑も無く映像と説明を丹念に見ることができた。
本は読んでいないが映画はぜひ観たいと思っている。

夕食は息子夫婦も一緒である。長女は遅れてやってきたが、子どもが全員揃って食事する機会は滅多に無い。みなが調整して私のために集まってくれた。鉄板焼きも珍しい。息子が取り分けてくれる。語らいながらの食事は美味しい! うれしい!


オーロラ

去る4月30日夕方の便で上京した。
東京に住む娘と合流してゴールデンウイークに東北のさくら見物に出かける。
以前は鹿児島から東京へのフライト数は全日空が多かった。JALとJASが合併してからは、逆にJAL便が多くなりこちらを利用することが多くなっている。
今回は全日空便である。マイレージで行けるフリーチケットである。

2004.12.1、羽田の第2ターミナルビルが完成した。直後に一度、乗り継ぎで降りただけである。
見学したいところがある。日本画家千住博のアートの世界である。

02年、彼は大徳寺聚光院伊東別館襖絵を完成させ寄進している。
その製作過程がTVで放送され感銘を受けた。

第2ターミナルビルの天井画や壁面アート、吹き抜け空間のオブジェなどを担当している。5Fまで吹き抜けの部分に「滝のオーロラ」と称する巨大な和紙が吊り下がっている。圧倒されそうである。素晴らしい空間をつくっている。襖絵の水とオーロラの光の像がだぶる。
ブルーを基調とした天井画「銀河」を下から見上げた。吸い込まれてしまいそうである。

娘二人と合流して空港内で夕食を済ませ長女宅へ向かった。

しだれさくら

東北(角館、秋田、弘前、駒街道)のさくら見物、東京での前後泊を含め6日ぶりに我が家へ戻ってきました。
九州と変わらない気温で、好天に恵まれ、行く先々でタイミングよく満開のさくらを見ることができました。
ユニークなルートでの、東北のさくらを満喫しました。少しずつ書いて写真もUPしていきます。

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マンマ

  • Author:マンマ
  • 好奇心、やじ馬根性旺盛な熟年おばさん?

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