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松江市内~それぞれの家路へ

松江城

観光名所は5時で閉館のところが多い。5時をまわっているので無理せずに観光はやめた。
夕食会場近くへ移動して付近を見ることにする。
夕食は、昨日タクシードライバーに「鯛めし」がおいしいところと聞いていたので4時ごろ予約を入れた。

行き当りばったりの感はするが、2日目の夕食は事前に決めず、敢えて現地に行ってから決めようと幹事で話しあった。というのも少人数だと融通も利く、名物といわれるものが必ずしも美味しいわけでもない、ハズレだってある。

幹事役としてはちょっといい加減ですね。皆には居酒屋風かもしれないからあまり期待しないでと伝えて、そのつもりでいた。今夜の宿の直ぐ近くである。

ところが行ってみると格式のありそうな表構えで立派な料亭風じゃありませんか。くたびれた旅姿ではちょっと尻込みしそうな老舗旅館である。夕食はその1Fにある庭園茶寮「みな美」である。

店構えからして御代のほうも高いのでは?と思ったが杞憂にすぎなかった。
定評の「鯛めし」もあるコースメニューをオーダーした。

釜飯


鯛めしは絶品であった。
個々に熱々の釜ごと運ばれた。

蓋の上に添え書きの紙片が乗っている。
“炊き上がりの時刻。時間までは蓋を開けないでください。炊き上がったらシャモジで混ぜてから茶碗に移して召し上がりください。”

東京から参加の友人は東京にお店はないの?と尋ねると、以前銀座に出店していたが今はないという。
残念がった。

飛び込みのようにやって来たところで、思いがけなく美味しい嬉しい夕食に出会った。
みんなの顔も満足気で綻んでいる。よかった!

食事が終わってロビーを眺めた。色紙が飾ってある。島崎藤村、与謝野晶子、松本清張、曽野綾子・・・錚錚たる文士の名まえがずらり・・・
彼らが宿泊したところとはつゆ知らず、知らぬが仏とは正にこのこと。

今夜の宿は夕食したところから歩いて1~2分、ビジネスホテルである。
「珊瑚の会」の同窓会旅行ではビジネスホテルを利用することもある。女性ばかりの気心の知れた仲間である。いつもはツインが多いが、今回は全員シングルにした。ネットで予約したら格安の料金ですんだ。

翌朝、松江~新大阪間(4時間30分)を高速バスに乗って、それぞれの家路につく。シングル利用は、マイペースの睡眠をとり時間を過ごせると考えてのことである。
お土産の整理をしたり、宅急便を発送したりで2日目の夜も暮れた。

3日目、松江駅8:30発の高速バスで新大阪駅へ向けて出発した。
乗車時間も4時間30分と長いが、島根、鳥取、岡山、兵庫県と4県をまたがって走行している。

新大阪駅で大阪名物「お好み焼き」を一緒に食べて解散、それぞれの家路についた。寄り道組み(友人や子どもさんとの約束)と別れ、伊丹空港から帰鹿した。

二泊3日の「山陰松江へ同窓会の旅」は、今回も楽しく想い出に残るものとなった。
今回は幹事で作った手づくりに等しいプランの旅行をした。

貸し切りバスやガイド無しでの観光は、まわれる場所と時間は限られ、確かに効率は悪い。反面時間に急かれて消化不良の観光になることも避けられる。

年齢を考えると少しゆとりのあるスケジュールがよい。幸い松江市は中心部に観光地が集中している。徒歩やタクシーで移動出来る圏内にあることも好都合であった。

2年後の旅行と再会を期したい!!        おわり


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松江市内

「ぼてぼて茶」


ぼてぼて茶


小泉八雲館ではそれぞれに興味深く見学して、時間も費やした。5時で閉館するところが多く見学できるところも限られてきた。城へ上ったり歩いたので喉も渇き一休みしたい。道沿いの「武家屋敷」を見てから近くの茶屋へ。

メニューを見ると出雲地方に伝わる「ぼてぼて茶」がある。迷わずこれに決まり。
名前だけ知っているが、どんなお茶だろう?と興味津々。

出てきたお茶は写真の通り、
これがお茶かしら?一見して薄いお粥のように見える。

おこわ、煮豆、刻んだ漬け物などの具を盛った小皿が付いている。箸は使わず、茶碗の底を叩いて片寄ってきたら具とお茶を一緒に流し込む。お茶を飲むというより、具を噛むので食べると言ったほうが合っている。風流には違いないが、あまりおいしいものでもない。

此処堀川沿いの茶屋は、オープンテラスのようになっている。川面から流れる風が心地よい。塩見縄手の情緒ある景色を眺めながら旅情たっぷりである。

「ぼてぼて茶」は、
奥出雲の製鉄職人が、高温過酷な作業の合い間に立ったまま流し込んでいた労働食だった。
不味公(ふまいこう)の時代の非常食だった。
上級階級の茶の湯に対抗して庶民が考え出した趣味と実益を兼ねた茶法だ
ともいわれる。

作り方は
番茶を茶碗に注ぎ、長めの茶筅で泡立てる。このときの音からユーモラスな「ぼてぼて茶」の名がついたとも。泡立てた茶の中に少しずつ具を入れれば出来上がり。

不味公(ふまいこう)について
不味公とは7代藩主・松平治郷(まつだいらはるさと)のことである。
藩の財政危機を、人材登用、治水・農業振興に力を注ぎ、出雲焼き、松江塗りなどを奨励して藩財政を立て直した。優れた茶人でもあった。

独自の「不味流」を起こし大名茶人としても名を高めた。菓子、料理にも独特の趣向をもち、その美意識は「不味公好み」という言葉に象徴される。
現在に至るまで受け継がれ、松江にはお茶を一服できるところが多い。     つづく

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松江市内
「小泉八雲記念館」


八雲館


自分たちの足で歩く松江市観光である。
松江城を後にして「小泉八雲記念館」へ向かって歩き始めた。その都度道順を聞いていくマイプランの旅は急かされることもなく楽しい。

塩見縄手

城内公園は緑が多く木漏れ日の道を下った。松江城の北堀沿い400メートルの通りには小泉八雲記念館、武家屋敷、田部美術館など見所が多い。松江市の伝統美観地区に指定されている。緩やかなカーブを描く通りに沿って、黒い板塀と武家屋敷が続く。堀川沿いには老松が連なり江戸時代の景観を色濃く残している。

塩見縄手2

塩見縄手といわれるところである。
城郭の構えを定めるとき、まず縄張りをして塁壕(るいごう)などのなどの形態を区画した。
城下町では、縄のようにひとすじにのびた道路のことを繩手(なわて)という。
堀川めぐりでも眺められる塩見縄手は、松江藩の中級藩士の武家屋敷や白壁などの江戸時代の景観を色濃く残す道。日本の道100選にも選定されている。

「小泉八雲記念館」へ入る。
小泉八雲については教科書(小中学のいずれかであった)に載って知り、「怪談」の著者であると断片的な知識しかなかった。彼が居住した松江を訪ね、記念館を見学できることはうれしい。

彼が松江に居住したのはわずか1年余りに過ぎないが、古い町並み、神話と伝説が数多く残る松江は彼の感性を刺激し、怪談やエッセイに登場させるなどその後の執筆活動の基になった、

現記念館は、伝統美観保存指定区のため木造平屋和風造りである。常設展示室、書斎、企画展示室などを備える。

小泉八雲記念館には、彼の直筆原稿や遺品を数多く展示している。絶筆を含む書簡、机や椅子、衣類、キセル、ほら貝、望遠鏡などの愛用品、妻セツの英単語の覚え書き帳など約990点。八雲の仕事ぶり、2人の生活を偲べる。小泉八雲の全てがわかる記念館になっている。

その中でも脚の長い机が目に止まる。何故そんな机が?と思うが、それは目が不自由であった八雲が原稿を書きやすくする為であったと云われる。
展示品が多く説明文も隈なく読みたいが時間が足りない。セツが英単語の練習したノートが鉛筆書きで残っている。

八雲像


小泉八雲の胸像が塩見縄手公園に建っている。
この世を去った新宿区の公園にも胸像があるという。

ギリシャの島レフカダに生まれ、新宿区でこの世を去っている。レフカダ町と新宿区は、この縁をもとに1989年10月友好都市となり、彼が没したこの地に小泉八雲記念公園をつくった。ギリシア政府が胸像を贈っている。機会があったらこちらの公園にも行ってみよう。
熊本にも住んでいるから彼の足跡が残っているに違いない。訪ねてみたいものである。

彼の生きた時代は外国へは船旅の時代、松江から熊本までも汽船で移動している。アイルランド→アメリカ→松江→熊本→東京へと移り住むことは容易なことではない。

来日して20年足らず、54歳の若さで逝去している。日本の伝統的精神や文化に興味をもち、目が不自由であったにも拘らず執筆活動を続け、多くの作品を著し、日本を広く世界に紹介した。


彼の生涯を簡単に述べよう。

本名はパトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)
1850年6月27日ギリシアのレフカダ島(リューカディア)でアイルランド人の父と、ギリシア人の母との間に生れる。2歳の時、アイルランドのダブリンに移るが、まもなく父母の離婚により同じダブリンに住む大叔母に引き取られた。

16歳のときに怪我で左目失明、それ以来晩年に至るまで、写真を撮られるときには必ず顔の右側のみをカメラに向けるか、あるいはうつむくかして、決して失明した左眼が写るようにしなかったという。

17歳の時父の病死、翌年に大叔母の破産など不幸が重なり退学する。
19歳でアメリカへ渡り、24歳のとき新聞記者となる。

明治23年(1890年)39歳の時特派員として来日するが、同年、英語教師として松江中学に赴任する。小泉セツと結婚し武家屋敷に住んだ。

しかし、冬の寒さと大雪に閉口し、1年3ヵ月で松江を去り熊本第五等中学校へ移り、さらに神戸のクロニクル社、帝国大学(東大)、早稲田大学に勤務した。

明治29年(1896年)帰化し、上京して東京帝国大学で英文学を講じる。
名まえの「八雲」は松江市に在住したことから、そこの旧国名の出雲にかかる枕詞の「八雲立つ」にちなむといわれる。

日本の伝統的精神や文化に興味をもった八雲は、多くの作品を著し、日本を広く世界に紹介した。
明治37年(1904)9月26日、狭心症のため54歳で逝去した。     つづく

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松江市内
「堀川めぐり」「松江城」


松江城


午後からの半日で松江市内観光しなければならない。
日中のうちに急ぐべきは「堀川めぐり」である。
駅から松江城大手前広場の乗船所までタクシーで移動した。

堀川は松江城築城の際造られ、城を守り、物資の輸送や人の往来、生活用水に使われ、漁場でもあった。
「堀川めぐり」は松江城の堀(約4キロ)をぐるりと巡る遊覧船(13人乗り)である。16の橋をくぐり抜け、城や塩見縄手、豊かに茂った緑、武家屋敷周辺などを眺めながら水の町の風情を楽しめる。緑の多い内堀から、中堀、外堀と巡って所要時間は約50分。

堀川2

堀川1


船頭さんは歌ってくれたり、名調子の観光案内の説明は上手い。楽しい時間を盛り上げてくれる。
左右にゆっくり目を遣りながら水郷らしい情緒ある風景がつづく。
橋をくぐるときにはそのまま通れないので屋根の部分が降りてくる。通り過ぎるまで頭を下げて苦しい姿勢でガマンです。スリルがあって楽しい。
情緒あふれる町並みを船上から眺めていると旅情をかきたてられる。

堀川めぐりの遊覧船を下船したところは松江城の大手前広場である。
その足で松江城へ向かった。

「松江城」は山陰地方に唯一現存する天守閣。中心の天守閣は外層5層、内部6階。桃山初期の雄大かつ端正で美しい姿を今に伝えている。
千鳥が羽を広げたような千鳥破風の屋根が象徴的なことから「千鳥城」とも呼ばれている。

石段を上ったところに黒い壁の松江城が聳え立つ。城の上に人影が見える。
よくもあんなに高いところまでと思いながら、でも上ってみたい!

人の流れに沿って城内へ入った。城内に展示してある資料、城独特の造りや仕掛けを見学しながらマイペースで最上階まで上った。
2年前の秋に京都旅行をしている。上りながら京都南禅寺の山門の急勾配の階段を思い出した。

市街


最上階は望楼になっている。
松江の市街を見下ろす絶好のビューポイントである。
360度の視界を独り占めできる。

ここから松江の街並みを一望できる。絶景!
階段のぼりで汗ばんだ体に心地よい風が流れる。爽快!

素晴らしい景色を眺めることが出来、階段を上った甲斐があった。下りは早かった。
これから徒歩で「小泉八雲記念館」へ向かうことに。    つづく

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足立美術館

足立2

今日のスケジュールも「足立美術館見学」、「松江市内観光」と目一杯で忙しい。

足立美術館は一度は訪れたいと思っていた所である。
横山大観(常設)、榊原紫峰(特別展)を楽しみにしてきた。
思い立っても足の便が悪いとなかなかであるが、いい機会に恵まれた。

今夜の宿に荷物を預けて、松江発(8:57)のJRで安来駅へ向かった。
安来駅から美術館までは無料シャトルバス(約20分)が運行されている。

足立1


足立美術館は、
  横山大観コレクションをはじめとする数々の近代日本画。
  北大路魯山人、河井寛次郎の珠玉の陶器。
  1万3千坪の広大な日本庭園。
を有する、名園につつまれ、名画に染まる美術館として知られる。

何故、足立美術館には多くの横山大観の作品があるのだろう?
創設者で地元出身の実業家・足立全康(あだちぜんこう)と深い関わりがある。

経歴の中にも
彼は家業の農業を手伝っていたが、紆余曲折、様々の事業を興し、幼少の頃より興味をもっていた日本画を収集して、いつしか美術品のコレクターとして知られるようになっていた。

また若い頃から何よりも好きであったという庭造りへの関心も次第に大きくなっていった。そしてついに昭和45年、71才の時、郷土への恩返しと島根県の文化発展の一助になればという思いで、財団法人足立美術館を創設した。

大八車を引き、まったくの裸一貫から、日本一の大観コレクションを有するまでになった足立全康は、大観に心酔し、共に辛酸をなめ尽くしたというだけでなく、その発想の非凡さ、着想の素晴らしさ、旺盛なる行動力において相通じるところがあったのであろう。
S54年に、「紅葉(こうよう)」「雨霽る(あめはる)」「夏」をはじめとする大観の作品群を一括購入している。

91才で亡くなるまで世界の足立美術館にしたいという夢とロマンを持ち続けた。
彼は出会った絵画といわず、庭園といわず、人といわず、それは、「美しいものに感動する心」を何とかして人に伝えたいという心が、足立美術館の隅々にまで息づいていると言えるのではないだろうか。

「庭園もまた一幅の絵画である」-―創設者・足立全康の言葉。

順路に沿って進んでいった。1Fの通路からは
歩を進めるたびに眼前に閑雅な枯山水庭、白砂青松庭、苔庭、池庭・・・と
創設者の庭づくりへの情熱が生き生きと伝わってくる。

庭の景観を背景とする「生の額縁」、「生の掛け軸」の発想には驚いた。
庭園美を1枚の切り取られた絵画、掛け軸として眺められるのである。

足立5

足立4

2Fは
大展示室で、横山大観特別展、特別展示室である。
130点を超える横山大観コレクションは著名で、常時20点前後展示している。
「紅葉(こうよう)」、「雨霽る(あめはる)」、「無我」・・・多数の作品が展示されている。
とりわけ「乾坤(けんこん)に輝く」・85才に魅せられた。

特別展は「榊原紫峰展」であった。
冨貴を数多く描いている。時節柄「青梅」2枚は緑の濃淡が目に優しく映る。

茶室「寿楽庵」では、生の掛け軸越しに庭園を眺めながら抹茶をいただいた。
足立美術館は、都会の喧騒を逃れ、正に名園と名画の絶妙なる調和のとれた心癒されるところである。
昼食は名物の出雲そばを食べ、松江(JR)へ戻った。       つづく

足立3


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マンマ

  • Author:マンマ
  • 好奇心、やじ馬根性旺盛な熟年おばさん?

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