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この頃食べ物の話題ばかりで芸がない。

高校同期のHPで「たっばけ」の書き込みがあった。鹿児島の方言である。
内容からあの野菜だ!と分かるのだが名前を思い出せない。歯痒い。
名前を思い出した人がいて「なた豆」という。

今日スーパーで、偶然そのなた豆にお目見えした。10数年ぶりに見る。
漬物として食べた記憶はあるが、ネットで調べて、福神漬けに入っていると知って納得がいった。

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   2005.7.29 撮影
パッションフルーツの開花時期に入院していたので、今年は見損なったと残念なおもいがしていた。
昨日今にも咲きそうな蕾を見つけた。昨日は雨も降った。今日の天気が気懸かりであった。
雨が降ったり、曇りの日には受粉しても歩留まりが悪い。

天気は上々、見事に青空が広がっている。逸る気持ちをおさえて洗濯物を干してから見に行った。

時計の形をしたパッションフルーツ一輪が、目一杯体を広げ、反るようにして青空向かって咲いている。
まずデジカメに収めた。そして麺棒を使って優しく受粉した。花粉は少なかったが無事結実して欲しい!


今日は土用の丑の日、スーパーの食料品売り場でもいつもより場所を占めて威勢がよい。
今年は稚魚が少なかったそうで品薄で高値気味という。我が家の夕食にもスーパーの手頃なうなぎが卓上に出た。味はそれなりで。

土用といえば、例年梅干の天日干しに追われる時である。今年は入院中で恒例の梅ちぎりに行けなかった。梅を干さない年・・・何年ぶりだろう?
炎天下に1粒ずつ裏返しながら紫蘇染めした香りが漂う。真夏の風物詩であった。ちょっと寂しい。

翡翠色した、表面にイボイボのあるニガウリが店頭に並んでいる。
今やすっかりメジャーになっている夏野菜である。

TVドラマや観光地として沖縄がクローズアップされたことにも因ろう。最近は沖縄で呼ばれる「ゴーヤ」の呼称も全国版になってきた。代表格の料理は「ゴーヤチャンプル」であろう。

鹿児島では「ニガゴイ」のほうが通りがよい。苦味のある野菜で、どちらかと言えば大人の味覚かもしれない。鹿児島に生まれて、子供の頃から馴染んでいる野菜である。
30年前、数年間東京で暮らした。店頭で見かけることはなかった。夏に帰鹿の便があると無性に食べたくなって頼んでいた。ほろ苦い味に郷愁を感じていた。

「レイシ」とも呼ぶが、なんとなくよそ行きでお品がよろしい感じがする。
あの冴え冴えした緑色は、見るからにヴィタミンCたっぷりである。淡い色もあるが濃い緑を選んで買っている。

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奄美大島から持ってきたものである。
南の鹿児島市でも亜熱帯の植物の越冬は難しい。

冬越しできたパッションフルーツに3個結実している。今年は開花時期に入院していて花は見ずじまいであった。
色づいて(赤紫)、ほんのり芳香を放つのを楽しみにしている。
ずっしりと持ち重りするものであって欲しい!


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鹿児島は竹の産地である。
孟宗、こさんだけ(布袋竹)の筍が終わって梅雨の頃大名竹が出てくる。皮の色が紫がかっているが、アクが少なく茹でる手間要らずでありがたい。即、調理でき筋(繊維)も少なく食べ易い。

到来もので、一度に食べ切れず茹でて干してみた。干したものは水煮と違い味も濃厚になり干し大根と相性が良い。おむすびに、いりこ出し味の煮しめ、素朴な取り合わせだがいつ食べても美味しい。厭きない。

夕食後自分のHPを開いた。11900の数字が並んでいる。
HPを開設して1年4ヶ月経つ。自分の記録になればよいと単純な動機で始めた。
そうはいうものの、開設当初、果たして誰か読んでくれる人があるだろうかと不安もあった。読書はしない、文を書いたこともない、無い々尽くし、無手勝流スタイルときている。その気になった時が潮時よとばかりに踏み出してしまった。

うまく書こうとせず、気負わずにいこう、練習するつもりでと続けてみた。思っていることをうまく表現できずもどかしい。貯えたものがないから無理もない。
少しずつカウント数が増えていくと、嬉しくもあり、書く励みにもなっている。

此のところ電気製品の買い替え時が重なっている。
洗濯機も3月に、洗濯・乾燥の一体型に変えた。乾燥機付きにするか否か迷った。
加齢による省力化も考慮して一体化型を選んだ。

多機能になって、乾燥まですると時間がかかって仕様がない。天日干しが気持ちいいので普段は乾燥まで使わずにいる。乾燥抜きのコースでお任せを選択しても時間がかかる。早く洗いあがってお日様に当てたい。
私流を選択したらどうやら最短コースでいけた。

この猛暑の中居間のクーラーが故障して、今日修復した。その間蒸し風呂状態であった。外に出ると煮えたぎるような暑さである。買い物にも出たくない。

冷蔵庫の掃除にもなる、カレーを作って暑気払いをしよう。普段はお洒落なつくり方はしない。市販のルーを使う。今日はいつもよりクミンシード(スパイス)を効かせて作った。

梅雨明けして猛暑続きである。今日の気温は35度あったと報じている。
先週日曜日(17日)の朝、突然居間のクーラーが動かなくなった。購入して1年経っていない、リモコンの電池も換えてみた。 on、offが全然作動しない。居間は蒸し風呂状態になった。両端の部屋に冷房を入れてドアを開けても間接冷房では効果がない。

修理を依頼したが一度見にきたきり連絡がない。メーカーに再度電話した。客が連絡を待っているだろうの認識はないのだろうか腹立たしい。窓口の女の子は担当者とは電話圏外で通じない、修理が立て込んでいると言い訳がましいことばかり並べる。今日中に連絡くださいといって切った。売るだけでメンテナンスの意識がない。これでは客は逃げる。来年は鹿児島もデジタル化する。そろそろTVも買い替え時である。この店では二度と買うまい。
小言が多くなった。これも老化現象?

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  2005.7.18 撮影

4~5年前知人に貰ったもので、3度目の開花である。
花の詳細についてはよく知らない。「ラブラブハート」といってヴァレンタインの頃見かけるらしい。

花の名前、姿が愛らしい。小手鞠を思い浮かべ、和服の同柄を連想します。


40日間の入院は長かった。元気になれる見込みがあるから流れに試行して泰然と構えようと決めた。それでも遣り場のない怠惰な時間と予定の立たない日々に焦りを感じることもあった。
そんな時、気を鎮め、慰めてくれるのは鹿児島のシンボル櫻島と空であった。朝な夕な眺める桜島を身近に感じた。朝陽が昇る頃の櫻島には魅了された。

新しい発見もあった。
看護師の分野にも男性が進出する(占める)ようになってきていることを目の当たりにしたことである。
今回私を担当した実習生M君の実習姿を2週間見た。20歳の青年だが、未だ少年のような面差しが残っていて純真である。考え方も真面目で堅実である。看護学校の先生も真っ直ぐで一途な性格である分、潰されないようにしなければと語っていた。奨学金をもらい、自炊して、弁当持参で実習に来ていた。飲み物も前夜ペトボトルに麦茶を凍らせて持ってくると聞いて、驚きを通り越して目頭が熱くなった。どこでそんな術を覚えたの?と尋ねると、高校では野球部だったので夏場は十分に水分を摂る必要がある。冷たいものを飲みたかったので・・・彼は元高校球児であった。貧しいわけでもないのに自立しようという意識が強く頼もしい。
今は男性の看護師は少数だろうがこれからは増えていくことだろう。これから目指す後輩男性のためにもそのパイオニアになって欲しい。エールをおくりたい。

ベテラン看護師(女性)と実習生(男性)の会話から
実習生は再度入院の老婦人に就いていた。
実社会の経験がない実習生は、わがままを言う彼女に戸惑い、振りまわされたのであろう。
“患者のそれぞれの到達点は違う。その人にとって最高の到達点を目指してあげることが大切。最終的な目標はどこにあるか、今はどの段階にあるかを知るべき、甘やかしてもいけない。”
こんな話も聞いた。
病院の看護師は女性の多い職場である。能力のある男性看護師が入ってきて育てていきたいとおもう。人間関係に馴染めず、疲れて辞める人を見るとき残念でならない。理想と現実のギャップに苦しむのだろうか。

余談だが
局部麻酔の手術であった。好奇心野次馬根性の強い私は、手術中、目隠しのカバーを捲って自分の目で確かめたいおもいがした。長女に話すと「そうだよね、私も盲腸の手術の時同じようなこと考えたもの」高3の夏であった。先生に「手術を見たい」といったら「見るもんじゃない、普通女の子はそんなこと言わないよ」と叱られた。変なところでDNAが似ている。

術前に、主治医から手術についての説明を夫、長女、私の3人で聞いた。
長女が、その説明の内容とネットから調べた資料とを、ワードにまとめて次女、長男に送ってくれていた。私も退院してから読んだ。心配して私の病気を理解してくれようとする姿勢がうれしかった。
ペースメーカーをインプラント(植え込み)したことにより、ペースメーカー手帳と身体障害者手帳を交付された。今までは縁のないものと思っていたものを、これからは携行しなければならない。緊急時は命綱になりかねない。
血圧、脈拍をチェックしているが正常に作動している。手の届かないところで遠隔操作されているような不思議な気がしている。医学の進歩に驚嘆するばかりである。

2005.6.3
今日は待ちに待った退院の日である。
早朝は櫻島も霞んでいた。10時ごろは空も少し明るくなってきた。
ペースメーカーをインプラントして心身ともに再生したような気分である。パジャマから娑婆の服に着替え、我ながらちょっとハイテンションになっている。歩く足どりも自然と軽快になっている。40日ぶりに自分の足で1Fの会計まで行って入院費の精算を済ませた。

12時過ぎ主治医の説明を聞き、次回の診察予約を入れた。2週間後に傷口の回復状況を診てもらう。投薬も一切なく、その後は1年に1度の通院でよい。最後の食事、昼食(天そば)を病室で食べた。
お世話になった人々に挨拶を済ませ病院を後にした。40日間の入院生活は感慨深い。
実習生のM君には昨日握手して別れたが、今日は学校の日で会えず残念である。

夫の呟き
戻り道、「毎日洗濯物を持っての帰路は空しかった」
夕食時、「今夜はビールが旨い!」

平日は仕事帰りに病院へ寄っていた。毎日夕食時間は遅くなり、時間も気持ちもゆとりがなく、ゆっくり食事をする暇(ヒマと言うより気分になれなかった)がなかったという。
40日間本当にご苦労様でした。そしてありがとう!!
無事退院できるのも家族をはじめ多くの人の支えと励ましがあればこそである。
心から感謝したい!!

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2005.6.2
目覚めてカーテンを引くと、櫻島は雨に煙って見えない。雨音が室内まで聞こえる。

芍薬2輪が見事に開花している。大好きな花である。花びらは重ね着したように幾重にも絡まるように衣を着ている。豪華な雰囲気を醸し出している。掃除の女性もはじめて見たと、手を休めて眺めていく。牡丹と芍薬は花の女王の双璧である。

朝食後主治医が来て安静度表を見ながら、「明日退院にしましょう。明日の昼前説明します、家族も一緒に聞いてください」
退院は来週だろうと思っていたので、急に伝えられびっくりしたが、自然と笑みになった。
10時ごろ夫に電話すると“よかった”と喜んでくれた。夕方寄った時、早速母や子供たちに連絡しておいたと。長い道のりであった。やっとゴールを迎えたおもいがする。
荷物の整理を始めた。

夕食後隣室のMさんが来て「おめでとうございます。夫婦共々長生きしてください」と優しく労らい、励ましてもらう。3年前夫を亡くしている。辛いだろうにいつも明るく声掛けをしている。前に、しんみりした話をしたとき目頭に涙を見た。胸の奥を覗いたような気がして切なかった。

入院最後の夜である。40日間のことが走馬灯のように過(よ)ぎり、うれしい反面、離れがたいような、去りがたいような複雑な一面も感じる。病院はいろいろな人の病気と人生を包み込んで今日も暮れていくような感傷に浸っていた。
おやすみなさい!


2005.6.1
今日から6月、夏の衣替えの時である。
1ヶ月以上入院生活をしているので、退院したら早速夏物の衣類を出さなければならない。

朝食をしていると実習生のM君が元気な顔を見せてくれた。長引かなくてよかった。風邪ではなかったようだが頬がほっそりなった感じ、熱で食べ物が美味しくなかったという。

11時過ぎペースメーカーの業者の人が来て、わたしのペースメーカーのチェックが始まった。両手首、両足首に心電図をつける。寝たままの状態である。リード線が作動している確認の声がする。次に脈をさげ自分自身の脈の状態でチェックをする。

「自分に脈は40ぐらいですね、気分が悪い時は言ってください」
「何ともありません」「パソコンのような画面になっているのでしょうか、見たいです」
器具の向きを変え私のほうから見えるようになった。脈の波形と脈拍数73と出ている。

「私のペースメーカーはどれぐらい電池が持つのでしょうか?」
「消費量にもよるが、大体10年ぐらいです」
「携帯電話や磁気のあるところへ近づき、気分が悪くなったら直ぐその場を離れてください。そうするとペースメーカーは正常に作動します」
最終の数値の設定が出来た。うまくコントロールできるようになっており、その精密・精緻な作り、医学の進歩に驚嘆する。

午後、ペースメーカー手帳をもらい、心電図モニターも外された。
入院以来実に38日振り、すべての機器から開放され自由の身になった。
めでたし!めでたし!

TVではクール・ビズを報じている。鹿児島県でも6/1~9/30実施する。ノーネクタイで勤務する職員の姿を映している。

2005.5.31
今朝の櫻島は雲がかかっているが、淡い茜色がほんのり空を染めている。
1時間もすると桜島上空に陽が昇る。毎日見る光景である。

9時過ぎ 体温:36度7分
      血圧:106(最高)―― 60(最低)

実習生のM君は発熱して今日はお休み。真面目な性格である。きっと毎日緊張して無理したのだろう。指導教官の話では病院に行くよう伝えたという。明日は元気な顔を見せてくれるだろう。
11時過ぎ地震があった。初め櫻島の爆発音かと思った。6Fの病室でも体感できた。直ぐTVのスイッチを入れると震源地は宮崎南部で、鹿児島は震度3と出た。

午後から心電図検査と胸部レントゲン撮影があった。いよいよ退院へ向けての諸検査である。
筍堀りに一緒に行った友人、Aさん、Hさんが来室。
毎年、筍堀り、梅ちぎりにいく仲間である。今年はどちらも参加できなかった。梅も手分けして加工してからプレゼントしてくれるという。仲間の優しい気持ちが伝わってきて嬉しい!

元二子山部屋親方、元大関貴乃花が死去。
口腔底ガン、55歳。若すぎる! 合掌!

5月も今日で終わりである。この月は病院暮らしで終わることになった。

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  2005.7.13 撮影

朝、蕾に膨らみがあり今夜は間違いなく開花しそうであった。
夕方、土砂降りの雨で慌てて室内に入れた。
数年ぶりに複数の花が咲いた。咲き始めは匂いがしない。9時ごろから芳香が部屋中に漂ってきた。清楚な白、高貴な香りに誘われて買ったばかりのデジカメに何枚も収めた。
一夜限りの花といわれる。何時まで咲いているのか確かめたくて3時まで起きていたことがある。睡魔に勝てなくなり結局確かめられないままであった。
今夜も寝るのが惜しい。


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2005.5.30

6時過ぎ採血。
8時過ぎ実習生のM君が安静度表を見ながら「今日はシャンプーをしましょうか」
若い男性に・・・とも思ったが、「練習になりますからやらせてください」
「そうしてもらえると有難い」

昼食前一見して割烹着のような白衣を着けて現れた。洗面所のシャンプー台の前に座って頭を前に下げる状態で洗髪してもらった。女性へのシャンプーは勝手が違い、きっと苦手に相違ないだろう。手つきは未だうまいとはいえないが、一生懸命さが伝わってくる。彼自身の白衣も濡れている。
頭がさっぱりしたら気分もすっきり昼食も美味しかった。

1時から室内に冷房が入った。
今日は来客も多い日であった。
先日退院したKさんが外来の帰りに寄ってくれた。
彼女の入院中に御主人もバテて熱を出したそうだ。娘さん(有職)と同居中で4歳の孫の世話が大変だったようだ。70代になって身のまわりの雑事だけでも難儀である。ひと事ではない。
夫も無理して欲しくない。妻は大病を何回もして、その度に10年寿命が縮んだという。回復すると旅行にバンバン出かけ、自由気まま、悪妻の見本のような私である。

3時頃親友のIさんが来室。おにぎり弁当を作ってきたと未だ温かい。今直ぐ食べたら美味しそうである。優しい心遣いがうれしい。夫の夕食に頂くことにしよう。
他に友人、夫の会社の人などの出入りがあった。
大きな花かごを頂いて、病室が一変して華やかになった。

2005.5.29
 
東の窓に朝陽が差している。
雲間から淡い朝陽が顔を出した。雲の薄いところは茜色、厚いところはグレー、雲の厚さで朝陽の色もグラデーションを呈し、その流れは神秘的である。
ここから朝な夕な桜島を独り占めして眺めている。

10時過ぎ次女がやってきた。オイルを取り出して足のマッサージをしてくれた。
見よう見真似で覚えたのよと言うが、なかなかのものである。つぼを押さえて肩が凝ってるなどと指摘する。足が軽くなって気分爽快である。帰省した時にもよくやってくれる。
私の安静度も日に日に軽くなり、食事の介助も要らなくなった。午後の便で帰京する。

術日から3日間はベッド上安静だったので動けなかった。今日は術後5日目、気持ちのゆとりも出てきた。特異な体験である。特に安静3日間のことを記憶が薄れないうちにと思い出しながらメモ書きを始めた。
クライマックスはなんと言っても手術日のことに尽きる。局部麻酔で、意識はある中での手術である。少しでも見逃すまいと眼と耳を欹(そばだ)てて臨んだ。

当日の詳細については病室から31、32に記した。

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   2005.7.10 撮影
鶴丸城(鹿児島)の蓮はいつも車上から眺めるだけであった。
いつか写真に収めてみたいと思うばかりで時期を逸してきた。
数年前堀の水を排水したからだろうか葉の繁殖がいい。花は少なくなっているように感じる。


005.5.28

5時ごろ目覚めた。今日は術後4日目、6時過ぎ尿管を取ってもらった。
抗生剤の点滴も昨日で終わり、今日からは内服の錠剤に変わった。
ベッド上安静が解かれ病室内自由となった。トイレ、洗面へ歩いて行ってみるが足元のふらつきもない。食事も椅子に腰掛けて食べられる。

お茶置き場まで行って湯飲みにお茶をもらってくる。患者への食事の配膳は看護師がやってくれる。ベッドから動けない患者にはお茶も運んでくれる。下膳は歩ける人は各人で所定のところまで持っていく。お年寄りや気分悪そうな人には患者同士で互助している。
8時に朝食が出た。食べ易い形態で、一口サイズのサンドイッチ、牛乳、キューウイである。
「昼食から前のとおりに戻していいですか」と聞かれ、「お願いします」と返事した。
昼のメニューは、和風カレーうどん、酢の物、スウィートポテト

3時前次女が来た。退院時の服装も気になりはじめた。1ヶ月の間に夏姿に変わっている。手元にある衣類と言えば寝巻きと下着類だけである。娘がいる間に頼んでおかないと夫では頓着しない。娘も離れて暮らしているので、携帯のカメラに収めてきて「これっ?」と確かめる。

ちょっと前、同室の人が退院する時である。夫に退院時の服を持ってきてもらっていた。
奥さん曰く「靴がない、アクセサリーがない、もっといい服があったのに」
「車に乗って帰るばかりじゃないか、お洒落の必要があろうか」
思わず笑いがでてくる。
男女では服装についての見方に差異があり、仕方がないのかもしれない。入院中はパジャマスタイルで過ごしている。実用だけでも味気ない。退院時は服を替え気持ちも切り替えたい。入院が長引くと季節は大きく変わっている。逆だったら、奥さんはこざっぱりした服装を整えるに違いない。

5時30分  体温:35度9分、血圧:最高120―最低60

夕食後隣室のHさんと少し語る。私の術後にもすぐ顔見に来てくれた。ほぼ同世代で病気も複合している。心臓(大手術)と糖尿病があり運動と食事のバランスが難しい。人の出生に順番はあっても一生の持ち時間は個人差がある。羅病の経緯も様々である。しんみりとした話になった。

9時から映画「エネミー・ライン」を観た。
停戦中のボスニアを舞台に、敵地に不時着陸した米海軍パイロットの決死の脱出を描く戦争アクション。
あの辺りの政治事情もよく解かっていない、戦争映画か? とあまり気乗りしないまま観ていたが、スリリングな場面に惹き込まれて最後まで観てしまった。
入院中、安静にすべき身なのに・・・・

2005.5.27

昨夜、ベッドの頭部を上げ、脚部を下げた状態で寝たら腰への負担が少なくなり、前日より楽になって眠れた。
次女が8時前に到着。朝食はサンドイッチ、牛乳、キーウイ。食事の介助をしてくれた。
実習生のM君は今日は学校に行く日で休みである。

寝たままの状態でシャンプーをしてもらうことになった。どんな方法でやるのか興味がある。シャンプー道具一式が持ち込まれた。家庭の介護でも使われているそうである。

ベッド全体を上げ作業し易い高さにセットされた。頭の下にビニールが敷かれ、ビニール製の洗面器に頭を乗せた。周りに空気が入っており、右手で触ってみたら、ビニールプールを小さくした感じである。髪にお湯がかかると下の容器に流れる水音がする。空気が入っている部分は円形ではなく型であった。

ベッド上でシャンプーする姿を見てみたい。だが、自分の目では確かめられない、こんな機会は滅多にないと思い娘にデジカメで撮ってくれるように頼んだ。「本当に撮るの?」と笑っていたが・・・写真はお見せできない。
ドライヤーを当ててもらい、頭が軽くなり気分爽快である。用途別にいろいろな介護用品がある。仰臥状態で洗髪してもらうことが出来、使用される身になって有難さが身に沁みる。

2005.5.26
左腕をかばって寝ているので腰が痛く一晩中よく眠れなかった。傷の痛みは全然なかった。

長女が朝食に間に合うように来てくれた。
サンドイッチ、牛乳、メロンのメニューである。
サンドイッチは食べ易いように一口サイズに切ってある。患者の病状に応じて細かいところまで気配りしてある。

体の清拭があり、実習生のM君にも背中を拭いてもらった。
消毒とガーゼの取替えがあった。
抗生剤の点滴は朝夕2回で、100ccずつで30分ぐらいで終わってしまう。
腰は突っ張ったような状態で相変わらず辛い。電動ベッドの頭部を少し上げ、脚部をさげたらちょっと楽になった。2日目の今日は、食事時だけ頭部を45度上げて食べてもよい。左手を庇うので45度の角度では食べ辛い。人の手を借りた方が楽である。

1時前に東京から次女が到着した。昼食を持参して姉と一緒に美味しそうに食べている。
長女は終便で帰京の予定だったが、次女が着いたので夕方の便に切り替え2時過ぎに戻っていった。一泊で慌しいおもいをさせてしまったが、動けない時に来てくれて嬉しかった。

体温チェックの時、看護師に身障者手帳申請のことを尋ねられた。入院中に市役所で書類をもらってきてドクターの署名をもらうようにした方がいい。それを市役所に提出すると身障者手帳が交付される。早速手続きの準備をすることにした。

2005.5.25】 手術日(その2)

ストレッチャーに移され病室に戻った。
夫と長女の笑顔が目に飛び込んできた。
夫は時間がかかっているようで心配したらしい。確かに説明には1~2時間と書いてあった。
あとで看護師さんにも聞いた。「家族の人が時間がかかるととても心配しておられましたよ。機器の設定と調整もあるからでしょう」と伝えましたと。
私の場合、ペースメーカーは、自分の脈を使って足りない分をペースメーカーが作動して助けてくれる。生体に近い形で作用するようになっている。脈は最低50~最大120で設定された。

今日は絶対安静で、3日間はベッドから降りられない。
左手肘から上は、左脇にぴったりつける様な状態にして動かしてはならない。リード線が動かないよう、正常に作動するためである。

長女は今朝の1便で東京から帰ってきてくれた。
昼食が来ている。今朝は欠食だったのでお腹も空いている。
食べ易いようにおにぎりにしてあり、おかずも材料が小さく切って調理してある。
自分で食べられないので長女が口へ運んでくれる。おいしい! 仰臥状態では汁物が飲みにくい。スープ、飲料水は楽のみに移してくれた。ほぼ全量食べた。
術後すぐに普通食が食べられてありがたい。全身麻酔だと術後食から始まり、重湯からでないと口に出来ない筈である。

夕方抗生剤の点滴はあったが、投薬もない。
術日は長女が病室に泊まる予定であった。看護師さんに私たちもいますからと告げられ、夕食が済み、私の状態を見届けて帰宅することにした。1便で早朝発ちだったので「家でゆっくり休みなさい」と言って病室から見送った。心配している身内に連絡し欲しいと伝えた。

左腕を固定しなければと意識している。腰枕が当ててあるがだんだん腰が辛くなってきた。傷の痛みは全然感じない。腰の痛みで寝付かれずよく眠れない。
口元が乾いて何度か水を飲んだ。

2005.5.25】 手術日(その1)

5時過ぎに目覚めた。いよいよ今日は手術日である。
いつものように洗面を済ませる。朝食は欠食となる。
8時過ぎに抗生剤の点滴100cc、約30分で終わる。やがて夫もやってきた。
家族は病室で待つよう、部屋を離れるときはナースステーションに連絡するよう伝えられた。

8時50分ストレッチャーに移され、看護師、実習生のM君によって2F手術室へ運ばれる。自分の目で確認しながら行くが、視界に入るものは天井だけである。
右手に医師仮眠室を見て手術室へ入る。時計は9時を指している。パジャマの上着を脱いでストレッチャーから手術台へ移される。体がやっとはまるぐらいの幅で落ちないかと不安になる。両端の手首位置に手首を預ける場所があり乗せた。室内は2~3人だけである。
右側にモニター画面があり脈拍数と波形が映っている。時計は9時10分過ぎ。

上半身と脚にカバーが掛けられた。
「筍堀りの山で倒れたんだって、頑張りましょうね」
「よろしくお願いします」

頭部にスチール製のような枠が被され(野球のキャッチャーマスクのような感じ)水色、紙製のカバーが掛けられた。見えないが光は感じられ右端は少し開いている。話し声の感じで室内の人数が増えていることがわかる。
術面になる部分だけカバーが外された感じがする。

消毒薬が数回塗られた。局部麻酔での手術である。
「今から痛み止めの注射をします」
チクリと細い針が刺される感覚である。左胸に縦10Cm、幅5Cmの長方形型に20数回刺されたように感じた。
左肩上に近いところで「少し深いところまで針を刺します」
このときは針の傷みを感じた。麻酔されたような痺れ感は何もない。麻酔した周りにガーゼを差し込まれたような感じ、テープでしっかり固定されたようだ。

縦10Cm長さぐらい何か作動する感じがして、メスが入った長さかと思った。実際はリード線が差し込まれるところだったようである。リード線が真っ直ぐ入ってないようである。
「引くことは出来るが、押し込むことは出来ない」「差し換えた方がよいようだ」と聞こえる。

右側の隙間から看護師の呼びかけが聞こえる。
「Hさん、大丈夫ですか」
「大丈夫です、今何時ですか」
「10時30分です」

「点滴します」と声をかけられ術台が下へ下がる感じがする。暫くしてまた頭部方向へ上がる感じがする。会話の感じから部長先生らしい。「痛くありませんか」「痛くありませんが、押される感じがします」多分ペースメーカーの本体がインプラント(植え込み)されたのであろう、異物が在る感じがする。4~5回針ですくって縫い、はさみで糸を切る音がした。
チェックが始まった。「大きく息を吸って、吐いて」を数回繰り返し、心房よし、心室良しと心臓の部屋ごとの確認のようである。数値の設定であろう、50とか120の数字が聞こえる。

頭部のカバーがとられ
「終わりましたよ」
「ありがとうございました」
「来年は筍を何本も掘ってください」

モニター画像に心臓とリード線が映っている。リード線の突端にはポッチのようなものが付いている。“私の心臓だ、弾力がある”と思いながら眺めた。時刻は11時30分、2時間30分要している。

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2005.5.24】 手術日前日

昨夜はぐっすり眠った。
朝の目覚めもすっきりしている。

5時過ぎ、カーテンを開けてみると空が茜色に染まっている。街は未だ眠っている。
黒いビルの背面が茜色に染まり、ビルと空の色のコントラストが一際鮮やかである。

吸い込まれるようにして、暫く眺めていた。桜島の左手山頂にもほんのり朝陽が射してきた。
鹿児島に住んでいながら初めて見る光景である。刻々と変わる空の色と雲の流れに魅せられていた。
7時ごろ見ると朝焼けの空は消え、天高く太陽が顔を出していた。
明日は手術日、今朝の朝焼けは私にとってよい予兆のように思われた。

昼ごろから曇ってきた。
午後には入浴もして心身ともに爽快な気分になった。

再度、看護師から手術のオリエンテーションがあった。(前回の予定日前にも聞いたが、術日前日に発熱して延期になった)

手術は9時から
手術後安静度表を見ると5/25(水)~6/2(木)の日程となっている。
6/2は退院と書いてある。経過がよければのことだが、これで退院の見通しもたった。

もう一度ペースメーカーのしおりを読み返した。
手術は経静脈植え込み法といわれる。
鎖骨周辺を消毒後、局所麻酔をして、鎖骨に平行に5cmほど切る。この皮膚の下にジェネレーター(ペースメーカー本体)を植え込むポケットを作る。
この付近にある静脈を探し、その静脈を通して、リードを心臓まで送る。
その先端が右心房、または右心室の適当な位置に来て、心臓の電気刺激による反応がよければ、そこにリードを留置する。
リードとはジェネレーターからの電気刺激を心臓に伝える導線の役割をするものである。

この手術後安静度表のスケジュールどおりになりますようにと念じながら眠ることにしよう。


2005.5.23
10時ごろ看護学校生が実習のためにやってきた。数日前に看護師から実習生受け入れの伺いがあった。1人の患者を担当して具体的な看護実習をする。勉強する人の役に立つのであればいいですよと返事しておいた。
女性とばかり思っていたので男性が現れてちょっとびっくりした。しかも長身のかっこいい青年である。今で言うイケメンである。

体温と血圧測定をしてもらった。自己紹介してから少し話した。
彼も緊張しているように見えたので、女性にもてるでしょうと冗談を言いながら話しをきりだした。まず今回入院している病状を語り、彼のことについても聞いた。

彼は看護学校の3年生である。1~2年は学校で学習して、3年生は病院で実習するのだという。この病院では3週間の実習をする。来年早々国家試験を受けて独り立ちする。

看護師は女性の仕事というイメージが強かった。服装もユニセックスのものがある。はやりのジェンダー・フリもあるのだろうが、職域も性差が薄れてきているのだろうか。どうしてこの道を目指したのか聞いてみた。高校では理系選択だったという。

  機械ではなく人と関わる仕事がしたかった
  看護の道では選択肢として保育士と看護師がある
  おばあちゃんが入院した時、看護師の優しい接し方に触れたこともきっかけとなった
  高齢化社会である

真面目で優しそうな性格が伝わってくる。
おそらく私の入院中は彼の実習期間と合致しそうである。世間話などをたくさんしてあげようと思った。若者の考え方も聞いてみたい。

午後から近所の奥さん2人が来室。
昨日の町内清掃で夫と話して、私の入院をはじめて知ったという。最近顔が見えないがきっと旅行だろう、それにしても今回は長いな~と思っていたと・・・面目ない。

2005.5.22
雨のせいか少し肌寒い。ソックスを履きカーディガンを羽織った。

日曜日のTV「題名のない音楽会」はよく見ている。

今日のプログラムは? スイッチを入れてみる。

「ラッセル・ワトソン」特集である。
名前は知っているが声を聴いたことはない。画面で見るのも初めてである。
オペラ「トゥーランドット」のアリア『誰も寝てはならぬ』を歌いはじめた。
美声と声量の豊かさに一撃を喰らった。この曲は大好きなアリアでドラマティックな歌唱がびんびん響いてくる。TVガイドに七色に輝く黄金の歌声と紹介してあった。
他に、アヴェマリア、フニクリフニクラ、オ・ソレミオ、ヴォラ―レなどを披露した。

最後の曲「You raise me up」は自分を勇気付けてくれる歌と紹介した。3日後に手術を控えている私も元気をもらった。
美しい声に魅了された。元元はクラシック出身ではないようだ。元気になったら彼のプロフィールなどを調べてCDも聴いてみたい。

子供たちに、体調もよいこと、元気に術日を迎えるようにしていると簡単に電話で伝える。
退屈でしょうと言ってくれる。こんな時間のゆとりもあと一両日のことである。

2005.05.21
昨日病室を変わった。
廊下一つ隔てただけで、救急車のサイレン音がストレートに聞こえてこない。

東の窓から鹿児島市のシンボル、桜島が見える。
6時過ぎ窓を開けると雲間から朝陽が覗きまぶしい。雲の流れにしばらく見蕩れていた。

9時過ぎ主治医が来て
「変わりないですか」
「何も問題はないでしょうか」
「ありません」
「頑張りますのでよろしくお願いします」

今日は、みみずく(高校の同期会)関東同窓会の日である。
夕食を食べながら、今頃宴も始まっている頃だろうとおもう。

参加するつもりで飛行機のティケットも購入済であった。
同期生のSさんの個展も計画されていた。個展見学、パーティー参加も予定にいれ上京期間も長目にとっていた。緊急入院で全てキャンセルせざるをえなくなった。
楽しみにしていたので、返す返すも残念である。

【2005.05.20】
雲の動きがよくわかる朝の空である。夏空の雲に変わりつつある。
6時30分、採血。

10時ごろ婦長が来て前向かいの個室が空くこと、希望すれば入れるらしい話を聞く。
25日が術日であることなどを考慮して入室希望を伝えた。個室へ移れることになり昼食後移動した。

約2坪ぐらいの部屋で広々している。付帯設備はロッカーがあるぐらいの違いだが、部屋代も安く1日2650円。東の窓から桜島の全景が見える。ここから朝な夕な眺めることが出来る。

夕方来た夫も個室へ変わったことを喜んでくれた。女性だけの部屋と違い気兼ねなく入室できる。夜TVを見る時も隣ベッドの人へ気遣いすることなく、マイペースを守れるのでありがたい。術日までゆっくりした気分で過ごしたい!

今日の入浴は時計持参で入った。20分の時間経過がわかり、配分もうまくいって慌てずにすんだ。

3時頃、部長回診。
「25日でしたね、頑張りましょう」
「どうぞよろしくお願いします」
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マンマ

  • Author:マンマ
  • 好奇心、やじ馬根性旺盛な熟年おばさん?

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