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2006 / 02
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タンカン

温州みかんの盛りも過ぎる頃になった。
毎年このシーズンになると、鹿児島の店頭にタンカンが並ぶ。
鹿児島を離れて10年、長崎に住み、心待ちしている母にいつものように贈る。

「タンカン」を始めて知ったのは40数年前である。
当時鹿児島県の農政部に勤務していた。大隈半島南部の佐多町で試験栽培したという珍しいタンカンを初めて見た。亜熱帯が産地であることも知った。
少し試食した。ジューシーで袋ごと食べられる。温州みかんとポンカンも今のようにふんだんになかった頃である。あの時の新鮮な味と香りは今でも印象に残っている。

最近では、春先になると当たり前のようにして食べているが、タンカンの起源をWebで調べてみた。

 タンカンは中国広東省原産で、みかんとポンカンとの自然雑種と言われている。
 主産地は中国南部と台湾で、国内では沖縄、南九州等(奄美大島、屋久島)で栽培されて、生産量も多い。果汁が多く適度な甘みがある、風味が良い、種が少ない、皮が剥きやすいなどの特徴をもっている。

タンカンの発祥は、時代をさかのぼること、古代中国にたどり着く。インド・アッサム地方から渡ってきた「ポンカン」と中国最南部に自生するミカンが自然交配して生まれたのが「短桶(タンカン)」のはじまりである。

たんかんの名前の由来は、今の福建省~広東省(中国最南部地方)で収穫される美味しいみかんを、行商人達が大陸全土に売り歩いた。中国大陸で、大反響を呼ぶ。古代中国の行商人たちが短い桶(おけ)に入れて、美味しいミカンを大陸全土に売り歩いたのが「短桶」の名前の由来という。
やがて、このたんかんは、中国最南部から海を越えて台湾に移植され、その後、奄美大島を始め南西諸島へと移植された。

店頭では屋久島・種子島産が多い。
私は住んだことのある奄美大島産が一番と思っている。なかなか市場には出てこない。
ほどよい甘さと酸味が調和されていて大好きである。

これから東京に住む娘たちに荷造りするところです。


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妙見

夕方の便に乗る息子夫婦を空港まで見送りに行って戻ってきたところです。
2泊3日の帰省はあっという間に過ぎてしまった感じです。

子供たちが帰京すると、夫のいつもの口癖、
「今日からまた二人になるぞ」
「出だしも二人だったでしょう。振り出しに戻ったと思えばいいじゃありませんか」
そうは言うものの矢張り心の中に空白が広がる。食卓を囲んでの食事も人数が多い方が食も進み楽しい。

昨年は数回帰省したが私の入院手術のためであった。
今回は霧島・妙見の温泉「石原荘」に一泊して寛ぐことができた。それも息子がすべて手配してくれた。部屋の窓から眼下に天降川(あもりがわ)の渓流が望める日本情緒たっぷりの静かな宿である。巷間で料理が美味しい宿と聞いていたが評判どおりであった。
宿泊した24日は息子の誕生日でもある。たまたま重なったらしい。
鹿児島を離れて20年近くなる。一緒に過ごせる誕生日は何年ぶりだろう。
夫の顔にも笑顔が・・・。

息子が生まれた時は丁度県外出張中であった。帰宅した夫に、手伝いに来ていた母はわざと女の子と伝えたらしい。すかさず長女が弟と言ったら、そのまま病院へすっ飛んできた。女の子2人のあとに生まれた男の子である。
あれから37年、素直に育ちよい伴侶にも恵まれ社会人として頑張っている。時の流れを想うと感慨深い。

次女からの電話で「宿泊する日は誕生日よ」と言われて、「では宿代はプレゼントしなくちゃね」と語っていた。チェックアウトの時伝えたら、「いいよ、僕はもうそんな年ではないから喜んでもらえれば」と。
一緒に過ごせた息子の誕生日、息子が慰労してくれた温泉泊まり、二重にうれしい日であった。男の子は言葉ではなかなか表現しない。・・・が優しい心遣いが伝わってきてちょっと熱くなった。夫も息子の気持ちに甘えようと言ってくれた。
(どうも1日遅れのUPになってしまう。)


昨日のトリノ・オリンピックは「荒川静香金メダル」のニュース一色であった。日本中が歓喜に沸き立った。号外も出たという。メダルに手が届かない沈滞ムードの空気を一新してくれた。感動と勇気をもらった。本番の彼女の舞は時差の所為でライブで見られず残念に思っていた。
昨夜は妙見の石原荘に東京から帰省した息子夫婦と泊まっていた。フィギュアのエキシビションが深夜3時から放送されると知った。真夜中ではまた見損なうと諦めていた。
小用で目覚め時刻を確認した。2時50分である。よし、フィギュアのエキシビションを見よう。
明朝食の支度があるわけでなし朝寝してもいいかと言い訳のような独り言を呟きながら・・・TVの前に座った。

村主章枝は前半の8番目、荒川静香は後半の最後から3番目とわかった。
エキシビションはメダリストと上位入賞者の舞である。開催地のイタリアは出場者が他より多かった。世界トップのフィギュア・スケーターの滑りを一堂に見ることができる。華麗な競演である。フィギュアのエッセンスを見るようなものである。

勝敗に左右されることのない舞は緊張感が解かれたのか、のびのびと滑らかな表情で滑る。持ち味を発揮した優雅な滑りは、バレーやソシアルダンスを踊っているような錯覚を覚える。スピードがあり躍動感がる。氷上で芸術の世界を体現してくれる。ゴールドメダリストには観客からアンコールも要求される。

男子シングルゴールドメダリスト、「エフゲニー・プルシェンコ」(ロシア)の舞は秀逸であった。オペラ・トスカの「星は光りぬ」の曲にのってのジャンプとスピンは見事であった。眠気も吹っ飛び、ひたすら画面を凝視していた。

荒川静香の曲は「you raise me up」と紹介した。聞き覚えにある曲名と思っていたらラッセル、ワトソンが歌っている。今日は女性の声だったが、彼女を勇気付け後押ししてくれる選曲である。

フリーではツーランドットの「誰も寝てはならぬ」の曲で勝負した。2004年世界選手権のときも同じ曲で制覇した。開会式でパバロッティがこの曲を歌った。運命を感じたという。彼女の金メダルを象徴しているようである。
久しぶりに明るいニュースで日本中が湧き立った。感動をくれてありがとう!
(昨日中にUPしようと思っていたが、日付が変わってしまった。)

明日東京から息子夫婦が帰省します。あっ!日付が変わってしまった。
霧島に一泊、我が家に一泊します。
家事をさぼって先送りして片付けておりません。
今の時間になって台所でごそごそしております。

今日は活け花の日で少しばかり花色も添えてよいところも見せなくちゃ・・・遅い。
昨年は私の2度の入院手術で、何度も帰省し、忙しいおもいをさせ心配かけました。
今回は温泉で寛ぎ、鹿児島の黒豚しゃぶしゃぶを味わってもらおうと考えています。

オリンピックの女子フィギュア・フリーも気懸かりなのです。
ライブでは見られないでしょうね。時差の所為とはいえ深夜では・・・

寒緋桜

鹿児島の西郷隆盛銅像近くである。
通りに面した家の塀から毀れるように咲いている。見蕩れて足が止まった。

赤みを帯びた桃色の「寒緋桜」は薄い夕陽に映えて見事である。
ロマンティックな雰囲気に包まれている。
暖かくなってくると「そめいよしの」の桜前線も待ち遠しい。


トリノ・オリンピック開催中である。
日本勢は揮わず、メダルへなかなか手が届かない。
女子フィギュアが始まり早朝からニュース報道している。
ショートプログラムが終わって、荒川静香3位、村主章枝4位、安藤美姫8位と健闘している。
朗報を知って昼間TVを見た。
2日後のフリーの演技での結果が楽しみになってきた。メダルが期待できそうである。
フィギュアはTVで観戦していても美しく華やかな雰囲気がある。
氷上でバレーを踊っているような優雅な舞を見ているようである。だが、動きは数分の規定時間の中に激しい動きとジャンプの連続で、一瞬の気の緩みも許されない激しい厳しい競技である。母国の期待と自分との闘いの挟間で目に見えぬプレッシャーの中で滑っている。“転ばないように”と声を送りながら固唾を呑んで画面を凝視している。
フリーでもそれぞれの持ち味を発揮して欲しい。そして表彰台に立って欲しい。

椿


鉢植えの椿です。固い蕾も鮮やかな花の色が出てきました。

雨上がりの雫を浴び、生気を取り戻したように大きく膨らんでいます。

エネルギーを貯め込こんで、今にも開花しそうな感じがします。


少し寒気も緩んできたが、曇天から粉糠雨に変わった。
表を歩くと冷たい雨になっている。

珊瑚の会(短大の同窓生)の毎月の定例日で、クラスメイトと昼食を共にした。
今日は数年ぶりにIさんに会えた。看護で出てこれない状況が続いていた。今日は久しぶりに明るい笑顔に接することが出来てうれしい。

同世代だと共通する話題が多く知恵も借りられる。気の重たいことがあっても、喋っていくうちに自然に解れて戻り足は軽くなっている。

帰りにちょっと時間があったのでデパートの靴売り場を覗いてみた。この冬は寒さが厳しかったが、ブーツはないままで過ごしてきた。冬も終わりに近い。来冬を待つことにしようと思っていた。

ところが、最終セールの中に、ぴったりサイズでシンプルなデザインの1足が見つかった。
即決で買い! 
帰りはちょっと得した気分で、明日からでも履きたいと躍っているのです。
夕食の材料も買ったら荷物が膨れて、結局タクシーに乗って戻る破目に・・・
今日の収支はプラス?orマイナス?

ツバキ

昼過ぎ外出先から戻った。
門の右手コンクリート上にあの巨大ツバキ一輪が鎮座している。一枚の花びらも散ることなく丸ごと落下している。拾って塀の上に置いた。下から眺める時は花の重さは見当つかなかった。落ちた一輪を持った手の感触は、かなり持ち重りがする。目方はどれくらいあるのか気になり確かめたくなった。

日頃はいい加減な性格である。主婦暦40年にもなると、普段の料理は目量り、手量りで間に合っている。柄にもなく妙なところで数字にこだわっている自分が可笑しくなった。

奥まったところからキッチンスケールを出して乗せた。手量りで凡その見当はついていた。
30グラムあるかなと思っていたらなんと50グラムである。今の時期で例えるとみかん1/2個、卵だと1個の重さに相当する。
サイズも測ってみた。直径(外弁)12センチ、丈7センチである。形状は、裾野が広い
緩やかな山高を成している。

千重咲きで、内弁は花びらがびっしりと密集して造花と見間違う。雄しべ、雌しべもあるのかないのか確認できず、どの状態で全開なのかよく判らない。自生種ではないとは思うものの、自然の為せるわざと植物のもつ神秘性に只々驚くばかりである。
艶やかで華やかさのあるつばきである。牡丹や芍薬の雰囲気も持っている。
豪華な外見でも散るときはポトッと落下している。

日本人の感性に似合っている椿は侘助(ワビスケ)ではないだろうか。
ワビスケは昔から千利休などの茶人が愛した花、侘び、寂びの奥ゆかしさの世界がある。
花がラッパ状に咲き8分程度しか開かずに、椿のようにポトッと花が散ってしまう。
散り際が潔い武士道に通じるものがあるような気がする。
それに引き換え最近の世情は理解しがたいことばかりである。


ぼけ

一両日の雨で気温も緩んで、木瓜の蕾が大きく膨らんできた。
桃色の淡いグラディーションを呈して甘い感じがする。

花の色と、エネルギーを貯え、時を待って、今にも開花しそうな表情に魅せられる。
優しい春の訪れを告げているようである。


つばき

我が家の門は道路に面した北側にある。
その支柱のところに1本の椿の木が立っている。

根元周りに土があるだけである。回りはコンクリートで固めてある。
30年前植えた当初は小さな木であった。雨が降ると根元の土が玄関前まで流れて困っていた。
コンクリートを貼ったら、今度は木が大きくなり、コンクリートで根を張る場所が狭められてしまった。そのぶん幹のほうに養分が貯えられるようになったからであろうか、蕾の数が増えてきた。そして巨大な花を咲かせるようになった。

花びらだけのような大輪で獅子咲き(外弁は大きく、内弁は小さく曲弁となる)という。
ツバキでは早咲きの部類である。一斉に開花して彩りの少ない冬の北向き玄関に色を添えてくれる。
道路向かいのMさんも褒めてくださる。
今朝、数日の雨で花がひとまわり大きくなっている。外気も緩んで、花びらに隠れてなかなか確認できないでいた雄しべが見えている。

毎年見事な花を咲かせ、楽しませてくれる。
新築した頃は頂いた植物も多かった。今となっては誰からであったか定かでない。


女正月にしてはあまりに遅い。
2月も半ば過ぎたというのに、まだ新年会が残っていた。活け花グループのこじんまりした集まりの昼食会である。京会席風の和食であった。

20席もないような小さな店であるが、渋い落ち着きのある調度品でまとめられている。
生家に戻ったような悠長な空間を感じる。
大島紬柄調のパッチワーク小座布団、店主が模写したという田中一村の絵、テーブルの真ん中に薩摩びわを型取ったセンタークロス、布製の茶托。
布製の茶托はカヤで作ってあると聞き、木の繊維かと思った。なんと蚊帳を利用して違う布と二枚合わせにしてある。今では蚊帳を吊るどころか見ることもない。子供の頃を想い出し懐かしさで手にとってみた。粗い繊維の織りで確かに蚊帳の名残がある。

料理も店内の雰囲気に違わぬ逸品であった。器の端に梅、桜、つばき(つぼみ)の一輪が添えてある。早春の季節感を先取りした気分。
料理を摂りたいと思うが又もデジカメの忘れ、肝心な時にあぁ・・・。
盛り付け、見てよし、味よしで、視覚、味覚ともに満足するものであった。
昨年秋の京料理を思い出しながら味わった。

昨日の金沢展で30分並んで得た戦利品、「こもかぶり」を食することになった。
こもかぶりは元来は酒樽を意味しているのであろう。

今日のこもかぶりはお菓子である。
1個取り出して眺めてみる。なるほど酒樽に見えてくる。

会場で買った加賀棒茶も準備した。
翌日の方が美味しいということだったが、味はどうであろう。
一口入れてみる。皮が香ばしくしっとりしている。ほんのりみそ味もするような気がする。餡子も甘さ控えめで、芯の丸ごと1個の栗はほっくりしておいしい。

鹿児島はお茶の産地である。煎茶は多いが、ほうじ茶はあまり馴染みがない。
熱々の加賀棒茶はこの焼き菓子に合っている。
加賀百万石の伝統文化が静かに息づく町の優しさが伝わってくるような味わいであった。
また金沢を訪ねたくなった。

こもかぶり


市役所に用事で出かけたついでに近くのデパートへ寄った。
鹿児島のデパートの一番店Y屋で「金沢と加賀百万石展」開催中でその会場へ足を運んだ。

10数年前にこの催事が始まったように思う。数年ぶりである。以前は空輸で運ばれる生の鱈と白子を目当てにしていた。その晩は寄せ鍋と決まっていた。会場で解体実演もしており一尾まま買うこともあった。
それまで、鹿児島では切り身で売っている鱈は薄塩がしてあり、鍋物には不向きであった。そういえば今日は見かけなかった。尋ねることもしなかったが、最終日だったからかもしれない。以前は北の産物には珍しさと憧れを持っていた。この頃は交通、流通の便が良くなりたやすく入手できるようになった。魚介類は新鮮な生に限る。茹でたり加工したり冷凍したものは好きになれない。

今日の本題は鱈の話ではなかった。
2年前、夏と冬の金沢を訪ねた。
歴史と文化を感じる町であった。和菓子の多さと繊細な加工に驚いた。

実演販売のところに列が出来ている。お菓子のようであったが見過ごして奥へ進んだ。ひろずや生湯葉を買って出ようとしたが、先ほどの列は長くなっている。

ちょっと気になってのぞくと「こもかぶり」と書いてある。名称と形が面白い。
本日最終日、3時まで、お一人様2パックと貼ってある。
よせばいいのにと思いながら、もの珍しさもあって後尾に並んだ。

すぐに買えると思っていたらなかなかはかどらない。焼き上がりをまって数人分ずつ包装している。10分ぐらい経って、喉は渇くし離れようと思ったがそれも癪である。
“焼きあがって直ぐは型崩れするので少しねかせてからお出ししています。明日のほうが美味しく召し上がれます”とある。こだわりのあるお菓子のように思って待つことに決めた。

父親と息子らしい二人で焼いている。手作業で一時も手を休める間がない。並んでいる間、職人さんの見事な手さばきを眺めていた。鉄板に薄い衣を杓子で掬って敷く。寸分の狂いもないような楕円形型を均等に9枚である。その先に2本の細いひも状の衣を流した。これは急須にとろとろになった衣を入れて流し落とす感じである。
表面が乾いたところで、栗を芯に丸めた餡子を載せくるくると巻いていく。両端をつまんで形を整え、最後に頭に海苔を乗せ紐を巻き込んだ。ひも状の衣に納得がいった。俵の縄を表しているのであろう。

30分ぐらい並んでやっと手にした。作業の流れは見ていて飽きなかった。
デジカメを忘れて残念!
隣に「加賀棒茶」もあったので「こもかぶり」と一緒に頂こう。

うめ

今日は珍しく穏やかな明るい陽ざしの日である。
陽光が部屋の中まで差し込んでいる。

庭の梅も一気に開花して青空を背にして見事なコントラストを呈している。
アネモネ一輪が今にも開花しそうである。肉眼でうぶ毛も見える。
柔らかな光と風の匂いに春の息吹を感じる。

アネモネ


イタリアのトリノで、冬季オリンピックが開幕した。
開会式は深夜の時間であったので、そこまで起きてみる根性はなかった。
今日BSで開会式(録画)の映像を見た。入場式が始まった。
32番目入場の日本は、白を基調としたウェアで100人を超す選手団が力強く行進している。
日本の頭文字はアルファベットではJで表記する。イタリア語のアルファベット順はJではなくGであるという。ドイツの次に入場した。

開会のショーが始まった。
立体絵本画の扉が開いた。
王宮の絵巻き物語が繰り広げられていく。絢爛豪華舞台装置、衣装、まるで中世の貴族社会が再現されたようである。オペラの舞台を見ているようである。

続いてルネサンスの舞台が展開する。
ルネサンスは「再生」「復興』の意がある。
ボッティチェルリの絵『ヴィーナスの誕生』をイメージしての表現だろうか、シェル貝の中から女性が現れた。
中座したりして通して見たわけではない。見逃したところもある。録画しておくべきだった。

画面にあの3大テノールの1人パバロッティーが映っている。オペラ『ツーランドット』のアリア『誰も寝てはならぬ』を歌っている。引退もささやかれているが、巨体から見事な声量である。久しぶりの映像である。イタリア出身の彼が母国で開催されるオリンピックの開会式会場で熱唱した。大好きなアリアを聴くと自ずと熱くなる。

競技も始まる。開催期間中は一喜一憂しながら釘付けになりそうである。新しいTVでオリンピック放送を楽しみたい!

鹿児島もTVのデジタル放送に切り替わる時期が近づいてきた。
その時期になるまで我慢して待とうと買い控えていた。ところが、10年近く使っているテレビの画像が暗くなってきた。文字も読みにくく画面が見づらい。老眼が必要になっている世代である。目にもよくないと思い、思い切って買い替えることにした。

プラズマか液晶で迷ったが、結局液晶でおさまった。
昨年11月、居間に37型のTVが居座った。狭い部屋に画面が大きすぎるようで落ち着かない感じがしていた。それより何より扱いが複雑になっていて、とっさにやりたい操作は間に合わない。録画がハードとDVDの両方でできる。やっと呑み込めたが、私のほうが操られているよう!

画面はきれいで臨場感のある映像が楽しめる。BSの選局も増えた。
折りしも、明日からトリノでの冬季オリンピックが始まる。良い時期の買い替えだったかな?
思った。年寄ばかりの所帯では、デジタル放送にスムーズに馴染めるだろうか。

白梅

まわたり川、懐かしい響きである。
想い出が明確でくっきりしているわけではない。それでも幼い頃の記憶の奥底に保存されている。薄ぼんやりとした靄の中にある。

今、南日本新聞のコーナーに『かごしま・川由来考』が連載されている。
今日は「馬渡川」(頴娃町)である。

幼い頃、馬渡川近辺に住んでいた。
父方の祖父は小さなバス会社をもっていた。30代で亡くなり、兄弟(伯父・父)が継いでいた。馬渡近辺は運行路線であったらしい。
断片的に記憶にあるのはその後の母の話を聞き憶えているのかもしれない。

S16~7年の頃で、父の出征前のことである。
私はS15年生まれであるから2~3歳である。
河口と海辺の像はぼんやりと浮かぶ。魚をよく食べていたように思う。
私は魚好きである。長じて母が魚の食べ方が上手いと言っていたが、この頃食べ慣れ、親しんでいたからかもしれない。
私の記憶の中で、魚と馬渡川は一つになって結びつくのである。

これまで確かめるでなく知らないままであった。川由来考を読んで馬渡川の地名の成り立ちなど納得がいった。
伯父はミャンマー(旧ビルマ)で戦死して、父はシベリアに抑留され復員が遅かった。
山形屋前にあった会社も戦火で消失した。想い出につながるものは何も残っていない。


馬 渡 川
二級河川、長さ6.5キロ、水源は千貫平(せんがんびら)の中心、尾巡山西麓の谷。西南に流れて河口付近で高取川と合流し馬渡浦に注ぐ。南薩台地の川の大半は、上流域は梅雨時か台風時のみ水が流れる涸れ川であるが、下流域は湧水地が多い。
そのために川沿いの道も発達せず渡河地点を見いだすのも容易でなかった。川は郷や村々の境界となり両岸を結ぶ橋や渡し場も数少なかった。人々は渡(舟利用)、 馬渡(馬で渡る)、牛渡、徒渡(かちわたり…歩いて渡る)などの地名を付け、生きる知恵を残してきた。
 ー2006.2.9南日本新聞よりー


うめ


今クラシック音楽のCDが売れているという。
20~30代の若者層に人気が出て、CDヒットにあわせて開いた演奏会も大盛況と報じている。

ブームの火付け役は
「ベストクラシック100」、「ベストピアノ100」、「100曲クラシック」、「100曲モーツアルト」など・・・ベスト版CDが発売されたことである。
1万枚売れれば大ヒットといわれるこのジャンルで70万枚も売れている。

この100曲CDは過去の演奏から誰もが耳にしたことがある部分だけを抜粋して、一曲を5分程度に収めている。
どこかで聴いたことがあるクラシック、その聞きやすさ、手にとりやすさが受けているのである。
6枚組み3,000円もお得感がある。
クラシックを普段着感覚で楽しんでいる。人気を集めているという。

NHKTV、日曜の「芸術劇場」でも特集として取り上げていた。
いろいろなジャンルの音楽はどこからでも聞こえてくる。

クラシックは日常生活に縁遠いものと思われていた。
しかしクラシック音楽は映画やドラマのサウンドトラックではふんだんに使われている。コマーシャルからも流れてくる。
ベストCDはどこかで聴いたことのある耳慣れしている曲が多い。クラシックやヒーリングは癒しの音楽である。

レコード会社は100曲クラシックCDを起爆剤にして、普通のクラシックCDやコンサートにまで関心を広げていくことが狙いであるらしい。
今年はモーツアルト生誕250年である。生誕の地・ザルツブルグの音楽祭も一段と賑わうことだろう。

100曲ベストCDは、クラシックダイジェスト版のようなものであるが、1部分を聴いて全曲聴きたくなるかもしれない。クラシック音楽の裾野が広がればよいことである。


「きつねや」、屋号からしてとうふ屋である。

油揚げが美味しいと評判である。おからは自由にお持ち帰りくださいと書いてある。遠くから買いに来る客も多いらしい。
昔ながらの平屋のこじんまりした店構えで、家族で立ち働いている。
近くに用があるときは帰りに寄っていた。

時どきバスの上から見るが閉まっていることが多い。店終いしたののだろうか。
通るたびに気懸かりになっている。
数日前の夕方、バス上から灯が燈っている提灯が見えてきた。
店先の両脇に下がっている。よかった。

最近はとうふはスーパーやデパートで買うことが多く、昔ながらのとうふ屋で買うことは少なくなっている。とうふを売り歩く姿も見かけなくなった。
ボールを持ってとうふ売りのおじさんを待っていた頃が懐かしい。
ラッパを吹いて売り歩く姿は独特のスタイルで、ラッパの音色もどこか哀愁を佩びていた。

とうふ、調味料(味噌、醤油など)は容器持参で買いに行く時代もあった。
流通革命とやらで
小売店はスーパーマーケットという何でも屋のパワーに淘汰されて姿を消していく。
世代の変わり目なのだろうか、弱者が追いやられているようで悲哀を感じる。

昨日も戻りのバス上から提灯を確認できた。開店している。
下車して買いたくなる。
“きつねや”さん、いつまでも頑張って!!


昨夜はちょっとした同窓会気分に浸った。
数日前友人に電話をもらった。“「ラナ」がみんなに会いたがっているの、この日しか都合がつかないの”懐かしい名前である。出席しますと即答した。

7人は1~4年ぶりに逢った。
7人はかってデパートの文化教室で英会話の練習(まね事で恥ずかしい)をしていた。
年齢は二極に分かれて、シニア世代の主婦と有職の若い女性であった。まるで親子一緒に学んでいるようなものである。どちらからも違和感がなく和やかな雰囲気で、目に見えない共有感で繋がっているようであった。
若い女性2人はもうすぐママさんになる。大きなお腹を抱えてやってきた。幸せそうな姿に接し母親のようにうれしい。

私は女性らしい会話の練習ができると聞いて8年前の大病後に加わった。
当初、若い人とではレベル差がありそうで、退きそうになったが、出たとこ勝負で飛び込んだ。だが、課題がでるわけでなく雑談感覚で進められたのですぐに馴染めた。

「ラナ」はその時の講師でオーストラリア出身の女性。親子のような生徒の中間の年齢である。今日はきれいなピンク色のカーディガンを着ていたが、色白の彼女には似合っている。
鹿児島に10数年滞在していたが、昨年ふる里へ戻った。
気候が反対のオーストラリアは、今は夏で40度の気温という。夏休みでの来鹿である。

日豪交じりの会話で楽しい談笑が続いた。久しぶりの再会で名残は尽きなかった。
3日後に福岡からシンガポール経由で帰国する。
今メルボルンに住んでいる。
いつか私たちが訪豪しましょう。 See you!

車の運転はしないので、もっぱらバスを利用している。
乗りなれた路線では視界に入る景色で凡そどの辺りを走っているか目見当がつく。

あれっ、ない!
見慣れた荒物屋がなくなって、ビルの建設中である。
荒物屋は古いしもた屋風の店で、店先に「髪あらい粉あります」の札が下がっていた。
「髪あらい粉」という言葉は
いまの子どもは、聞いたこともないだろうし分からないだろう。

両脇の家はかなり前に建て変えられている。その間に挟まれるようにしてそこだけ1軒が昔の佇まいのまま残っていた。
店は流行っているようには見えなかったが、バスがその前を通る時は何故か心が和んだ。
子供の頃の町並みや、お使いに行っていた頃を想い出すような懐かしさを感じていた。

昨年は長期入院をしてバスに乗る機会も少なかった。
建物はひと度取り壊されると、昔の姿は思い出せなくなってしまう。
大事なものをもっていかれたようで寂しい。

一両日寒さが緩んだからでしょうか、活け花の東海桜が綻んできました。
淡紅紫色と聞いていたが、どんな色を見せてくれるか楽しみにしていた。

ほんのり薄紅を差したような優しい色である。グラディーションがかって甘い雰囲気がある。
春の訪れも近い!

東海桜


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マンマ

  • Author:マンマ
  • 好奇心、やじ馬根性旺盛な熟年おばさん?

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