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2005.05.17
今日も五月晴れの青空が広がっている。
入浴の許可もでた。

今日の心エコーの検査は経食道心エコーである。1時に心エコー室へ降りていった。

食道心エコー法では、プローブを食道内に挿入して心臓を観察するため、肺や肋骨、体脂肪などの影響を受けない。特に前胸壁から遠い左心房、僧帽弁、大動脈などのより鮮明な画像が得られる。

心エコー室に入る。
担当医が研修医2人に
「心エコーの勉強をしてきたか?」
「胸壁の方はしてきました」
「今が一番元気があって勉強する時ではないか」

ドクターの説明を聞く。胃カメラを飲む時の要領に似ている。
「麻酔は肩からでなく、口の中に噴霧する方法でします。無理はしません」
以前、胃カメラを飲んだことがあることも伝える。
研修中らしい女医2人も入ってきた。

口の中に麻酔を噴霧され、2~3回でしびれてきた。
カメラが口内に入れられたが噎せる。
「力を抜いて」 暫くして
「入りましたよ」

「大動脈は問題ないな、昨日気懸かりだった箇所も大丈夫だ」
いろいろな角度から画像を見ている様子が伝わってくる。
助手に「写真」と言う声を何度も聞いた。
約1時間で終わる。

終わって
「心不全の心配はないでしょうか?」
「何もありません、大丈夫です」
ほっと一安心して病室へ戻った。

検査後1時間は飲食が出来ない。
3時過ぎに昼食が出た。とっくに昼食時間は過ぎているのに温かい食事が運ばれてきた。
給食室の細かい心遣いがうれしい。

食事は、食材が新鮮、メニューもバラエティに富み、栄養のバランスもとれている。
6時の夕食は美味しかったが、流石に全量は食べられなかった。

夫は、この日仕事帰りに寄れなかったので、検査結果を留守電に入れておいた。
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2005.05.16
9時30分から心エコー検査があった。

主治医の説明で、心エコーの検査には、主に2種類の方法があることを知る。
心エコー法では、心臓への超音波の透過性によって画質の良し悪しが決まる。

① 経胸壁心エコー
② 経食道心エコー

今日の検査は①である。
経胸壁心エコー法では、超音波が通過しにくい肺や脂肪組織のため、診断に適する画像が記録できない場合がある。
胸壁から超音波を当てることから、経胸壁心エコー検査または体表心エコー検査ともいわれる。

夕方、みみずく(高校の同期会)の山中良子さんが来室。
同期会ではHPを運営している。
彼女と私は今年度HPの運営委員になっている。

何度も病室に来てもらい、みみずくHPのその後の経過を教えてもらっている。
必要な箇所をプリントアウトして持参してくれた。友達は有難い。

第1回目の会(4月23日)が開かれた2日後に緊急入院している。
一時ぺーシングや心電図モニターを付けたので、私から電話、メールが出来ない状況になってしまった。
他の委員の人にも多大な迷惑を懸けることになった。心苦しい。
パソコンを毎日開けられずに口惜しい!

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  2005.6.28 撮影

長女からさくらんぼが送ってきた。
生産者からの直送である。

「佐藤錦」は、真っ赤で艶やかな色をしている。
見るからに甘くて美味しそうである。

お気に入りのリチャードジノリの皿に盛った。

今日だけ、さくらんぼのデンプレートに替えてみた。

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 2005.6.27 撮影

今年は、空梅雨気味である。
甘い香りに誘われて、隣の玄関先に咲いているくちなしの花に近づいていった。
濃緑の中に咲く白い姿は、香りと共に、清楚で、つゆ時のじめじめ感を和らげてくれる。

芳香を放つ花木に、春の沈丁花、初夏のくちなし、秋の金木犀がある。
優しい香りが漂うくちなしに惹かれる。

そして、映画『旅情』のラストシーンを想い出す。


2005.05.15
日曜のせいか車も人の流れも少ない。

同室の、姉御肌で、あの面白いキャラクターのNさんの退院が明日に決まった。
彼女も、徐脈でペースメーカー・インプラントの術日も決まっていた。
本人の希望で少し様子をみてみたいと、主治医の説明を聞いて戻ってきた。
但し車の運転は厳禁で、キイも息子さんに取り上げられたと。
明るかったこの部屋も寂しくなる。

今夜は是非見たいTV番組がある。オペラで、TVガイドでチェックしていた。
ヘッドフォンをつけて10時を待った。

  教育テレビの「芸術劇場」
 藤原歌劇団公演 『椿姫(ラ・トラヴィアータ)』 ハイライト
   配 役
   ヴィオレッタ  エバ・メイ
   アルフレード  佐野 成宏
   ジェルモン   堀内 康雄
    指   揮   広上 淳一
 二期会公演 『魔笛』   指 揮 下野 竜也

ラ・トラヴィアータの意味はイタリア語で[道を踏み外した女]だという。

高級娼婦で、パリ社交界の華ヴィオレッタと南仏出身の青年アルフレードの結ばれぬ恋を描いている。愛する人を思い自ら身を引くヒロインの心情表現が切ない。
舞台や衣装が豪華で物語も解かり易い。

聴きなれた『乾杯の歌』の合唱も一幕ですぐ歌われる。
有名なアリアも多い。『ああ、そはかの人か、花から花へ、パリを離れて・・・』
ジェルモン(アルフレードの父)が、バリトンの声で歌う『プロヴァンスの海と土地』に魅了される。

エバ・メイの名前は初めて目にする。退院後プロフィールなどを調べてみたい。
1時間11分のハイライト版では物足りない。全幕見たかった。

引き続き『魔笛』も見たかった。
指揮の下野 竜也に注目していた。
確か鹿児島出身の若手指揮者と記憶している。映像での指揮姿を見たいと思った。
しかし、病人の身で夜更かしは禁物と思い断念! 残念!

2005.05.14

小雨が降っている。

朝夕の抗生剤点滴も今日で終わった。

3時過ぎ、TVのスイッチを入れた。韓国ドラマの画面である。
「冬ソナ」でヒロインを演じたチェ・ジウが出演している。タイトル、粗筋も知らないまま見ていた。
嫁姑のバトルゲームで、エゴを剥き出しにした壮絶なドラマであった。
これが韓国でいう(ハン)を強く表現しているのだろうか。

5時頃、夫の親友(同窓生)Oさんが来室。家族ぐるみの交誼がある。
昨日私の入院を知ったそうである。

3月、小中学校の同窓生と京都に行ってきたという。
 「飛行機でですか?」
 「そうです。歩き回るのに疲れた」と

彼は高所恐怖症である。以前子供のPTA活動で一緒に仕事をしたことがある。
PTA研修会があって、飛行機で沖縄に行くことになった。
途中気流の悪いところがあって、エアーポケットに入ったように急降下して機内がゆれた。
 「だから飛行機は嫌いだ、列車のほうがいい」
と悲鳴に近い声をあげている。
陸路では行けない所をどうしろというの、船で行くの?と思いながら、笑いを堪えるのに必死であった。

夫もやってきて、暫く振りで、話し込んでいた。
夕食時間になって戻っていった。

2005.05.13
五月晴れ、陽光が窓辺に入りこんでくる。

この部屋はおよそ病室からぬ雰囲気がある。笑いが絶えない。
その牽引役はNさんである。

入院してきた日は脈拍31で、きつい! きつい!の連発であった。
この日も診察に来て即入院と告げられた。入院準備で自宅に帰る時、車の運転は厳禁と言われた。にも拘らず運転したのよと豪傑である。
自己紹介も「美人のNです」と言って笑いをとり、同室の人となった。

歌手の武田鉄哉の、亡きお母さんの語り方を髣髴とさせるような雰囲気があり、人を飽かさない。年は70歳前半だが、見るからにエネルギッシュである。
亡夫の友人に付けられたニュックネームは「ヤンキーバーバー」「女囚蠍(さそり)」
車を運転するが、年齢に似合わずスピードを飛ばし、免許更新時もスピード違反がついて優良運転者になれない。

今日は大学教授のK先生が退院の日である。
朗らかで楽しいNさんが立ち上がった。ラジカセにテープを入れて天童よしみの歌の披露である。人生あかるく楽しく過ごさなくちゃと屈託が無い。歌は車の運転中に覚えるのだという。皆で手拍子を打って、退院祝いの気持ちをこめて、「おめでとうございます」と唱和した。

軽症者ばかりの病室であるが、笑い声が響いてまるでお笑い劇場である。時には隣室まで出前出張して笑わせてきたと戻ってくる。

別れ際にK先生に握手を求められて「お大事に!」と言って病室から見送った。
彼女にはもう少しドイツのことを聞きたかった。入院中も、新入生に対して、入学早々休講にしていることが気懸かりのようであった。
女性としても頑張って欲しいと秘かにエールをおくる。

2005.05.12
9時過ぎ主治医が来て
 「元気そうですね、血液検査の結果はよかったですよ」
熱が下がったばかりであるのに
 「術日の目途は立ちますでしょうか」
 「明日部長先生とも話しましょう」

午後Iさん來室。
筍堀りの日、車に便乗させてもらった友人である。

右手首に副木を当てて包帯をしている。4月末霧島で転んで打撲した。
後から登って来る人が、看護師さんで救急道具を持参しており、適切な処置をしてもらって助かったと。念のため病院でレントゲンを撮って骨折と判ったらしい。利き手で、家事や孫さんの世話も不自由に違いない。
女性の骨折は怖い。年とって転ぶと、骨が脆くなっているので大腿骨骨折に繋がりやすい。

彼女と同室のKさんが顔見知りであり、お互いにびっくりしていた。2人とも孫さんの世話をしており、孫さん同士が同じ保育園に通っているという。
Kさんは13年間に5回も手術をしている人である。今回も一ヶ月の入院、自分の病気を淡々として話し達観しているようにみえる。胸の内はどうであろう?

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   2005.6.24 撮影

このところ毎日のように庭の(鉢植え)ハイビスカスが咲いている。
昨日は黄色が咲いた。

今朝は在来種の赤い色である。
マットな赤色で、ハイビスカスらしい色である。
私の好きな色である。
南国の青空には赤が一番似合っている。

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2005.05.11

平熱になって気分も良くなってきた。36度6分。
少し開いた窓からの外気が心地よい。

食事も美味しくなってきた。
熱が出ると集中力も無くなり、TV、音楽、文字を見る気も失せる。

体調回復が先と、大事を取って、休息日とする。
入院中の身で休息日でもあるまいに、一日中何するでなく、大人しく、ベッドの人となる。

2005.05.10

朝は、未だ38度4分の熱がある。
朝食も果物のメロンを食べただけである。

熱さましをもらって飲んだら汗が出はじめた。
びっしょり汗をかいて、汗で濡れたパジャマを着替えた。
昼迄には36度7分まで下がってきた。同室の人たちも気遣ってくれた。

昼食時間に夫と長女が来た。
熱も下がり昨日より顔色が良くなっているので安心したようである。
術日が延びたので長女は一旦戻ることにした。仕事が繁忙のようで「来週また来るね」と言って4時の便で帰京していった。
午後にレントゲン撮影があった。抗生剤の点滴は朝夕2回。

昼食までは食欲もなく半分も食べられなかった。りんごジュースは喉越しがよくおいしい!
夕食は、気分も良くなり、少し空腹も感じて全部食べられた。

それにしても突発的な発熱であった。
手術に怖気づいたわけでもない。われながら情けない!
 本来なら今日が術日だったのに残念!!

術前の体調万全は不可欠である。
一晩で熱が下がってよかったと喜ぶべきであろうと自らを慰める。

2005.05.09

日課の中に午前と午後の2回、検温、脈拍と血圧測定がある。
午前 血圧:94(最高)―-50(最低) 
    脈拍:60(一時ぺーシングで固定してある)

明日が術日でシャンプー、清拭をしてもらう。
手術に臨んで、看護の面から手術や手術後安静度について看護師から説明を受ける。
いよいよ明日が術日だという実感がしてくる。

昼食後、横になっていたら少し寒い。もう1枚毛布を掛けても温まらない。
6時ごろ吐き気がしてもどしてしまう。
発熱して38度7分ある。

抗生剤の点滴が始まり、ドクターが「一時ぺーシングをはずしましょう」と外す。
風邪の症状ではない、感染による熱のようである。
一時ぺーシングを2週間も付けていたので、どうやらばい菌が入ったらしい。
採血をする。結果が出るまで2~3日かかるという。これで術日は延期となる。

すべてが整い明日を待つばかりであったのに、術日前日、しかも夕方になってなんという運の悪さ、がっかりである。
気を取り直して、手術前でよかったと思うことにしよう。
居合わせた夫と長女を、驚かせ、がっかり(落胆)させてしまった。

常、日頃、風邪でも発熱したことがない。
一晩、体が火照りだるかった。

2005.05.08

今日は、明後日(10日)の手術について、主治医からオリエンテーションを受ける日である。
10時過ぎ、夫、長女と一緒に説明を聞いた。

私の心臓について
現在の状況、ペースメーカーのインプラントについて、画像を使ったりして詳しい説明があり、解かり易くよく理解できた。

不整脈(徐脈)によるペースメーカー挿入になる。
私の場合、自分の脈を使って足りない分をペースメーカーに助けてもらう生体に近いかたちになる。
電池の寿命は個人の症状によって違う。約10年ぐらい。
心不全はないので退院後の投薬はない。
血管に梗塞、動脈硬化は何もない。血管年齢は若い。
これだけが唯一の取り柄というもの。

どういう経過で、どのような手術を受けるのか理解でき安心した。

母の日である。
病室を訪れる家族や見舞い客は花かご持参が多い。
窓辺には、花がずらりと並んだ。

いつもの無機質な病室に彩りを添え、ぱっと明るく、華やかな雰囲気になった。
皆で優しい眼差しで眺める。癒されるひと時である。

父の日に、父親が入院していても、同じように花のプレゼントが届くかな?

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桜 島

2005.05.07

今朝の櫻島は雲を被っているが、昇る朝陽が雲間から射している。
今日はよい天気になる兆しのようだ。

昼前ベランダへ出てもう一度櫻島を眺めた。
雨上がりで山肌もくっきり見えてひと際稜線がきれい。中腹から裾野は深い緑色の森が広がっている。

病院の向かい側に甲東中学校がある。土曜で学校は休み、スポーツ少年団らしいサッカー練習風景が見える。
ツツジの花色で染まっていた街路の花壇は、時を過ぎ緑色に変わっている。
夏も間近かである。

4時過ぎ長女が洗濯物を持ってやって来た。
明日は「母の日」だからと花かごを窓辺に飾ってくれた。

スコーンを持参してきていた。
5年前、ロンドンへ一緒に旅して、アフタヌーン・ティを楽しんだこと想い出しながら、私は1/2個だけ食べた。
あの時紅茶の美味しさを覚えたようなものである。
あれ以来ファーストフラッシュ(春摘み茶)はお気に入りとなっている。

夜はTVを見た。
 NHKスペシャル 終戦60年企画・ドラマ「望郷」
1時間30分のドキュメンタリードラマである。

ストーリーは、第2次世界大戦後の捕虜収容所で、日本人とルーマニア人が培った友情を描いたものである。
ベッド上では姿勢が悪かったり、隣の人を気遣ったりして見辛い。
ヘッドフォンを使い、実話に惹き込まれて(当人二人も画面に出た)、凝視するようにして最後まで見続けた。

斜め前のベッドは大学の先生(ドイツ語)である。10日あまり同室だったがドイツの話しも聞いた。ドラマで度々ドイツ語を話す場面がでてくる。夜間だったので声を掛けそびれてしまった。

この夜は熟睡した。

2005.05.06

昨夜はトイレも1回行っただけでよく眠った。夜中に雷鳴もしたのに・・・
雨は降っていないようだが路面は濡れている。
天気予報では雨、8時前には本降りになった。

隣室の内装工事が終わって静かになった。
私の病室は循環器科と口腔外科の患者が入っている。

老婦人が6人部屋に1人は寂しいと隣室から移ってきた。
窓際で外を眺めながら話す。
離れているが偶然にも同じ団地に住む人であった。年齢は母と同じ85歳、独り暮らしである。

GWに外泊で自宅に帰ったが、食事の支度に追われて忙しいおもいをしたと。
家では時間の過ぎるのが速く、もう~時と感じたが、病院に戻ると未だ~時という感覚だと笑って話される。にこやかな笑顔が可愛いおばあちゃんである。
口腔外科の患者さんで歯が無く流動食に近い食事が出ている。

口の中の手術は食べ物に制約が多く気の毒である。
術後暫くは、刺激の強いもの硬いものは御法度である。元大関貴乃花も口腔底癌だったと報じている。(後日知った)
同室に私と同年齢の人もいる。数回の手術で抜歯したり、入れ歯があわなくなったり、噛みあわせがうまくいかない。病気とはいえ、栄養上では適っていても、三食ともこれでは食べる気も失せることだろう。

彼女は言う。「旅行しても食べる(噛んで味わう)楽しみが無くつまらない。私の食事は食べるのではなく飲む食事よ」

一日の食事時間は、8時、12時、6時である。
入院生活をしていると、食事は楽しみの一つであると同時に、病気や体力の回復に不可欠である。

1月分の献立表をもらっている。私がもらっているのは特別食(心臓)である。
私の食事は1日1400強Kカロリー、量も丁度良い。
運動不足で食べ過ぎると太る因になる。食べ物の差し入れは遠慮することにした。

食事は手作りで季節の野菜がふんだんに使ってある。
生食では量を食べられないが、ボイル野菜が多く出るので食べ易い。整腸にもよい。

味付けは薄味だが、出しがしっかり摂ってある。
煮物では、出しがやさしく、美味しく、生かされている。旨い!
果物も一日2食についている。
食後は食べた量を聞かれる。毎食、ほぼ全量食べた。

昼食に出たビーンズサラダは美味しかった。
白いんげん豆、金時豆、セロリ、ハムの取り合わせで彩りもきれい。
酸味が効いて食べ易い、ワインビネガーを使っているように感じる。

病気が複合すると大変である。糖尿病があると厄介である。

5時前「おかあさ~ん」と長女が入ってきた。
空港から直行してきた。半袖姿である。
私の明るい表情を見て笑みが出た。笑顔を見て私もほっとする。

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   2005.6.14 撮影

1Fヴェランダのブーゲンビリアが、陽光をたっぷり浴びて茂ってきた。

ブーゲンビリアを見てきれいと思ったのは奄美である。
名瀬市のNTT2Fから地上近くまで垂れ下がっていた。
南国の青空に赤紫が映え美しいと思った。

奄美も南の島(与論)へ南下するほど赤みを帯びていた。
棘を嫌う人もいるが密生は南国の色である。

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今日のメニュー(左下:きな粉をまぶしたちまき)

2005.05.05
循環器科の看護師さんとも顔なじみになってきた。

一人の人が私の顔を見て「初めてではないような気がしていた」と・・・
この病院で7年前頭の手術をしたことを話すと「その時救急室でお会いしているかもしれないと」いわれびっくりする。
ドクターの名前を言うと以前一緒に仕事をしたと言う。

患者の多い大きな公立病院である。にも拘らず、人があまりしない病気だから記憶に残っているのだろうか、こんな出会いもあるのかとちょっとミステリアスな気がした。更に「きっと強運の持ち主かもしれない」と添える。

私もそう思う。前の時も執刀医に、一命を取り止めることも、回復することも、運もあると言われた。発見の早さ、的確な診断が、良い結果に繋がったと痛感している。有難く思う。
いろいろな人に生かされていることに感謝しなければならない。

曇り空から夕方になる頃には雨が降り出した。
夕食のメニューに「ちまき」があった。
鹿児島独特のちまきで、もち米を木灰のアク汁で煮てある。きな粉をまぶして食べる。
“今日は子供の日”と栄養係りからのカードが添えてある。

山菜おこわは木の芽の香りも良くおいしい。
吸い物もよもぎの生麩と春菊の小口切りが入っている。
味よし、香りよし、気配りよしでうれしい!

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   2005.6.13 撮影

睡蓮が一輪咲いた。
昔実家で使っていた火鉢である。
木洩れ日が差して光の陰陽がきれい。

 【2005.05.04

洗面後、窓を開けてみると5月の明るい陽ざしが入ってくる。
楠の若葉が伸び南国の夏も近い。陽光がまぶしい。

窓越しに思いっきり深呼吸をしてみる。通りを行く人も軽装になっている。
GWで気分はout doorだが・・・、生身はin doorで儘ならぬ。

病室で一人落ち着けるのはカーテンで仕切られた1坪ほどのプライベート空間だけである。消灯は9時30分となっているがすぐには眠れない。

同室のKさんに借りた桜井よしこ著『何があっても大丈夫』を読む。
ベトナム、日本、ハワイを舞台に、出生からニュースキャスターになるまでの劇的な半生を綴った自伝である。

彼女については、ニュースキャスターとして活躍していた頃の印象が強く、それ以前のことは良く知らなかった。一度ソロプチミストでの講演を聴いている。その時は郵貯を批判していた。

読み進んでいくうちに背後に大きな母の存在があることが解かる。強く、優しく、90歳過ぎた今も凛としている明治の女性である。慈愛に満ちた母との交流で充ちている。
父(故人)は破天荒で家族を省みない人であった。父と母のどちらも波乱万丈、特異な生き方をしている。

彼女自身の局面局面での決断には感嘆する。今は執筆家として活躍しているが、この母にしてこの娘ありである。彼女の生き方に惹かれるものがあり読み応えがあった。一気に読んでしまった。

2005.05.03

朝日と青空が広がっている。
雨上がりの緑がきれい。桜島の稜線も一際くっきり見える。
GW後半は好天だろうか。

昼前、夫と次女が来た。私の昼食時間に合わせていた。
自宅より手作り弁当持参で一緒に昼食を摂る。おむすびと美味しそうなおかずを作っている。料理が得意な娘と思っていなかったので嬉しい意外な一面を見せてくれた。

出かけ前に隣のおばちゃんにあった、今日の父の夕食は作ったので2~3日したらお願いしますと言っておいたよと。ご近所にも助けてもらっている。ありがたい!感謝!
「術日にあわせてまた帰ってくるね」と言って夕方の便で一旦帰京する。

1時過ぎ、空港へ行こうとしていると長崎から妹一家(母と同居)がやってきた。
次女も母に会えてよかった。2年前息子の結婚式で東京で会って以来である。

私の入院を心配して病院へ直行してくれた。年老いた母(85歳)に心労をかけ申し訳なく思う。3連休を利用して父の墓参りのための来鹿である。夕方に着くだろうと思っていたので早い到着に驚いた。

母も元気そうである。
当初連休に来鹿するというので私も同道して墓参りや食事を一緒にする予定であった。私が緊急入院してとんでもないことになった。気懸かりだが妹に一任するほかない。
墓所は草牟田で勾配が急な所にある。脚が弱ってきているので坂道が心配である。

この後、新幹線が開通した鹿児島中央駅やアミューズプラザに寄っていくという。旧西鹿児島駅一帯が変貌しているのでびっくりすることだろう。

2005.05.02

雨は止んでいるが曇天で冴えない。

GW後半の週である。退院や外泊で6人部屋も3人だけになった。偶々患者が少ないのか、休日が続くからか、隣室の内装工事が始まった。

9時過ぎ主治医が来て「安定しているので点滴は取りましょう」
9時30分点滴がおしまいになり、左手も自由になった。洗面、トイレ行きは楽になったが、心電図のモニターは付けたままなので電波圏外へは行けない。

10日の術日迄にはまだ間がある。次女と入れ替わりに息子夫婦は「動き易くなって良かったね」と、点滴が取れた事を見届けてから午後の便で帰京していった。心残りで帰るであろう姿を見ると胸に熱いものを感じる。「3連休は少し体も休めてね!」と言いながら握手して送った。

2005.05.01
朝から雨が降っている。

4時過ぎ息子夫婦来る。
ベッドのシーツ上に大判バスタオルを敷くと、背面への当たりが軟らかくなり湿気取りにもなる。それを取り替えてくれた。この時期上掛けは毛布(カバー付き)だが暑い時もある。家からタオルケットを持ってきてもらった。

今日は次女も帰ってくる。閑子さん宛へ6時過ぎに着くとメールがあり、夫は鹿児島空港へ迎えに行ったらしい。

6時に夕食が出た。今日の目玉はビーフカツ、パン粉をつけてムニエル風に焼いてある。
他に即席漬け、味噌汁、フルーツ(タンカン、キーウイ)。添えの野菜もボイルしてある。野菜が多いメニューでありがたい。

次女が7時過ぎに到着した。私の明るい表情を見て安心したようである。

2005.04.30

目覚めて7時にカーテンを開けると曇り空である。

11時30分ごろ洗面所にいると、突然ドーンと音がした。桜島が爆発したのかと思った。部屋に戻ると雷の音という。同室のが

「天気不安定という奴ね」
「私の体も不安定ね」

と掛け合っている。

午後、息子夫婦が来た。片付けと冷蔵庫整理が大変だったようだ。入院前の約1月体調不良で食欲なく満足な料理もつくっていなかった。

朝食はパンで昼はぶた慢を食べたという。
このぶた慢は、3月末神戸の従姉を訪ねた時に持たせてくれたものである。創業90年松茸汁入りで購買客が多い。中華街の行列が出来る店に私のために並んでくれた。
帰鹿直後、似非魔物に襲われ具合が悪くなり寝込んでしまった。そのまま冷凍庫に放り込んでいた。試食することなく食べ損なってしまった。

昨夜はカレーを作ったという。メニューにはきっと気を遣ったに違いない。夫が「合格!」と言って食べたようで閑子さんがうれしそうに話してくれる。喜びを素直に表現する明るい性格がうれしい。

みみずくの山中良子さんが来室。
彼女と私は今年度みみずくHP(高校の同期会)の運営委員になっている。現況を聞く。第1回目の運営委員会を開いた2日後に入院している。暫く外出・PCができないこと、皆さんに迷惑を懸けることになり心苦しく思う。運営委員の皆さんに入院したこと、東京同窓会(5月21日)に出席できなくなったことを連絡して欲しいとお願いする。

夜はヘッドフォンでCDを聴く。
 「冬ソナ」のサウンドトラック
TVの切ない場面を思い出しながら、ピアノ、ヴァイオリン、ヴォーカルといろいろな音色を楽しむ。

 西本智美・指揮「2004ニューイヤーコンサート」
「モルダウ」「ハンガリー舞曲」「フィンランディア」などポピュラーな名曲ばかり。
若手の女性指揮者で注目している。
彼女はモスクワ在住で2002年ロシア・ボリショイ交響楽団主席指揮者に就任している。
日本人として、東洋人初のロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウムのシェフ(首席指揮者)となった。

2年前、鹿児島にも来ている。ヴェートーヴェンの『エロイカ(皇帝)』を出身地の大阪フィルハーモニー交響楽団演奏で指揮棒を振った。初めて彼女の生の指揮姿を見た。

黒い詰襟の燕尾服に身を包み、全身でタクトを振るその姿は正に絵になる。長身の頭上から振り下ろされるタクト姿はダイナミック、エネルギッシュ、指先はしなやかに、マグネット磁石にぐんぐん引き込まれるような吸引力があった。

2005.04.29

10時過ぎ、主治医よりペースメーカー植え込みの手術は5月10日(火)に決まったことを聞く。

術日が決まると、仕事を持っている3人の子供たちも予定をたてやすくなる。3人でスケジュール調整がしやすくなる。それぞれの職場の人も理解があって休めると言ってくれる。ありがたいことである。

今年のゴールデンウイークは病院暮らしになる。例年この時期は夏に向けて衣替えの準備をする時である。6Fから通りを行く人の半袖姿も見える。

午後、筍堀りに誘ってくださったI夫人が見舞いに来てくださる。
筍堀りは実に楽しい! ちょっと土が盛り上がったところに小さな穂先を見つけた時はうれしい。傷つけないように掘っていく。最後に鍬を入れる方向も彼女に教えてもらった。

毎年、筍を掘る楽しみと、掘りたての筍で作る味噌汁が楽しみで、万難を排してお邪魔している。汗を流した後、掘りたての筍で作った熱々の味噌汁と、お弁当を広げて食べる昼食の味は格別である。

その日は生食もできる。わさび、酢味噌のどちらでもいける。姫皮の吸い物も美味しい。2~3日は筍づくしの料理になり季節感たっぷりである。今年は、山まで行ったにも拘らず緊急入院となり、その旬を味わえず残念無念!

ゴールデンウイーク明けにご主人とイタリア旅行の予定という。“楽しんできてください”と伝える。
5年前、一緒に東欧旅行をしたことを想い出す。

2005.04.28

院内を自由に動けないが病室での時間はたっぷりある。

ベッド上での長時間の読書やテレビ視聴は疲れる。姿勢にも悪い。右腕に括られた一時ぺーシングも結構重いので右肩への負担がある。寝ながらでも楽しめる音楽を聴こうと思った。ヘッドフォンとCDを持ってきてもらった。

6人部屋では昼間は家族の出入り、見舞い客の来室で退屈する暇はない。
今日も長い夜が始まる。6時に夕食が出て、翌朝8時の朝食までの時間は、なんと14時間もある。
時間はたっぷりあってもまとまった睡眠が取れない。不眠症ではないが夜中に1~2度は目覚める。入院4日目でこんな状態、約1ヶ月の入院期間中どんなことになるやら?

身から出た錆とはいえ、今頃家に居れたらやりたいことは山ほどあるのに、駕籠の鳥状態では意のままにならず、無為に時が流れていくようで遣る瀬無い。

2004.04.27

病室を変わる。検査入院や退院間際の軽症者が入っている。
6人部屋だが私を含め患者は4人である。

窓側で明るく櫻島も見える。街路樹の楠の若葉が初夏の日差しに映えてまぶしい。
病院正面は電車通りを挟んで甲東中学校がある。ナポリ通りと電車通り(路面電車)がクロスしており、斜向かいは中央警察署、西側は甲突川が流れている。

建物や街の様子はすっかり変わっているが、この辺りの景色を見ると懐かしさが甦ってくる。
ここから見える中央警察署近くに物心ついてから小学3年まで住んでいた。かって母の実家が在った辺りである。
出かけられるものなら行って確かめてみたい衝動に駆られるが、6階の病室から眺めるだけである。

病院正面玄関上に位置する病室で、ひっきりなしに救急車の音が聞こえる。遠くから救急車のサイレンの音が聞こえると、ほぼ間違いなくこの玄関前でピタリと止む。

午後友人のIさん來室。
筍堀りに一緒に行った友人である。心配して早速駆けつけてくれた。ありがとう!

4時30分ごろ息子夫婦が東京から帰省して病室に来る。
突然のことでびっくりさせたに違いないが、私の顔を見て安心した様子である。
話しかけると心配げに「喋らないで、寝ていて!」と気遣ってくれる。2人の顔を見たら涙が出る。

閑子さん(お嫁さん)はパジャマやこまごまとした身のまわりの品を持参してくれた。
急な帰省で慌しかったに違いない。優しい心遣いがうれしい。

点滴を動かしながらトイレへ行くと付き添って来てくれる。点滴液が揺れたり、ベッドから離れすぎると、点滴モニターから“ピッピー”とエラー音が出る。ナースコールを押す破目になる。
心電図モニターも付けているので動ける範囲は限定されてしまう。

1F売店に病院生活に必要な品が揃っている。週刊誌やテレビガイドを買ってきてくれた。仕事帰りに寄った夫と一緒に戻っていった。

筍堀りに出かけたままでの緊急入院である。しかも子ども達とは普段離れて住んでいる。
主婦のいない家に戻って台所に入ることは戸惑うことだろう。気懸かりではあるがどうしようもない。

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   2005.4.21 撮影

 撮影奄美大島が北限とされているツツジの一種『アマミセイシカ』、今年も近所のHさんの生垣に見事に咲いた。南日本新聞夕刊に同じ団地内に咲いた写真が掲載されていた。一瞬近所の?と思ったが別人宅であった。暫くは通りすがりに楽しませてもらおう!

『アマミセイシカ』は奄美大島固有種で本来は川沿いに自生しているが、清楚な花を求めて採掘されてしまい今では自生のものは殆ど残っていない。

本土ではなかなか咲かず“幻の花”とも言われる。現在では自生地が減っている絶滅危惧種で、鹿児島県では2004年から県条例で捕獲を禁じる動植物に指定された。

アマミセイシカとは不思議な響きである。
仮名書きでは動物とも植物とも区別しにくい。奄美に2年住んだが見たことはなかった。
「聖紫花」と書き、別名「西施花」は中国の伝説の美女名であるらしい。

花冠が五裂し、先端がつんと尖っている。
ドレスの裾のようにドレープのきいた輪郭が主流のツツジ科にあって、ラッパ状のこの花の直線的なシルエットはシャープ感がある。

近づいてみると名前に反して紫というよりも淡い淡い甘いピンク色の花で、ソメイヨシノの桜色をさらに薄めたような微妙なしっとりとした色合いである。花びらの1枚に鹿の子模様がある。
少し甘い香りもして繊細で気品があって凛と咲いている。

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   2005.4.24 撮影

2年ぶりに2個の蕾が膨らんできた。

今朝咲きはじめた。日増しに花が大きくなっていく。日々の観察が楽しみである。
大ぶりのひらひらとした花びらは重なり合っているので指先で押し広げるようにしてカメラに収める。

花びらは羽根のように軽く、触れたり風に当ると壊れそうに繊細である。
全開すると艶やかで華がある。
咲き誇る姿は正に花の女王である。

和服地に手描きされた牡丹も風情がある。

2005.04.26

絶対安静の一夜が過ぎた。

6時過ぎ熱々のお絞りタオルをもらい左手ながら顔や手を拭く。目覚めて心地よい。
8時過ぎ主治医にカテーテルの管をはずしてもらった。点滴を持ってトイレに行ってよいということで看護師さんに案内されトイレまで歩いてみる。

病室は4人部屋だが、ナースステーションの前にあり目が届き易い位置にある。救急や手のかかる患者の病室のようである。隣ベッドは頻繁にナースコールを押す90歳の老婦人でよく眠れなかった。病気がさせているのか不満ばかり言って周りも大変だ。

清拭をしてもらい寝巻き交換があり爽快。午後からはシャンプーもしてもらい頭も軽くなった。
寝巻きは病院のレンタルを利用することにした。上下式のパジャマスタイルで、上着は打ち合わせになっており病人にとっては脱ぎ着しやすい。
夕方夫が来て子供たちへ連絡したこと必用品を届けてくれる。

心電図モニターを付けているのでナースステーションから飛ぶ電波の範囲内しか動けない。
ということは、同じフロアのトイレと洗面所の往き来ができる程度のことである。

院内は携帯電話が使えないので電源も切った。公衆電話のあるところまで行けない。私から電話の受発信は出来なくなった。

直接電話したい連絡ごとは一杯あるのに儘ならずにもどかしい。退院まではパソコンも開けられなくなり残念で口惜しい!

2005.04.25

 突然の入院、局所麻酔によるペースメーカーのインプラント術を受けた。
その入院生活40日間の病床模様を、病室でのメモ書きを基に、気の向くまま雑記しようと思う。

財布一つ握っただけの二度目の緊急入院となった。またもや綱渡りの命拾いである。今回は救急車のご厄介にもなった。

4月25日の朝、毎年恒例の筍堀りにいつものメンバー6人で出かけた。鹿児島市南部の喜入町の友人宅の山である。

作業着に着替えて山へ向かった。緩やかな傾斜だが笹の葉が多く滑り易そうな山肌をしている。
支えになるような枝につかまりながら登り始めた。“ちょっときついなあ~、一気には登れそうにないな~”と思いしゃがみ込んだ気がする。

気がついたときは周囲に友人たちが立っており様子がおかしい。救急車を呼んだという。どうやら私の為であるらしい、倒れて1~2分返事がなかったのよ! 聞いた私の方がびっくり仰天。

“大丈夫です。先週頭部のCT撮影、血液検査を受けたばかりです”そうこうするうち救急車が到着した。“何事もなければ迎えに行くので”の声に送られて日赤平川病院へ搬送された。

救急隊員の「意識清明!」と連絡する声がする。7年前に頭部手術をしたこと、普段脈が遅いことなどを伝える。

病院に着いた。脳外科と循環器の対応のようである。頭部CT、脳波、心電図、胸部レントゲン撮影処置の指示が聞こえる。頭部より心臓に問題ありのような会話が聞こえる。この日は循環器医のいない日で、他の病院名を言われたので鹿児島市立病院へ行きたいと申し出た。夫も勤務先から駆けつけてきた。

若い脳外科医に付き添われ市立病院へ転送される。車中で山で倒れた時のことを聞き取り書きしながらであった。カーテンの隙間からどの辺りを走っているか見当がつく。気分は悪くない。スピードを出しているのだろうが救急車の振動はかなりのものである。

救急処置室で循環器ドクターの処置を受ける。採血する。エコー、心電図のモニター画面が見える。
「脈が40ぐらいで意識不明になることはない。今回はおそらく20台ぐらいまで下がったのでしょう。心電図をずっとチェックする必要があるので入院です。それでペースメーカーを入れるかどうか決めましょう。」

血液、心電図検査の結果、すぐさま心臓のカテーテル検査と一時ぺーシングすることになった。術日は連休明けになるだろうと聞く。丁度ゴールデンウイーク直前である。タイミングも悪い。

カテーテル検査が済んで
 「血管はきれいですよ」
 「あぁ、よかった」
心電図モニターを付け病室へ運ばれる。6F4人部屋。
できるだけ水分を取るように、抗生剤と造影剤を速く排出する点滴が始まる。
カテーテル検査後は一晩右手は固定したまま絶対安静である。

夕食から食事が出た。昼食抜きで空腹だった。右手はふさがっているので食べ易いようにおにぎりにしてあり、その心配りがうれしい。

着の身着のままでの緊急入院である。急ぐべき連絡事項、必要品のリストを夫に伝える。今度もまた寿命が10年縮んだおもいだという。我ながら申し訳ないと思う。

 病名は房室完全ブロック。



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マンマ

  • Author:マンマ
  • 好奇心、やじ馬根性旺盛な熟年おばさん?

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