fc2ブログ
2005 / 10
≪ 2005 / 09 - - - - - - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 - - - - - 2005 / 11 ≫


2005.10.30 撮影

10月も終わりになり、庭の花色も乏しくなってきた。

それでも、盛夏過ぎても、真っ赤なハイビスカスは緑の中に毎日開花している。
ブーゲンビリアとジュランタは群れあうように伸びている。
今夜、月下美人一輪が咲きそうである。
他にも蕾が4個付いているが、寒さに向かっていく時期に見事に咲ききるだろうか?

「サワーポメロ」も大きな実になってきている。
長男が中学入学時に植えた1本の木である。20数年経つ。
色はまだライムのようであるが、だんだん黄色く色づいていく。

サワーポメロは在来品種の「大橘」が改良されたものである。
晩柑の王様とも呼ばれる。
味と香りはザボンとグレープフルーツをミックスしたような風味がする。
ジューシーで爽やかな口あたりである。


スポンサーサイト



店頭に柿が並ぶ季節になった。日本の秋を感じさせる果物でもある。
秋の深まりとともに、いろいろな品種の柿が出回ってくる。
しかし、渋柿を見ることは滅多にない。

その渋柿を30個ほど貰った。
干し柿にするか渋抜きをしなければならない。
珍しさも手伝って好物の干し柿を作ってみたくなった。初挑戦である。
気温と湿気を考えると南の鹿児島では不安もある。雨の心配もある。

夕食後座り込んで皮むきを始めた。吊るし易いように、蔕先の枝を少し残しておいた。
柿の形がとんがり型で菜切り包丁では剥きにくい。
昨年暮れドイツで買ったゾーリンゲンのペティナイフを思いついた。皮も薄く剥け、小ぶりで使い勝手がよかった。

ビニール紐に等間隔に縛って、2階ヴェランダの軒下に吊るした。
半乾きでもよい、渋みが抜けて食することができれば満足である。楽しみにして待とう!

渋柿の渋抜き法はいろいろあるのであろう。
鹿児島では渋抜きした柿を「あおし柿」と呼ぶ。
焼酎と温泉を使ったやりかたがある。

夕方のローカルTV番組で温泉を使った渋抜き法を見た。
場所は鹿児島県北部の紫尾(しび)温泉である。
ネットに入れた渋柿を一晩(14時間前後)露天の専用温泉浴槽に入れて渋抜きする。
夕方温泉に入れて翌朝午前7時ごろ取り出すのだという。37~38度が適温といい午前4時ごろにチェックに来ている。最後に味見して渋みが抜けたことを確かめて引き上げる。

柿の“入浴料”は10キロ300円。
近場や温泉入りに来て持ち込む人もあるという。最盛期を迎え11月いっぱい続く。
ほのかな硫黄の香りと独特の甘味が人気という。あまり日持ちがしないそうで「地元でしか食べられない味」と聞くと、わたしも一度食べてみたい!!

柿の渋みの成分は「タンニン」である。渋柿にはタンニンと糖分も含まれている。
渋柿の状態では、水溶性であるため味覚神経を収斂し、強烈な渋みを感じる。
温泉のアセトアルデヒドとタンニンがくっ付くと渋みを感じなくなると報じていた。
タンニンとアセトアルデヒドが結合して、水に溶けない状態になるので、味覚神経に作用しなくなり渋みを感じなくなる。

先人の知恵から生まれた方法だろうか、
他所でも温泉を利用した渋抜き法をやっている所があるのだろうか?

先週末、親戚の結婚式(福岡)で夫は留守。
夕食後、独りでGyaOのパソコンTVを見る好機と座った。
数日前にADSLから光ブロードバンドへの切り替え工事が終わったばかりである。
ところが映像がスムーズに映らない。

指示に従っていくがうまくいかない。
今回接続設定の時に入れた新しいセキュリティソフトが邪魔しているようだ。
広告ブロック設定を「オフ」と書いてあるがその画面が出てこない。
知識なしにいじって大事なアプリケーションを消去したら大変!

モデムとパソコンと電話回線の差込口の電源を、offにして、10秒以上経ってからonにしてみたが、
それでも映像が出ない。
光へ切り替えたことが恨めしくさえなってくる。

昨日、午前中1回だけご機嫌がよかったのか映画が見られた。
「第三の男」で1949年作をデジタル化した映像であった。
数年まえに旅したウイーンの古い街が珍しい。ウイーンの大観覧車は当時からあったのである。

セピア色した白黒映画は、過ぎ去ったよき時代の映画を想い出し懐かしい。
鬼気迫る緊迫感のシーンでは、ドキドキして臨場感と相俟って相乗作用をもたらす。
朝のひと時、爽やかな気分になり楽しかった。

パソコンも自分がやりたい作業を最短距離で出来ればもっと楽しいのだろう。
人の手を借りずにと思っても、複雑になってくると自分の知識では追いつかなくなる。
さっと出来ずに、もたもたしているともどかしい。

朝食後TVの画面を見遣ると作曲家「千住明」、ヴァイオリニスト「千住真理子」兄妹が映っている。
以前にもこの兄妹と、その兄の日本画家「千住博」を取材したTV番組を見たことがある。

今や日本で「芸術3兄妹」というと直ぐに「千住3兄妹」を思い浮かべるほどである。それほど有名になっている。芸術の分野は、日本画家、作曲家、ヴァイオリニストと違いはあるがそれぞれの分野で第一人者である。仲のよい3兄弟である。

両親の教育方針を地で行き、見事に成功したお手本である。
亡き父は厳しい中に自由にさせたが、子供たちはその中での不自由さも知った。
集中することが総てである。それは夢中になることであると悟る。
明は語る。学者であった父は自分もそうであったように、30歳までに道を探せればいいといいう人であったので気持ちのゆとりが持てた。

母は自分のしたいことがあったが結婚する時、家庭人になり子育てをすると決意した。
夫は子育てのエキスパートになれと励ました。
その母の存在は大きい。今、子育ては楽しかったと穏やかな表情で振り返る。

久しぶりに揃った母と3兄妹の食事風景は、家族の温かい雰囲気が伝わり、零れるような愛情に包まれている。私の琴線に触れた。
最後にスタジオで、母のために明が作った曲「ララバイ」を
明のピアノ、真理子のヴァイオリンで演奏した。

インターネットの接続はADSLを使っていた。
鹿児島にも光ブロードバンドが登場するということで7月に申し込んだ。

工事待ちであったが、8月初めに、又入院してしまった。入院が1ヶ月ぐらいになりそうで、工事時期と重なりそうな気がして延期してもらった。
退院して1ヶ月経つ。昨日フレッツ・光プレミアムの工事に来た。ところが接続設定はされないままで、インターネットは繋がらない。工事の人では分からないという。

自分で確実にやれる自信はない。スピードを求めて光へ切り替えたのに即使えなければ意味がない。PCの電源は外出と夜以外は入れたままである。在宅時は電源を入れっぱなしで常時使っている。

以前送られてきた資料の担当者に電話を入れた。ところが、返ってきた返事は若い女性の声で「●●は退職しました」
 工事を延期した実情と、接続設定されていないことを話すと、2~3日かかるという。そんなに待てるかという気が先立ち腹立たしい。作業の流れがよく分からない。引継ぎはちゃんとしてあるのだろうか、いい加減だなあ・・・

仕方がないので普段利用している家電のPC・サポートセンターへ電話した。今日午後の予約が出来た。料金は発生するがインターネットを使えない不自由さには代えられない。

接続設定に6,000円余りかかった。接続設定は済んだが、ADSLとどんな違いがあるのだろうとワクワクして楽しみにしていたのに、後味の悪い光ブロードバンドへの切り替えであった。

パソコンテレビGyaOでオンライン試写会の応募をしてみた。
10月下旬全国ロードショーの、韓国映画『私の頭の中の消しゴム』である。

全国500人とあったが、只で見られるならラッキーと軽い気持ちでの応募であった。
ところが「当選おめでとうございます」のメールが送信してきた。
封切に先立って24時間見られることになっていた。
期日は10/16 12:00~10/17 12:00で、2回観賞した。

原作:テレビドラマ「Pure Soul~君が僕を忘れても~」(2001年読売テレビ制作)
映画:2004年韓国製作
である。

昨年韓国で制作されて大ヒットした、アルツハイマーを素材にした純愛映画である。
アルツハイマーと聞くと老人性の病気と思いがちだが、映画では「若年性アルツハイマー」について描かれている。
映画のストーリーは、日本制作のドラマ「Pure Soul~君が僕を忘れても~」のリメイク版といわれる。
タイトルは、その台詞の中にあった「私の頭の中に消しゴムがある・・」がそのまま付けられたとか・・・

死より切ない別れがある。
社長令嬢と工事現場で働く無愛想な大工が恋に落ちて、結ばれて。
幸せな2人の前に、彼女の健忘症の症状がひどくなり、「若年性アルツハイマー」と診断される。

肉体的な死より精神的な死が先に訪れる病。
先延ばしすればするほど余計辛くなる。
記憶が確かなうちに、心が伝えられるうちに、彼女は別れを決意する。
手紙を残して姿を消す。療養院に入る。

ラストシーン
幻想的で美しい。台詞もいい。
「ここは天国なの?」

今年二度目の入院手術は流石に恥ずかしい。
穴があったら入りたいとはまさしくこのことである。
又か、のおもいが強く、ひたすら周りの知人友人に知られないことを願った。

これまで大きな手術を2回している。
二度あることは三度あるの例えがある。
然も2ヵ月後に3度目が本当にあるとは思ってもみなかった。

病院でも、あるドクターに「この前戻ったばかりなのに又来ているからビックリしたよ」といわれたと聞いた。前回の入院で、初めて見る顔ではないようですといわれた看護師さんにも又会った。
こちらも2度あることは3度あった。

日ごろは意識することなく歩いている。
術後1週間位というもの、何の支えもなく、2本足で立って歩くことが、なんとも頼りなく不安であった。腹部の手術は上体を起こし立ち上がることが容易でないことを思い知った。

前屈みになることも苦痛。
トイレも手すりにしがみつくように体重を預けても身の置き所がない感じで辛い。
切腹の意味が分かったような気がする。

体が少しずつ回復していくと、退院の日が待ち遠しくなる。
病理検査は術後2週間で結果が出る。
病理検査で最も恐れることは癌性の疑いである。
幸い私にはその心配がなかった。

病理検査で癌性が発見されても、病巣の転移がなければ治療の必要のないこともある。
一定期間の検査を受けていけばいいという。
だが、加齢と共に癌の予防は出来ない、ひとえに早期発見に懸かっているという。

主治医に私たちも同じことなのですよと聞いた。
加齢というだけでリスクになるということを再認識させられた。

もうこれ以上大病をするわけにはいかない。
実年齢もしっかり自覚して、気持ちだけで突っ走ることは戒めなければならない。

今回の入院では、研修中の若い医師の世話になった。頻繁に病室を回り、患者の声を聞いてもらい、主治医とのパイプ役になってもらえた。皆、真摯な姿勢である。
外科では女医も研修中で、どの職域にも、ジェンダーフリーで、男女の垣根がなくなっていることを感じた。同性として頑張ってほしい。エールを送りたい!!

術後7日目に右腹部のドレンが抜けた。
これですべての管が取れてやっと身軽になれた。
いつも付属物を抱えながらの身動きで不自由であった。

身の動きは緩慢だが、それでも縛られるものがなくなった開放感で気分爽快である。
抜糸は、術後9、10日目に2日間にわたって半分ずつ行われた。これで腹部の突っ張り感も薄らいできた。息子夫婦も抜糸を見届けてから帰京していった。

主治医から「経過がよいので退院を考えましょう」と伝えられた。
「これで外科の出番はないでしょう」
「暴飲暴食をしなければ普通の生活でよいです」

思いがけなく、9月第3週末でよいと言われ、飛び上がるほどうれしい!
病理の結果もよく、パーフェクトな手術と順調な経過である。
投薬がないこともありがたい。

9月16日退院。術日は9月1日だから、術後約2週間である。
お世話になった医師、看護師、家族の協力に心から感謝したい。
今回も40日間(消化器を含め)という長い入院であったが元気になって戻れる。

久しぶりに陽の光を浴びて眩しい。
流れる風もさらっとして家路への足も軽い。

術後4日目から食事が出た。術後食は、おもゆ、味噌スープなど水物ばかりだが、りんごジュースは喉ごしがよくおいしい。
ベッド頭部を起こし、寄りかかって食事する体制を整えることも難儀である。腹に力がいらず上体を支えておれない。下膳などできよう筈もなく同室の人の手を借りた。

台風が近づいて来ている。帰省していた長女も今日の便で帰京するよう勧める。
明日は欠航しそうである。
身動きならず、TVも見られない。詳しい台風の情報も分からない。時折病室の窓に激しく叩きつける風雨で接近しているのだろうと推し量る。

術後6日目の朝発熱した(38.7度) 心配したが抗生剤の点滴をしたら一晩でさがった。
9月7日は病院内で衆議院選の不在者投票をすませた。
夫も3日ぶりに病室に来た。台風で庭に木の葉が散り片付けに手間取ったという。

手術室からICUへ移る時だろうか、
「うまくいきましたよ」主治医の声が聞こえた。
「ありがとうございました」薄ぼんやりした中で答えたような気がする。

一晩ICUで過ごし病室に戻った。麻酔も切れてきて腹部に鈍痛を感じる。水分を摂れないことが辛い。ガーゼに水を含ませ唇を拭く。少しずつ腹鳴もするようになって3日目に水を飲めるようになった。

尿管が取れて独りでトイレへ行くように促される。
電動ベッドの頭部を上げ柵に両手を掛けて起き上がろうとするが、下腹部に痛みが走り力が入らない、起き上がれない。なんとか体位をとりたいと必死であるが上体を起こせない。
加えて点滴に繋がれ右腹部にドレンと袋をさげている。自由にならないもどかしさに苛立ち情けなくなってくる。弱気になってくる。

なんとか起き上がって点滴台に両手を添えて立ち上がった。だが足は進まない。転ぶこと=骨折を最も恐れた。赤ちゃんが歩き始める頃のヨチヨチ歩きと同じで半歩ずつの歩幅しか前進しない。トイレまでが遠い。水を飲めるようになってもトイレまで歩く苦痛を考えると躊躇してしまう。まるで拷問に遭っているように辛かった。

腹部の手術は術後の体への負荷が大きい。特に1週間はその想いが強く回復への自信をなくしそうであった。日にちが薬と自分に言い聞かせて、ひたすら我慢し耐えるほかない。

9月1日、手術日当日である。
6時過ぎ採尿、浣腸をしてもらう。

東側のヴェランダに行き桜島を眺める。桜島上空は一面雲がかかり、背面の空はほんのり薄い茜色に染まっている。朝焼けの淡いグラディーションの空を眺め深呼吸をするとあらゆる邪念が消える。心の中で手術の無事を願って・・・
洗面を済ませ手術時間を待つ。

予定通り8時半過ぎに病室を出て手術室へ向かった。
ストレッチャーから手術台へ移る。白衣を着た人10人ぐらいが目に入る。その中にペースメーカーの業者らしい人2人もあった。
麻酔医は女医である。背中を丸めて麻酔の管が入り、口に吸入器を当てられ暫くしたら意識が遠のいていった。

術日2日前に主治医から手術について詳しい説明があった。夫と一緒に聞いた。

胆石除去ばかりでなく、胆管・膵管合流を分離する。
ペースメーカーも入れているので、リスクもあり、かなり難易度の高い手術である。電気メスがペースメーカーに作動しないように、ペースメーカー業者も手術室に入るという。楽観は許されないが先生を信じてお任せするしかない。
8時30分に病室を出て9時30分から執刀。約3時間30分、前後の麻酔・縫合などを含めるともっと時間はかかりそうである。

前日はもっと慌しくなった。
腹部・胸部のX線撮影、下剤をかけられる。入浴も済ませた。
ICU室、手術室担当の看護師の細かい説明。麻酔科医の説明があった。
手術室持込の必要な物品を看護師に頼む。腹帯、T字帯は言葉さえ忘れかけていた。
手術がより具体的に身近に迫ってきたことを実感する。

日曜日の昼間に外出許可を貰って自宅に帰った。
髪がのびていたのでまず美容室でカットとシャンプーをしてもらった。
病院食では生ものは出てこないので無性に食べたくなる。昼食は出前のにぎり寿司をとった。久しぶりに外気を吸ったように生気が戻ってくる。

美容室で釣りたての魚を貰ってきたので夫の夕食用と作りおきをする。
鯵の刺身、小あらかぶの煮付け、小鯵の南蛮漬けをこしらえた。カレーも作った。
風呂に入って久しぶりに浴槽に浸かった。病院では入浴時間に制限がありシャワーばかりだったので心身共にほぐれた。

食卓の準備をしただけで病院の夕食時間に間に合うよう急いで戻った。
一緒に夕食出来なくてゴメンナサイ。

8月25日
友人のFさん、Kさん来室。
先日一緒に食事したばかりだったので度々の入院に2人も驚く。術前でゆっくり話ができ励ましてもらった。

3時過ぎ5F外科病棟へ移る。3人部屋で狭い。
今日手術したばかりの人、10日前に手術した人。どちらも50代前半の有職婦人である。
今日手術したばかりの人は吸入器をつけて眠っている。1週間後の自分の姿である。
これからは手術日待ちである。術前に、1日昼間の時間、外出許可を貰って自宅に帰ることにした。

8月23日、今日は「処暑」、そろそろ暑さもおさまる頃である。

朝6時、採血5本。尿量計量(24時間)。

翌日も以下の検査があった
●呼吸器内科診察
●心電図検査
●運動負荷の検査:3分間階段の上り下りをする。
手術に備えての検査がほぼ終わった。

今日は検査が多い。
●腹部エコー
●腹部レントゲン撮影
●肺活量測定

腹部エコー検査で朝食は欠食となる。
10時過ぎから順次検査が始まり昼過ぎに終わった。他に脳外科受診もあった。
夕方夫が寄り、今日のI夫人葬儀の様子を話してくれた。

術後1ヶ月余りというのに野次馬根性旺盛、ミーハーな性格は抑えがたく、その気になって外出となった。公開前から話題になっていたペ・ヨンジュン主演の映画「四月の雪」を観るためである。クランクインする前、映画のタイトルは「外出」ともいわれていた。

ペ・ヨンジュンという俳優を初めて知ったのは昨年見たTVドラマ「冬のソナタ」である。
それまで韓国ドラマは見たこともなかったのに一気に嵌ってしまった。その火付け役は神戸に住む従姉である。TVドラマは数本見ているが、今回初めて彼の映画を観る。
昼間の上映でもあり観客の大半は中高年の女性ばかりで約6~7分入り。1人だけ男性が入ってきた。

どんなに舞い降りても積もることのない4月の雪、儚い・切ない恋、映像はきれいに撮られている。
ラブストーリーだが物語性はなく筋がはっきりしない。結末も分かりにくく、観る側の想像力に委ねている。不倫という日常性のない重たいテーマ・内容のせいか心理描写、内面表現に終始している。

カメラは視覚で捉えるが、台詞の少ない映画で、その分役者が演技・表現する必要があるのだろう。これまで韓国ドラマは台詞が素晴らしいと思っていたが、その印象は薄い。見る側も感情移入しにくい。スクリーンに出てくる衣装も普段着が多く地味である。華やかさはない。特筆するようなシーンはなかった。

ヨン様には柔らかい感じの青年のイメージを持っていたが、ラブシーンではセクシィーで成熟した男性を感じた。
映画はちょっと期待はずれ、韓国では興行的には捗捗しくないようだ。

8月21日、入院14日目。
昨夜の予報は曇りだったが、朝カーテンを開けると雨である。
病室は南に面し、右手に甲突川その河畔にMBC放送も見える。少し右手の西側に中央駅の観覧車が見える。

朝食後自宅に電話を入れたら、夫から思いもかけないことを告げられた。
昨日I夫人が亡くなって新聞に載っている。今夜が通夜、明日が葬儀とあると聞き茫然自失。

少し前、お見舞いに行った人から病状がかなり悪いようだと聞いていた。それでも日ごろ元気な人だったので、回復に望みを繋ぎ、身動きとれないわが身がもどかしく複雑な想いが交錯しながら過ごしていた。退院の頃だと思っていたのに、急速に悪化していたとは信じられない気持ちだった。術後約2ヶ月で力尽きて逝去とはなんという残酷な結末、残念でならない。癌はどうして彼女を見逃してくれなかったの!!

入院中の身では外出できず最後のお別れも叶わず悔しい!
独り病室で彼女を偲んでご冥福を祈ることしか出来ない。

今日は8月20日。
昨日今日と雨模様で、陽が射さない分暑さもしのぎ易く冷房なしで過ごせた。
血液検査の数値もよくなってきている。

TVで夏の甲子園高校野球の決勝戦を見た。
「駒沢苫小牧高」対「京都外大西高」の対戦で、5:3で「駒沢苫小牧高」の優勝。
昨年に続き2連覇である。北の北海道の2連覇は見事!

アナウンサーの声
「道産子の夏は大きな感動で締めくくりました」が印象的であった。

20051005094211.jpg

昨日、先月亡くなったIさんを偲ぶ会が終わっての帰途、道の駅垂水(たるみず)に寄った。
錦江湾に面して足湯があり土地の物産もある。足湯には入り損ねたが、売店で珍しい野菜を見つけた。「ヘチオク」、初めて見る。産地は垂水市と書いてある。名前と形状の珍しさに惹かれて1袋買ってみた。生食できるようである。
15センチぐらいの長さのもの4本入りで105円。

好奇心がむらむらとして早速食べてみたくなった。
見た目はヘチマとオクラの合いの子、皮をむくと匂いはきうり、切り口はへちま、味はきうり、食感はちょっとふわふわしてへちま風味もする。
特徴のある味ではない。栄養価はどうなのだろう?

午後から外科医の診察があった。
画像を診ながらプリントを図示して詳しい説明があった。
病状の説明で
総胆管結石である。胆のうの奇形、人より胆管の幅が広い。胆管、膵管が合流している。
私のような場合、胆のうは将来癌性になる可能性が高いので切除する。
胆管、膵管の合流しているところを分離して胆汁とアミラーゼがそれぞれに流れるようにする。

頻繁にある症例ではなく難易度の高い手術である。ペースメーカーを5月にインプラントしたばかりで手術への不安はある。だが、にこやかな顔で話され解かりやすい説明を聞いていると安心感がある。お任せしたいという気持ちが強く「よろしくお願いします」と伝える。1週間後に外科病棟へ移ってもらいましょうと言われた。
こうして手術へ向けて始動しだした。

入院10日目である。
昨日の検査結果の説明は午後2時からの予定にしてもらう。夫にも電話で知らせる。
2時過ぎから夫と一緒に主治医から説明を聞いた。
病気の現状の説明で
胆のう胆道も人より変形である。胆汁の流れが悪く鼻の管から胆汁を体外へ排出しているが、これで肝臓の機能を保っている状況であるという。数値は徐々に正常に戻ってきている。脳外科でも数ヶ月に1回血液検査をしてきており、今まで肝臓が悪いと指摘されたことはなかった。まさかという思いが強い。

十二指腸のところにも異常があり胆汁が逆流している。合併症で胆管、膵管の合流異常だという。先天的なものだそうで、これも今回の検査で発見できてよかったと思う。
病はどこに潜んでいるか分からないものである。私の体は病巣がどこに大きな口を広げて待ち構えているのか分からない。加齢は確かにリスクである。

外科のドクターにも相談されたようで私の場合手術したほうがよい。幸運にもこの病院にその分野のよい外科医がいると聞き安堵した。
手術を選択したいと伝えた。

朝食後、研修医より急な話で申し訳ないが、今日午後3時から内視鏡による総胆管結石を
取ることになったと伝えられた。善は急げというからうまく除去できたらラッキーである。
急いで入浴をする。その後順次必要な点滴をした。
3時過ぎに検査室へ入り1時間ぐらい要したが、結局胆石は取れなかった。検査は苦しかった。石の場所、大きさに無理があったようだ。

内視鏡によって取れたらという期待感はあったが無理だったので、手術するほうに気持ちが傾いてきた。明日主治医から今後の治療方針について詳しく説明がある。
検査後で夕食は欠食となる。

入院1週間目、主治医から内視鏡で胆石を取れる可能性が高いと聞き思わず「ヤッター!」
手術せずに取れたらこんなにうれしいことはない。
医事剤の点滴は終わり朝夕の抗生剤のみとなった。
病棟の西側に中央駅の観覧車が見える。ライトアップした観覧車と夕陽をデジカメで撮った。

夜8時から教育テレビで
栄光へのステップ「第26回インターナショナルダンス選手権大会」を見た。
久しぶりで4~5年ぶりになるだろうか。以前はダンスをやっていたこともあって毎年欠かさず見ていた。

決勝戦を中心にスタンダード部門(以前はモダンと呼んでいた)とラテン部門7組が各種目を競った。日本の精鋭や世界から集まったトップの選手たちが激しく踊る華麗なステップ捌きは圧巻であった。日本の選手も入れ替わっており、以前出場していた人たちの顔はなかった。

スタンダード部門の解説に檜山浩治とあったが、顔と名前に見覚えがあった。
そして引退時の踊りの映像が映った。惜しまれながらの引退と報じている。
ダンスをしていた7~8年前の頃、全日本の決勝に出てくるペアー(夫妻)であった。はじめて見た時長身でルックスのよさに魅せられた。当時は4~5位だったと思うがいずれはトップに躍り出てくるペアだと直感した。

ダンスから遠ざかって全日本の変遷も知らないままだった。今回のインターナショナル大会ではスタンダード部門:ロシア組み、モダン部門:中国組みが出場していた。両国はこれまで見たことがなかった。
変化に乏しい入院生活の中で久しぶりに華麗なステップの映像を楽しめた。

病室は6人部屋だが、消化器と眼科の混合病棟である。
眼科は白内障手術の人が多い。殆どが両眼手術して約1週間で退院していく。白内障は今まで老人性の病気とばかり思っていたが、若年にもあることを知った。同室に中学生、高校生がいたが、一回の手術ですまなかったりアトピー体質に起因するものもあるという。

消化器に研修医がいて研修中であった。一日に数回病室を訪れ、質問にも丁寧に応対してもらい適切な指示が出て主治医との連携もスムーズで安心感があった。研究熱心な姿勢と真摯で誠実な人柄が感じられた。救急棟が済んで消化器科に来て半年だという。将来のことを尋ねると消化器か小児科を目指したいと。小児科病院の厳しい現状は報道でも見聞きしている。患者の目線で話ができる青年医師である。研鑽を積んで頑張ってほしい。
その後手術のために外科病棟へ移ったが、術前術後も何度も病室へ来て励ましてもらった。
うれしく有り難いと思った。

09 ≪│2005/10│≫ 11
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
全タイトルを表示

マンマ

  • Author:マンマ
  • 好奇心、やじ馬根性旺盛な熟年おばさん?

Fc2ブログランキングに一票を!

-天気予報コム- -FC2-